2009年12月03日10時14分掲載  無料記事
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政治

名古屋市長のユニークな減税論 民主党政権にも一考の余地あり 安原和雄 

  民主党議員時代から異論、奇説で知られる河村たかし氏は、「庶民革命」を掲げて、さきの名古屋市長選で大勝した。庶民革命の軸となっているのが減税策で、名古屋市長に就任すると、早速、市長自らの年収(従来2500万円)を800万円に削減し、市民税の10%減税を打ち出した。この市民税減税は日本の地方行政史上初めてのことだそうで、「ムダづかいをなくすには、減税しかない」というユニークな持論の実践である。 
 増税論がかしましい折であるだけに減税実施は見識と言うべきであろう。民主党政権は減税にはあまり乗り気ではないように見える。しかし政府の行政刷新会議(議長・鳩山首相)が11月30日、予算のムダ削減を目指す「事業仕分け」の判定結果を「尊重」することを確認したことからも分かるように、ムダ削減には熱心なのだから、民主党政権にとっても「ムダづかいをなくす」ための減税論は一考の余地があるのではないか。 
 
 一橋大学の広報誌『HQ』(Hitotsubashi Quarterly=2009年秋号特集「世界を解く【決める】」)がテーマ「日本のリーダーが語る・世界競争力のある人材とは?」で同大学副学長・山内進氏と名古屋市長・河村たかし氏との対談を掲載している。 
 河村氏は1948年名古屋市生まれ。2度の落選を経て、93年の衆院選挙で初当選、以降日本新党などを経て民主党に参加。議員宿舎・議員年金の廃止、議員ボランティア化などを主張してきた。2009年国会議員を辞し、市民税減税、都市内分権を2大公約とする「庶民革命」をスローガンに名古屋市長選に出馬し、大差で当選した。 
 著書に『おい河村! おみゃあ、いつになったら総理になるんだ』など。名古屋弁でまくし立てることでも知られる。対談相手の山内副学長とは大学同期で、クラスも同じだった。 
 河村名古屋市長の説く政治・減税論はなかなかユニークなので、以下にその要旨を紹介する。 
 
▽ 大学の授業で教授に注文つけて怒られた 
 
山内 河村君は大学のロシア語と英語の授業で先生に注文をつけたことがある。覚えてる? 
河村 どえりゃあ怒られた記憶はある。 
山内 こんな教え方ではダメだと。話せるようにならないことはもちろん、プラクティカル(実用的)な役には立たない。これでは高校時代と同じじゃないかって文句を言った。 
ぼくは大学の先生は深みがあるなと感じていた。それもあって、先生と河村君のやりとりは今も記憶に残っている。その河村君が政治的なことに関心をもっていたという印象はまったくない。そうでもなかったの。 
河村 商売屋の倅で、死んだ親父が言うには、わが家は尾張藩士の末裔で、サムライであると。だから、世のため人のために生きねばならなん、と。私の大学での発言は、そういう親の元で育ったせいもあるんじゃないかなあ。 
 
〈安原の感想〉 ― 私もやはり教授に注文をつけた 
 冒頭の「大学のロシア語と英語の授業で先生に注文をつけた」というくだりで、わたし自身の学生時代の記憶がよみがえってきた。同じ大学で私は昭和29(1954)年入学だから、10歳以上も年齢の隔たりがあるが、実は私も教授に注文をつけたことがある。 
 昭和20年代末の大学受験英語(特に英作文)の分野で著名だったS教授が英語(必須科目)の講義に必ず30分くらい遅刻する。90分授業だから、その3分の1の時間、学生は教室でむなしく待っている状態(もっとも英文の原書を黙読しながら待っている学生も多数いた)が続いた。そこで教授にその理由などを聞こうという声が高まり、「安原、お前やれ」となった。なぜ私なのかは、記憶が定かではないが、多分、学生自治会委員などをやっていたためだったのだろう。 
 
 講義が始まる直前に手を挙げて質問した。「先生はいつも遅れてこられるが、なぜですか。われわれは先生の講義を聴きたいがために、教室に集まっているのです」と。後半の説明はいささかカッコよすぎたが、それはさておき教授はこう答えた。「イヤー、実はバスの便が悪くて、この時間になってしまう」と。ここでひるんでは男が廃(すた)るという気分だったらしく、私は食い下がった。「それなら、もう一つ早い時間のバスで来て下さい」と。 
 河村氏の場合、注文つけて「どえりゃあ怒られた」となっているが、私の場合は違った。教授は黙ってうなずいていたように記憶している。もっとも翌週から教授が時間通り現れたかどうかは、記憶にない。 
 最近の大学は文部科学省の管理下にあり、講義時間を守らないのはとんでもないことという雰囲気がある。昔は教授の都合で勝手に講義を休む「休講」も多かった。のんびりした時代だった。 
 
▽ 政治家はラーメン屋さんよりもずっと簡単 
 
山内 なるほど。それが政治家への道にもつながる。それにしても相当に思い切ったチャレンジ(挑戦)ですね。 
河村 いや、人生の土俵際でうっちゃるには、選挙はええんですよ。人生に行き詰まった時には選挙がおすすめです。政治家になるのは、たとえばラーメン屋さんになるよりはずっと簡単です。 
山内 そんなものですかねえ。 
河村 だって、ラーメンの味はだれにだってわかる。競争相手も多い。うまいラーメンをつくりつづけなければお客は来ない。ところが選挙は、候補者がどんな人間か、さっぱりわからん。共通一次のような選抜試験もありゃせん。だからロクでもにゃあ奴でも通ってまう。まあ、なかには立派な人もおりますがね。 
もう一つ、選挙がええというのは、議員になりさえすればメシが食えるんですよ。外国では基本的に政治はボランティアなんですが、日本では私腹を肥やすために政治家になるという選択も成り立つ。 
 
〈安原の感想〉 ― ユニークな政治家論 
 「政治家になるのは、ラーメン屋さんになるよりはずっと簡単」とか、「日本では私腹を肥やすために政治家になるという選択も成り立つ」などの発言は、なかなかユニークな政治家論といえる。もっとも「私腹を肥やす政治家」なんて輩は珍しくないが、「なるほどこういう政治家論も可能か」と思えるのは、「政治家よりもラーメン屋さんの方がずっと大変だ」という説である。「だからロクでもにゃあ奴でも(選挙で)通ってまう」ということになる。おもしろい説だが、これには「ちょっと待った」と反論したい現役政治家諸氏も多いに違いない。 
 
▽ 政治は、徴税者に対する納税者反抗の歴史 
 
山内 では選挙に通ったとして、政治家の仕事って、どういうものですか。 
河村 ある日、議員が一人残らず死んだとしましょうか。しかし、それで電気や水道がとまるかというと、そんなことはない。コンビニやファミレスが閉まるわけでもない。公共サービスは役所がやっておる。議員が死んだって何も変わらんのですよ。つまり政治というのは、なくてもいいものなんです。基本的にはね。 
山内 なるほど、そこから出発するんですね。なくてもいいけれど、あるのはなぜかと。 
河村 そこから問い直しますと、安全保障というどえりゃあネタは別格として、議員に求められる一番の仕事は、税金を減らすことなんです。税金を減らせんような政治は意味にゃあんです。そんな政治はなくてもいいんです。 
 
山内 ほう。昨今は増税もやむなしという論調が強いようですが。 
河村 そういう話にだまされたらいかんのですよ。そもそも政治の歴史は、徴税者に対する納税者の反抗の歴史です。徴税する側の権力者が固定化し、王様化しますと、贅沢三昧をして納税者を苦しめる。戦争もやらかす。そこでそういう王様みたいな権力者をつくりださないために人類が編み出した大発明が、選挙制度なんです。 
山内 納税者が、時に応じて徴税者の首をすげかえる。それが選挙だと。 
河村 そういうことです。もう一つ、任期制という大発明もした。選挙に通っても一定期間で有無をいわさず辞めさせてしまう。いずれも権力の座を不安定なものにしようという人類の叡知が生み出した偉大な発明です。ここからどういう答えが導き出されるかといえば、議員は政治を生活の糧にしてはならないということです。こんな不安定な身分ではやっとれん、食うのもカツカツで、はよ辞めたい、とならんとウソなんです。そうなって初めて議員のなすべき仕事の本質が見えてくる。 
 
〈安原の感想〉― 「納税者の反抗」が必要なとき 
 「政治の歴史は、徴税者に対する納税者反抗の歴史」とは、その通りであろう。にもかかわらず残念なことに昨今の政治は、この原点を忘却したかのような堕落した姿勢が横行している。財源が足りないから消費税を上げようと言う安易な姿勢などはその典型である。 
経済界は大企業が中心になって消費税上げの旗振り役を演じ、その財源で企業減税を狙う。一方、政治家はダム、高速道路、地方空港などの公共事業に精を出し、その裏で私腹を肥やす機会をうかがう。自公政権時代はそれが顕著だった。 
 民主党政権になってから公共事業の見直しに取り組み、消費税上げは今後4年間は見送ることになっているが、これはその先には消費税上げもやむなしという姿勢であろう。消費税率1%で約2兆5000億円の税収があるから徴税者にとっては最大の「安定財源」である。一方、納税者にとっては、低所得者層ほど負担感が重い大衆課税である。今こそ「納税者の反抗」が期待されるご時世といえよう。 
 
▽減税しない限り、税金のムダづかいは無くせない 
 
山内 私利私欲を捨て、世のため人のために尽くせというわけですね。お父上の遺訓を思いおこさせます。 
河村 まあ、三つ子の魂百までといいますからねえ。言っておるだけではあきませんので、私が名古屋市長になって真っ先にしたのは、自分の給料をカットすることです。今まで通りだと、年収2500万円(税込み)になるんですが、それを800万円にした。800万円は、名古屋市内で継続的に雇用されている市民が60歳になった時の平均年収です。私も60歳で、庶民と同じレベルの生活をする。だから庶民の側に立った政治ができる。 
年収が2500万もあって、おまけに1期4年ごとに退職金が4220万も出る。40年でじゃない、4年ごとにですよ。そんなご身分で、庶民のための政治なんかできるわけがにゃあんです。 
山内 市長がそうでも、議員や職員の給与は今までとおなじなんでしょ。 
河村 市長が800万なら、ほかも将棋倒しでそれに見合った額になっていきますよ。 
 
山内 そういう形で税金のムダづかいをなくしていこうということですか。 
河村 いや、そこでみんながつまずくんですよ。今や税金のムダづかいをなくしましょうという大合唱をしていますが、たとえば農水省で100億円のムダが見つかったとする。100億円くらいのムダは簡単に出てきます。では、その100億円はどこに行くか。 
山内 もっと重要な、たとえば福祉の充実に充てるとか。 
河村 ところがタテ割り行政で、しかも予算は固定化されている。農水省で見つかったムダは、農水省のほかの場所でムダづかいされる。たとえ福祉にまわしたとしても、厚労省だってムダづかいの宝庫でしょ。とどのつまり、ムダづかいをなくすには、減税しかないんですよ。減税をせずに、ムダづかいをなくす、天下りをなくす、行政改革をするという言説はすべて大ウソです。 
山内 減税すれば、おのずとムダづかいができなくなるんだと。 
河村 そういうことです。名古屋市では来年度から市民税の10%減税を実施します。これ、驚くなかれ、日本の地方行政史上で初めてのことです。 
 
〈安原の感想〉 ― 「減税をせずに、ムダづかいをなくす、は大ウソ」に着目 
 名古屋市長としての自分の年収2500万円(税込み)をいきなり3分の1の800万円に削減する、その理由が「なるほど」である。「800万円は、名古屋市内で継続的に雇用されている市民が60歳になった時の平均年収」ということだ。自分も60歳だから、庶民レベルの生活で十分、という感覚なのだろう。庶民革命を唱える立場上、主張と実践を一致させなければならない。なかなか真似のできないことではある。 
 もう一つ、「減税をせずに、ムダづかいをなくす、天下りをなくす、行政改革をするという言説はすべて大ウソ」という考えにも着目したい。たとえば水道の元栓を閉めないで水のムダづかいをなくそうとしても無理だという考えだろう。一理ある。ただひと口に減税といっても多様である。国民生活の税負担を軽減するためなら歓迎できるが、企業減税もすべてを歓迎という時代ではもはやない。 
 さらに来年度から実施される地方行政史上初という市民税減税がどういう波紋を描くか、その行方も注目される。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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