2009年12月03日19時42分掲載  無料記事
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検証・メディア

英テレグラフ紙が議会のタブーに挑戦 ―下院議員の経費乱用の実態、明るみに

 英高級紙デイリー・テレグラフが暴露した下院議員の経費超過請求問題は、第一報からほぼ7ヶ月の現在もいまだその余震が続いている。来年春の総選挙まであと半年を切った英国では、一連の報道後、現職下院議員の半分が既に出馬を取りやめる意向を表明している。今年の英政界を揺るがせたテレグラフの経費問題報道に改めて注目した記事「英テレグラフ紙が議会のタブーに挑戦―下院議員の経費乱用の実態」(「メディア展望」12月号掲載)をここに転載したい。(ロンドン=小林恭子) 
 
 今年5月上旬、英高級紙デーリー・テレグラフが下院議員の経費超過請求にかかわるスクープ報道を開始した。「別宅手当て」と呼ばれる制度を利用して、完済している住宅ローンの金利の支払いを請求したり、経費を使って家を改修後売却し、その売却益で私腹をこやすなどの実態が明るみに出た。税金を私利私欲に使う情けない議員の姿に国民は怒り、落胆した。テレグラフ紙は姉妹紙のサンデー・テレグラフと共に連続35日間、一面トップで経費問題を扱い、複数の閣僚の辞任が生じた。報道開始から2週間後、下院議長までも辞任の意向を表明せざるを得なくなった。年内か年明けには一部議員が窃盗・詐欺法違反で起訴される可能性も出ている(11月23日時点)。 
 
 同紙による議員経費報道については、既に「電話盗聴疑惑、英新聞界を揺るがす ガーディアンとニューズ社対決の構図」(関連記事参照)の中で短く紹介した。その後、テレグラフ担当記者による、報道の顛末をつづった著作「No Expenses Spared」(「どんな経費も逃さない」の意味)が出版され、映画化も予定されているという。 
 
 ドラマ化されても不思議はないほど迫力ある一連の報道は、昔ながらの新聞ジャーナリズムの復活を思わせた。ネットはあくまでツールであって、最後は独自のジャーナリズムが決め手となるー筆者にそんな思いを抱かせた。 
 
 本稿では、今年、英国の様々なジャーナリズム大賞を受賞することが予想される、同紙による報道の経緯とその影響に改めて注目する。 
 
―「別宅手当て」とは 
 
 話を始める前に、ここで問題にする「経費」とは主に「別宅手当て」(通称、正式には「追加費用手当て」)であることにご留意願いたい。議会があるロンドンから遠い場所を選挙区とする下院議員は、議会開会中、ロンドン近辺のホテルに泊まるか、選挙区にある自宅とは別に「別宅」としての住居が必要となる。別宅維持にかかる費用は手当てとして支給され、住宅ローンの金利や賃貸料、地方税、家具代、光熱費他必要経費が対象となる。議員の申請で支払額が決まる。請求最大金額は年間約2万4000ポンド(約350万円)。領収書なしで請求できる金額は昨年までは最大で250ポンド(現在は25ポンド)で、食費も毎月最大400ポンドまで請求可能だ。 
 
 別宅および本宅の区別は年間で宿泊日数の多い方が通常は本宅となる。しかし、複数回、本宅・別宅の区別を変更しても構わない。また仮に本宅を別宅として申請すれば、別宅手当てを本宅での経費を負担するために使える。別宅手当ては乱用しやすい仕組みになっていたともいえる。 
 
―情報公開に向けての戦い 
 
 テレグラフ報道につながる動きとして、議員経費の情報公開を求めてジャーナリストたちが立ち上がったのは、2004年だ。ロンドンに住む米国人ジャーナリストのヘザー・ブルック氏が、下院に対し議員の経費情報の公開を求めたところ、別宅手当ての総額と使途の要約が取得できただけだった。米国で調査報道にかかわった同氏は、国民に選ばれた議員にかかわる公的情報が簡単には入手できないことを知り、愕然とした。 
 
 翌年、政府省庁や公的機関にかかわる情報の公開を国民が要求できる情報公開法が施行となった。これを利用してブルック氏が下院議員全員の経費情報の公開を要求したところ、「実行には費用がかかりすぎる」として拒絶された。同年、高級日曜紙サンデー・タイムズや夕刊紙イブニング・スタンダードの記者らも数人の議員の経費情報の公開を要求し、いずれも拒絶されていた。ブルック氏を含むジャーナリストたちは、情報公開を進めるために設置された「情報コミッショナー」の事務所に窮状を訴え、コミッショナーは情報公開をすべきだと結論付けたものの、下院側がこれを拒否。情報公開をめぐる争いは裁判沙汰にまで発展した。 
 
 紆余曲折の後、今年1月には、すべての下院議員の経費を7月に公開することをブラウン英首相が確約した。3月ごろ、全議員の詳細な経費情報が入ったディスクが何者かの手によって下院の外に流出し、大手媒体の買い手を求めているという噂が出るようになった。テレグラフが経費請求の実態を細かく報道できたのは、このディスクを入手したからだった。 
 
―秘密のディスク 
 
 3月末、テレグラフ紙の政治記者がPRコンサルタントから連絡を受け、英陸軍特殊空挺部隊(SAS)の元隊員の男性がディスクを持っていることを知った。交渉の末、4月、タバコのケースほどの大きさのディスクを受け取ってみると、中には過去4年間にわたる、全下院議員の経費請求にかかわる領収書やメモなど膨大な量の書類が保管されていた。 
 
 ディスクは何故作成されたのだろう? 
 
 先の「No Expenses Spared」によれば、下院内では、7月の経費情報公開に向けて議員の住所、その他の個人情報や外に出せない情報を「編集する」(黒塗りにする)作業が行われていた。一定の人数の人員がこの作業に配置され、作業室から秘密が漏れないよう、英軍兵士たちに入り口を警備させていた。 
 
 兵士たちは2003年のイラク戦争に派遣された経験を持っていた。現地では、政府が十分な機材や装備を与えなかったために無駄に兵士が亡くなったと兵士たちは感じていた。今度はアフガニスタンに派遣されるに当たり、安全度が高い装備を自前で購入するには低い給与では不可能で、アルバイトをして追加収入を稼がざるを得なかった。そこで作業所で警備員として働くことになったのだった。兵士たちの悔しい感情や、黒塗り作業をしながら議員の経費乱用に怒りを募らせる作業員たちの姿が「No Expenses Spared」の中で描かれている。ディスクを作成し、これを元SAS隊員に渡した人物の名前を著作は明らかにしていないが、作業にかかわった人物の中のある男性が、英兵の置かれている状況と議員の経費乱用ぶりに義憤を感じ、元SAS隊員にディスクを渡したことになっている。 
 
―問われた「小切手ジャーナリズム」 
 
 ディスクをテレグラフに託した元SAS隊員の条件は「一部の議員だけでなく、全ての議員を対象にして報道してほしい」「情報提供料として11万ポンドを支払ってほしい」だった。大衆紙ニューズ・オブ・ザ・ワールドの元編集長がガーディアンによる盗聴疑惑報道の関連で認めたように(前掲の記事参考)、大衆紙が情報提供者にお金を払う(小切手ジャーナリズム)行為は常習化しているようだ。しかし、高級紙は少なくとも表向きにはこうした慣習がない。現に、タイムズがアプローチを受け、3万ポンドの情報提供料の支払いを求められた後で、ディスクの受け取りを却下している。11万ポンドの支払いは金額自体が大きいことに加え、テレグラフでは通常情報を買うことがないため、記者は情報取得は不可能と思ったが、ウィリアム・ルイス編集長(当時)を含め、経営陣もこれを最終的に承諾した。 
 
 4月末、ライバル紙に情報が漏れるのを防ぐため、テレグラフ紙では数人の記者を「研修」と称して一室に集め、他の記者や家族にも他言をしないよう伝えて、膨大なディスク情報の分析を開始した。原稿を書く前に情報の解読と確認に2時間を要したという。該当する議員のコメントを求めた後で原稿を作った。5月7日夜、ウェブサイト(紙媒体は8日付)で「内閣の経費にかかわる真実」と題した第一報を開始。翌日以降も、ブラウン首相をはじめとする閣僚や与野党議員の経費超過請求の実態を次々と暴露していった。別宅手当ては「議員の活動に必要」とされる経費(住居を含む)に支給されるが、あひるの家が建設された庭の維持代に1万2500ポンドを請求したり、夫婦両者が議員の場合、同じ住宅を別宅として経費を二重請求するなど、庶民の感覚では不当と感じる経費請求が目白押しとなった。他に超過請求の手口とは 嵎迷陝廚函嵋楝陝廚猟蟲舛鯏宜変えるー本宅を別宅とすることで、別宅手当てを受け取る∧迷霄蠹てで住宅を改装した後売却し、売却益を得る住宅ローンを支払い終わっていても、ローン金利の支払いを請求するぢ狄δ樵阿鵬装を行うナ迷靈僂箸靴胴愼した家具などを後で本宅に運ばせる子供が住む住宅を別宅として届け出て、手当て収入を得る、など。 
 
 ウェブサイト上に経費問題に特化したページを作り、それまでの経緯と共に議員の反応を動画に撮り、掲載もした。ディスクを持っていない他メディアは連日のテレグラフの報道を後追いする羽目になった。同紙の発行部数(通常は約90万部)は報道の初日5月8日には8万7000部増え、同月一杯は1日平均1万9000部増加した。6月21日(土曜日)は、経費問題を特集した小冊子を付録に付け、通常の土曜日発行分より約15万部多く売れた。 
 
 テレグラフによる「問題経費」の請求者にはブラウン首相、ストロー司法相などの政府閣僚や、保守党、自由民主党など野党議員、無所属議員も含まれていた。報道に対し、多くの議員は「合法に経費を申請している」と反論したが、選挙民からの不信の高まりを察知し、経費の一部を返還する議員も続出した。手当ての内訳の公開を拒んできたマイケル・マーティン下院議長(当時)は世論の風当たりに耐えられず、5月19日、6月末での辞任を発表した。下院議長が辞任を強いられるのは1695年以来だ。 
 
 来年5月までに行われる次期総選挙には立候補しないと表明する政治家も多く出ている。テレグラフの見込みでは、現行の下院議員646人のほぼ半数に当たる325人の議席が新たな議員を迎える。 
 
 先の「No Expenses Spared」によると、ルイス・テレグラフ編集長は当初、ディスクを入手した件で自分自身や記者が警察の取り調べを受け、逮捕あるいは禁固刑が科されるのではないかと非常に心配していたという。同紙は記者やデスクが自宅や編集室で逮捕される可能性を考慮して、弁護団を手配した。しかし、マーティン下院議長辞任宣言の日、報道には「公益性がある」として、ロンドン警視庁から捜査を行わないとする声明文が届いた。 
 
―黒塗りだらけの経費情報 
 
 6月18日、下院は、7月に公表予定だった議員の経費情報を繰り上げ公開した。大部分の書類は議員の住所などの身元情報が黒く塗りつぶされていた。テレグラフ紙はオリジナルの文書と下院が公表した文書を並べて見せた。議員の別宅・本宅の住所が塗りつぶされた場合、別宅手当ての乱用は国民の目に触れることはなかった。 
 
 政治とお金にかかわる問題を吟味する公務員基準委員会は11月上旬、議員手当て制度を改革するための提案書を出した。この中で、今後請求対象に入らないものとして、別宅の住宅ローン金利、庭の手入れや清掃代を挙げ、別宅と本宅の定義を変えて利益を得ることや議員の家族を自分の事務所で雇用することを禁止する提案を行った。今後、経費の請求に関しては、新たに設立された独立議会基準局(IPSA)が管轄することになった。しかし、IPSAのウェブサイトは「オープンさと透明性が基本原則」であるとしながらも、経費情報すべてが公開されるかどうかに関しては、「どこまでの情報をどのような形で公開するかの詳細はそのうち」公表すると書かれている。はたして「秘密のディスク」を再度持ち出すことなく、広く情報が開放されるかどうか、不安が残るのが現状だ(私自身が最も懸念をしているのがこの点だ。まさか、また誰かがディスクをリースするわけにはいかない。) 
 
―期待される調査報道 
 
 テレグラフの経費請求報道は英メディア界、一般国民の間で高く評価された。当初批判された、情報をお金で買った点に関しては、「公益があった」としてその必要性を認める見方が大勢となった。 
 
 ルイス・テレグラフ編集長はメディア業界雑誌「プレス・ガゼット」11月号の中で、これを機に「社内で長期的な調査ジャーナリズムに人材を配置する土台ができた」と語っている。1970年代、サンデー・タイムズ紙は睡眠薬サリドマイドの人体への悪影響を暴露し、調査ジャーナリズムの旗手として名声を得た。ルイス氏はテレグラフ紙にもそんな伝統を根付かせたいと願っているという。一方、同記事の中で報道チームの核となった二人の記者は「報道の本当の影響は、総選挙の結果に出ると思う」「まだこの報道は続いている」と語っている。 
 
*『メディア展望』12月号(新聞通信調査会発行)からの転載。 
http://www.chosakai.gr.jp/index2.html 


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