2010年01月23日13時12分掲載  無料記事
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検証・メディア

日米安保を平和友好条約に変革しよう 「人類の持続的発展」を目指して 安原和雄

  安保改定50年を迎えて、安全保障のあり方をどう考えたらいいだろうか。政府や多くのメディアが主張しているような「日米同盟の深化」は、戦争のための軍事同盟を土台に据えたもので、しょせん一時的な糊塗策でしかない。大切な視点は「脱軍事」をどう構想するかである。そのためには軍事同盟としての日米安保を解消して、平和友好条約に変革することである。しかも日米2国間に限定しないで、中国を含む多国間の平和友好条約を構想することも必要だろう。 
 その平和友好条約が目指すべき基本目標は、「脱軍事」を土台にした「人類の持続的発展」である。これは従来の「軍事力中心の安全保障」から脱して、地球環境汚染・飢餓・貧困などへの対策を軸に据える「人間の安全保障」の追求をも意味する。もはや軍事同盟は百害って一利なし、の時代とはいえないか。 
 
▽ 大手新聞社説は「安保50年」をどう論じたか 
 
 まず大手5紙の社説見出しを紹介する。 
朝日新聞(1月19日付)=安保改定50年 「同盟も、9条も」の効用 
毎日新聞(同)=安保改定50年 重層的深化の実上げよ 
読売新聞(同)=安保改定50年 新たな日米同盟を構築したい 
日経新聞(1月18日付)=寒波のなかで50周年迎える日米安保 
東京新聞(1月14日付)=日米同盟協議 軍事超えた深化目指せ 
 
 見出しから判断するかぎり、東京の〈軍事超えた深化目指せ〉が目新しい印象を受ける。 
 「県内に(米軍基地を)移設させる日米合意の履行は沖縄の負担軽減にはならず、沖縄県民の不満は解消されない。国民の理解が得られない同盟関係は脆弱(ぜいじゃく)だと心得るべきだろう。日米関係強化の観点からも、県外・国外移設の検討は当然だ」などの指摘は評価に値する。しかし一方、「北朝鮮の核問題や中国の軍事的台頭を抱える東アジア地域では米軍の存在が当面必要」としており、日米安保容認論であることは他紙と大同小異である。 
 ここでは朝日の〈「同盟も、9条も」の効用〉の骨子を紹介し、感想を述べる。 
 
*朝日新聞社説の骨子 
 同盟の半世紀は日本社会にとって同盟受容の半世紀でもあった。今や朝日新聞の世論調査では、常に7割以上が日米安保を今後も維持することに賛成している。 
 冷戦終結後、アジア太平洋地域の安定装置として再定義された日米同盟の役割はすっかり定着した。核やミサイル開発を続ける北朝鮮の脅威や台頭する中国の存在を前に、安保体制の与える安心感は幅広く共有されているといえるだろう。 
 
 日本が基地を提供し、自衛隊と米軍が役割を分担して日本の防衛にあたる。憲法9条の下、日本の防衛力は抑制的なものにとどめ、日本が海外で武力行使することはない。在日米軍は日本の防衛だけでなく、抑止力としてアジア太平洋地域の安全に役立つ。 
 それが変わらぬ日米安保の骨格だ。9条とのセットがもたらす安心感こそ、日米同盟への日本国民の支持の背景にあるのではないか。 
 
 アジアの近隣諸国にも、「9条つきの日米同盟」であったがゆえに安心され、地域の安定装置として受け入れられるようになった。 
「9条も安保も」という基本的な枠組みは、国際的にも有用であり続けるだろう。 
 
〈安原の感想〉 ― 批判精神はどこへ? 
朝日の社説で気になるのは、「安定」、「安心」という文言が前後5回も出てくることである。「アジア太平洋地域の安定装置」、「安保体制の与える安心感」、「9条とのセットがもたらす安心感」、「9条つきの日米同盟であったがゆえに安心され」、「地域の安定装置・・・」という具合である。 
 日米安保体制は多様な顔を持っているが、その本質は軍事同盟であり、軍事力行使の暴力装置として機能している。なぜ暴力装置を安心・安定装置と捉えるのか、奇異な印象を拭いきれない。 
 
 その答えとして思い当たるところがある。それは鳩山首相が1月19日発表した「安保改定50年」の談話である。こう述べている。「日米安保に基づく米軍のプレゼンスは、地域の諸国に大きな安心をもたらすこと・・」と。もう一つは「日米安全保障共同宣言―21世紀に向けての同盟」(1996年4月)で、「アジア太平洋地域の平和と安定の維持のために・・・」などと繰り返しうたっている。同じ文言は首相談話にも盛り込まれている。 
 ジャーナリズムの重要な役割として権力批判がある。ところが朝日はそういう批判精神を捨てているらしい。首相談話の文言をそのまま社説の主張として取り上げるのではジャーナリズムとしての存在価値はないに等しい。 
 
▽『世界』の特集「普天間移設問題の真実」からの批判 
 
 月刊論壇誌『世界』(2010年2月号、岩波書店)の特集「普天間移設問題の真実」で2つのメディア批判論が提起されている。メディアの多くが日米安保体制(=日米同盟)に対する批判力を失っている現状に鋭い眼を向けている。その骨子を以下に紹介する。 
 
(1)寺島実郎(財団法人日本総合研究所会長)「常識に還る意思と構想 ― 日米同盟の再構築に向けて」から 
 
 中国の作家魯迅は、20世紀初頭の中国について、植民地状況に慣れきった中国人の顔が「奴顔」になっていると嘆いた。「奴顔」とは虐げられることに慣れて強いものに媚びて生きようとする人間の表情のことである。自分の置かれた状況を自分の頭で考える気力を失い、運命を自分で決めることをしない虚ろな表情、それが奴顔である。 
 普天間問題を巡る2009年秋からの報道に関し、実感したのはメディアを含む日本のインテリの表情に根強く存在する「奴顔」であった。日米の軍事同盟を変更のできない与件として固定化し、それに変更を加える議論に極端な拒否反応を示す人たちの知的怠惰には驚くしかない。 
 常識に還るということ、日本人に求められるのは国際社会での常識に還って「独立国に外国の軍隊が長期間にわたり駐留し続けることは不自然なことだ」という認識を取り戻すことである。詭弁や利害のための主張を超えて、この問題に向き合う強い意思を持たぬ国は、自立した国とはいえない。 
 
(2)西谷 修(東京外国語大学大学院教授)「犲発的隷従瓩鯆兇┐茵ー立的政治への一歩」から 
 
 新聞はほとんど毎日(普天間基地の移設問題について)「日米同盟の危機」、「アメリカの対日不信」といった見出しが躍っている。(中略)日本のメディアは、「アメリカを怒らせてはたいへんだ」とばかり連日大騒ぎし、「危機」を言い立てて鳩山政権に圧力をかけている。 
 自民党の政治家たちがそう言うのならまだわかる。自民党は一貫して「日米関係」を基軸として日本の政治を仕切ってきた党であり、「対米従属」はその命綱だったからだ。けれどいま、自民党に代わって「警鐘」を打ち鳴らすのはメディアだ。(中略)まだ自民党の時代が続いていると勘違いして、「体制」の代弁をしているつもりなのか。時代が変わるのに抗うかのように、鳩山首相を「決断できない」と批判し、「連立と日米同盟のどちらをとるのか」とまで迫る剣幕だ。この基調は読売、サンケイ、日経は言うに及ばず、朝日までほとんど変わらない。まるで日本のメディアはアメリカ・タカ派の代弁者か、その幇間(ほうかん)のようである。 
 
 第二世代(第一世代は岸信介ら)以降の政治家にとって「対米依存」が日本政治の所与の構造として作られていた。アメリカは、庇護してくれる「自由世界」の盟主であり、ヒーローであり、見習って身を正すべき手本である。だから彼らはアメリカ傘下の「優等生」であろうと努め、アメリカに気に入られることを誇りさえするようになる。そうなると、「従属」は、もはややむを得ぬ手段ではなく、喜んで受け入れ、進んで担われる枠組みになる。この「自発性」(自由)」とは区別されない「従属」、それを「自発的隷従」という。 
 
 現在のメディアは「自発的隷従」の増幅器に成り下がっている。かつて日本経済がアメリカ市場に依存しきっていた頃、「アメリカがくしゃみをすると日本は肺炎にかかる」と言われたが、いまでも、アメリカが咳払いすると日本は震え上がると、彼らは思いこんでいるようだ。 
 先回の選挙で民意ははっきりと「チェンジ」を求めた。つまり新政権の路線転換は民意(とりわけ沖縄の民意)に支えられたものである。(中略)何の権限があってメディアは、民意の無視を政府に要求することができるのか。この国でいまメディアはデモクラシーを虚仮にしているのだ。 
 
〈安原の感想〉 ― メディアは反論しなくていいのか? 
寺島氏は、メディアを含む日本のインテリの表情に根強く存在する「奴顔」について指摘している。奴顔とは、「自分の置かれた状況を自分の頭で考える気力を失い、運命を自分で決めることをしない虚ろな表情」を指している。いいかえれば奴隷の表情ということだろう。 
 一方、西谷氏は、現在のメディアは「自発的隷従」の増幅器に成り下がっている、とまで言い切っている。「自発的隷従」とは、「自発性」(自由)」とは区別されない「従属」の姿勢を指しているそうで、これも誤解を恐れずに言えば、「自発的奴隷」と表現し直すこともできるのではないか。 
 ご両人がここまで切り込んでくるからには、現在のメディアの存在価値そのものに根底から不信感を抱いていると観るほかないだろう。しかも西谷氏は、この国ではメディアはデモクラシーを虚仮(こけ)にしている、と断じている。この筆法を借用すれば、メディア自身が虚仮にされているのだ。現役の記者諸君、これに毅然と反論しなくていいのか? 
 
▽ 琉球新報社説「脱軍事の地平開く元年に」が光っている 
 
 大手紙が概して「安保体制擁護」の不甲斐ない論調に終始しているのに比べると、沖縄のメディアの批判的姿勢は光っている。ここでは沖縄の琉球新報社説(1月18日付)の大要を紹介する。 
 
 安保改定50年 脱軍事の地平開く元年に 住民の敵意招かぬ賢明さを(見出し) 
 
 日米安保をどうするか。日米安保だけでいいのか。国民論議を尽くし重層的な安保を確立し「平和国家日本」の真価を示す時だ。 
 
誰を何から守るのか(小見出し) 
 「安保の負担は沖縄に、受益は国民全体で」という状況が構造化している。安保の目的は何か。誰を何からどう守るのか。本質的な議論をしっかり行いたい。 
 現行安保は、第5条の米国による日本防衛義務、第6条の米国への日本の基地提供義務が注目されがちだが、第1条で「国際連合を強化」、第2条で「経済的協力を促進」をうたうなど、本来は「日米軍事同盟」一色ではない。 
 条約前文は「平和、友好関係の強化」「民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護」もうたう。 
 
 しかし、運用実態は「軍事偏重」「沖縄の過重負担」であり、インド洋への海上自衛隊派遣に象徴されるように憲法上の疑義がある。民主主義や法の支配のうたい文句が泣く。 
 昨秋、琉球新報社が実施した世論調査では、米軍の日本駐留を定めた安保条約について4割強が「平和友好条約に改めるべきだ」と答えた。米軍基地提供のよりどころである安保「維持」は17%弱。「米国を含む多国間安保条約に改める」15%強、「破棄すべき」は10%強だった。 
 県民は「反軍・反基地」感情を抱えながらも、米国との敵対ではなく、安保見直しを通してより良い関係を希求している。 
 
 鳩山由紀夫首相とオバマ米大統領は「変革」を旗印とし、従来の政権にも増して民主主義、人権、国際協調を重視する姿勢が鮮明だ。 
 両首脳は「核なき世界」の実現や温室効果ガス削減という難題に果敢に挑戦している。その2人が沖縄問題の一つ「普天間の早期撤去」で英断を下せぬはずがない。 
 
日米中に大きな責任(小見出し) 
 国際社会は核拡散やテロ根絶など軍事的課題だけでなく、感染症や飢餓・貧困、食料危機、エネルギー危機、人権問題など多様な安全保障問題に直面している。むしろ軍事力では解決できない安全保障の課題の比重が増している。 
 こうした中、日米両政府の発想は旧態依然とし軍事に比重を置きすぎていないか。この20年余国防費が2けたの伸びを見せる中国を、警戒するのは不自然ではない。だからといって日米が中国の「脅威」をあおり軍事的に対抗するというなら、それは短絡的だ。 
 日米中の3国は、経済、外交、安全保障各面における総合的な影響力から、人類全体の持続的発展に大きな責任と役割を負っている。日米中が軍事的な緊張・敵対関係に陥り、世界全体の「平和と繁栄の危機」を招いてはならない。 
 
 力を頼みにした安保政策で市民の安全を保障し、経済社会の持続的な発展を保障するのは不可能だ。日米で政権が交代した今、軍事偏重安保を根本的に見直す好機だ。 
 従来の「対米追従」とは決別すべきだ。憲法9条を持つ「平和国家」、唯一の被爆国として日本に期待されるのは、ODA(政府開発援助)など非軍事面の貢献であり、核廃絶や軍縮の推進役であろう。 
 安保50年を日米が協調し、より積極的な予防外交や日米を含む多国間安全保障の実現、「人間の安全保障」(注)の定着に踏み出す、新しい安全保障の元年としたい。 
 
 (注)人間の安全保障とは、従来の軍事力中心の安全保障とは異質の安全保障観で、環境破壊、人権侵害、難民、貧困など人間の生存、生活、尊厳への脅威に対する取り組みの強化を目指している。米ソ冷戦の終結に伴って国連開発計画(UNDP)が『人間開発報告』で打ち出した。資料は「人間の安全保障委員会」編『安全保障の今日的課題――人間の安全保障委員会報告書』(朝日新聞社、2003年)など。 
 
〈安原の感想〉 ― 軍事偏重安保を根本的に見直す好機 
 「日米で政権が交代した今、軍事偏重安保を根本的に見直す好機だ」という主張には同感である。 
 もう一つ、昨秋、琉球新報社が実施した「日米安保条約に関する世論調査」の結果にも注目したい。その内容はつぎの通り。 
・4割強が「平和友好条約に改めるべきだ」 
・米軍基地提供のよりどころである安保「維持」は17%弱。 
・「米国を含む多国間安保条約に改める」15%強 
・「破棄すべき」は10%強 
 世論調査結果の中で特に「平和友好条約に改めるべきだ」が4割強にも上っている点に注目したい。ここから「現行の軍事偏重安保を根本的に見直す」方向として「平和友好条約に改める」ことが展望できるのではないか。 
 
▽ 日米安保を平和友好条約に変革するとき 
 
現行日米安保条約を平和友好条約に変革するうえで上述の琉球新報社説は示唆に富んでいる。まず新しい平和友好条約に盛り込むべき具体的な柱が現行安保条約にすでに規定されているという点を指摘したい。同社説の中のつぎの2点を挙げることができる。 
*日米安保条約第1条で「国際連合を強化」、第2条で「経済的協力を促進」をうたうなど、本来は「日米軍事同盟」一色ではない。 
*条約前文は「平和、友好関係の強化」「民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護」もうたっている。 
 以上から国連重視主義に立つ平和友好条約という特質が浮かび上がってくる。当然2国間軍事同盟という時代遅れの同盟は無用であり、在日米軍基地も全面的に撤去しなければならない。 
 
 上記の2点のほかに平和友好条約には琉球新報社説が指摘している以下のキーワードも取り込むのが望ましい。目指すべき基本目標は、「人類の持続的発展への責任」、「人間の安全保障の推進」であり、その具体的な柱は「核なき世界」の実現、軍縮推進、核不拡散、テロ根絶、地球温暖化防止、感染症・飢餓・貧困への対策、食料・エネルギー危機への対応、ODA(政府開発援助)など非軍事面の貢献 ― などである。 
 
 問題は平和友好条約への参加国を日米2カ国に限定するか、あるいはもっと拡大するかである。ここで石橋湛山元首相が日米安保改定の翌1961年に唱えた「日中米ソ平和同盟」構想を想起したい。これは日米安保を中国、ソ連(当時)にも拡大し、多国間安全保障条約に変質させる構想であった。当時のフルシチョフソ連首相は「原則的には全面的に賛成」と回答し、周恩来中国総理は「私も以前から同じことを考えていた。中国はよいとしても、米国が問題でしょう」と指摘した旨、石橋元首相は回想している。 
 平和友好条約は日米2国間よりも多国間の方が望ましいだろう。多国間安保構想は、上述の琉球新報社の世論調査にみる声、〈「米国を含む多国間安保条約に改める」15%強〉と重なってくる。 
 
 いずれにしても琉球新報社説のつぎの認識を共有したいと考える。 
*力を頼みにした安保政策で市民の安全を保障し、経済社会の持続的な発展を保障するのは不可能だ。 
*従来の「対米追従」とは決別すべきだ。 
*軍事力では解決できない安全保障の課題の比重が増している。 
 
 以上のような視点が大手新聞社説に欠落しているのは残念というほかない。戦争のための暴力装置である軍事同盟を土台にして、「同盟の深化」を唱えるのは、しょせん一時的な糊塗策でしかないことを指摘したい。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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