2010年02月01日21時27分掲載  無料記事
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政治

首相の「いのちを守る」を評価する ただし日米軍事同盟とは両立しない 安原和雄

  鳩山首相の「いのちを守る」を主題とする施政方針演説は多くのメディアではあまり評価が良くない。しかし私はそれなりに評価したい。「いのちを守る」ことが今日ほど日本国内に限らず、地球規模でも最大の課題として切迫している時はないからである。しかし高い評価を与えるには条件がある。それは「いのちを守る」という姿勢が矛盾なく、一貫していることである。 
 ところが残念ながら首相演説には矛盾があり、一貫性を欠いている。それは日米同盟(=日米軍事同盟)を「不可欠の存在」として賛美していところにうかがえる。「いのちを守る」ことは、戦争のための軍事同盟とは矛盾しており、両立しない。これでは苦心の名演説も歴史に名をとどめることにはならないだろう。 
 
▽大手紙社説は鳩山演説をどう受け止めたか 
 
 鳩山首相が1月29日、国会で行った初めての施政方針演説「いのちを守る」を新聞社説はどう論じたか。まず大手4紙社説(2010年1月30日付)の見出しはつぎの通り。 
*朝日新聞=鳩山政権 演説の美辞に酔う暇なし 
*毎日新聞=施政方針演説 理念実現の段取り示せ 
*読売新聞=施政方針演説 危機打開の決意が足りない 
*日本経済新聞=鳩山首相は言葉の重みをかみしめよ 
 
 各紙社説の要点は以下の通り。 
〈朝日〉=自民党政権時代の政策から価値観を変えようというわけだ。演説のスタイルも変えた。各省から集めた施策を列挙するだけの感が強かった形式をやめ、聞く方が気恥ずかしくなるほどの理想を語り続けた。 
 各論は国会審議で明らかにしていくしかない。首相や与党には誠実に審議に応じるよう求める。それなしには、せっかくの理念もかすむ。首相も民主党も、演説の美辞に酔っている暇はない。 
 
〈毎日〉=全体が総花的で、政策の深掘りや選択と集中が見受けられなかったが、特に気になったのは、この国会でこれだけ騒ぎになっている政治とカネについての言及が、極めておざなりだったことだ。 
 自らの問題(母親からの巨額資金贈与問題)をわび、企業団体献金について議論を行うと語っただけで、小沢一郎民主党幹事長の資金問題には一切触れず、政権としてこの問題とどう格闘するか、確たるメッセージが伝わってこなかった。 
 
〈読売〉=外交問題も心もとなかった。米軍普天間飛行場の移設問題で、首相が5月末までの移設先決定を表明したのは当然だ。だが、こじれた日米同盟関係の修復へ、不退転の決意を示すべきだった。 
 異色の演説は、首相なりの創意だろう。だが、言葉だけが走って政策内容に明確さを欠いては、施政方針としては物足りない。このままでは、内政も外交も混迷が避けられないのではないか。 
 
〈日経〉=(施政方針演説を聞いて)安心感を抱いた有権者はどれほどいただろうか。首相は年金制度の抜本改革や後期高齢者医療制度の見直しには一切言及しなかった。何も手を打たなければ膨らむ一方の社会保障費の増加だけを取り上げて成果と言われても、若い世代の将来への不安は一向に解消しないだろう。 
 財政再建に関しては「中長期的な財政規律のあり方を含む財政運営戦略を策定」と唱えるが、消費税増税の議論には触れていない。「一般会計と特別会計を合わせた総予算を全面的に組み替える」と繰り返すだけでは、もはや許されない。 
 
〈安原の感想〉 ― 首相演説全文を3回繰り返し読んで 
 
 「いのちを守る」を主題とする施政方針演説全文を3回繰り返し読んでみて、その都度、印象が変わった。1回目は「きれいごとを言って。内容に矛盾がある」だったが、2回目は「待てよ・・・」という意識が動いた。3回目は「なるほど・・・」と演説内容を肯定する意識に変化するのを感じていた。もっとも矛盾する内容には最後までこだわるほかなかった。 
 上に紹介した各紙社説の批判の調子は、私の1回目の印象と重なっており、「ないものねだり」に終始している。例えば「聞く方が気恥ずかしくなるほどの理想」(朝日)、「全体が総花的」(毎日)、「言葉だけが走って、・・・物足りない」(読売)、「不安は一向に解消しない。・・・もはや許されない」(日経)といった調子である。 
 
 相手の出方が自分の期待に反した場合、とかく社説のような反応を示すのが一般的である。特に昨今のメディアには、そういうマイナス思考が広がっている。しかしここで考え直してみようではないか。首相は政治の理想を語っているのだ。過去の長い間の自民・公明政権時代には期待できなかった政治の理想についてである。しかもその理想を牽引力として現実政治の変革を目指そうとしているのだろう。 
 ここは性急な「成果」に貪欲にならないで、せめて夏の参院選の結果が出るまで「待つ」という心のゆとりを持ちたい。 
 
▽「いのちを守る」に終始する施政方針演説 
 
 首相の施政方針演説は冒頭、つぎのように述べた。 
 「いのちを、守りたい。いのちを守りたいと願う」と。 
 この「いのちを、守りたい」に始まって「いのちを守る」に終始したのが今回の施政方針演説の何よりのと特徴と言える。ではどのようないのちをどのようにして守ろうというのか。以下にいくつか(要旨)を紹介する。小見出しは原文のままである。 
 
*生まれくるいのち、そして育ちゆくいのちを守りたい。 
 若い夫婦が、経済的な負担を不安に思い、子どもを持つことをあきらめてしまう、そんな社会を変えていきたい。未来を担う子どもたちが、自らの無限の可能性を自由に追求していける、そんな社会を築いていかなければならない。 
 
*働くいのちを守りたい。 
 雇用の確保は、緊急の課題で、それに加えて、職を失った方々や、様々な理由で求職活動を続けている方々が、人との接点を失わず、共同体の一員として活動していける社会をつくっていきたい。経済活動はもとより、文化、スポーツ、ボランティア活動などを通じて、すべての人が社会との接点を持っている、そんな居場所と出番のある、新しい共同体のあり方を考えていきたい。 
 いつ、いかなるときも、人間を孤立させてはならない。 
 一人暮らしのお年寄りが、誰にも看取られず孤独な死を迎える、そんな事件をなくしていかなければならない。 
 
*世界のいのちを守りたい。 
 これから生まれくる子どもたちが成人になったとき、核の脅威が歴史の教科書の中で過去の教訓と化している、そんな未来をつくりたい。 
 世界中の子どもたちが、飢餓や感染症、紛争や地雷によっていのちを奪われることのない社会をつくっていきたい。誰もが衛生的な水を飲むことができ、差別や偏見とは無縁に、人権が守られ基礎的な教育が受けられる、そんな暮らしを、国際社会の責任として、すべての子どもたちに保障していかなければならない。 
 今回のハイチ地震のような被害の拡大を国際的な協力で最小限に食い止め、新たな感染症の大流行を可能な限り抑え込むため、いのちを守るネットワークを、アジア、そして世界全体に張り巡らせていきたい。 
 
*地球のいのちを守りたい。 
 この宇宙が生成して137億年、地球が誕生して46億年。その長い時間軸から見れば、人類が生まれ、そして文明生活をおくれるようになった、いわゆる「人間圏」ができたこの1万年は、ごく短い時間に過ぎない。しかし、この「短時間」の中で、私たちは、地球の時間を驚くべき速度で早送りして、資源を浪費し、地球環境を大きく破壊し、生態系にかつてない激変を加えている。約3000万とも言われる地球上の生物種のうち、現在年間約4万の種が絶滅していると推測されている。現代の産業活動や生活スタイルは、豊かさをもたらす一方で、確実に、人類が現在のような文明生活をおくることができる「残り時間」を短くしていることに、私たち自身が気づかなければならない。 
 私たちの叡智を総動員し、地球というシステムと調和した「人間圏」はいかにあるべきか、具体策を講じていくことが必要だ。少しでも地球の「残り時間」の減少を緩やかにするよう、社会を挙げて取り組むこと。それが、今を生きる私たちの未来への責任である。 本年、わが国は生物多様性条約締約国会議の議長国を務める。かけがえのない地球を子どもや孫たちの世代に引き継ぐために、国境を越えて力を合わせなければならない。 
 
「いのちを守る」ことの中身を以上のように説明した後、来年度予算の性格についてつぎのように言及している。 
 来年度予算を「いのちを守る予算」に転換した。公共事業予算を18・3%削減すると同時に、社会保障費は9・8%増、文教科学費は5・2%増と大きくメリハリをつけた予算編成ができたことは、国民の皆さまが選択された政権交代の成果である ― と。 
 
 さらにその予算についてつぎの柱で具体的に説明している。 
*子どものいのちを守る 
*いのちを守る医療と年金の再生 
*働くいのちを守り、人間を孤立させない 
*いのちのための成長を担う新産業の創造 
 ここでは4番目の「いのちのための成長を担う新産業の創造」が目新しいので、その要旨を以下に紹介する。 環境・エネルギー分野と医療・介護・健康分野が新産業の可能性があるという趣旨である。 
 
 昨年末、新たな成長戦略の基本方針を発表した。鳩山内閣における「成長」は、従来型の規模の成長だけを意味しない。 
 人間は、成人して身体の成長が止まっても、様々な苦難や逆境を乗り越えながら、人格的に成長を遂げていく。私たちが目指す新たな「成長」も、日本経済の質的脱皮による、人間のための、いのちのための成長でなくてはならない。この成長を誘発する原動力が、環境・エネルギー分野と医療・介護・健康分野における「危機」なのだ ― と。 
 
〈安原の感想〉 ― 仏教経済学の視点から評価 
 
 これほど「いのち」を多用する首相の施政方針演説はもちろん初めてのことである。その意味ではきわめてユニークと言える。初めてであるだけにどう受け止められているだろうか。 
 いのちを無視、軽視することを売り物にしていたあの市場原理主義者(=新自由主義者)たちの残党は、恐らく「火星人の演説」という違和感を抱くのではないか。 
不特定多数の国民世論はどうか。「いのちを守ろうという意欲は評価するが、果たしてどこまで期待できるのか」という半信半疑の姿勢が多数ではないか。 
 
 さて私(安原)自身はどうか。私は「いのちを守る」という姿勢を一国の首相が施政方針演説で明示したことを高く評価したい。なぜなのか。私はここ10年来、従来の現代経済学(市場原理主義、ケインズ経済学など)に代わる新しい経済学として仏教経済学を提唱してきたが、その仏教経済学には以下のような八つのキーワードがある。 
いのちの尊重、非暴力、知足、共生、簡素、利他、持続性、多様性 ― で、キーワードのトップの位置にあるのが「いのちの尊重」である。こういう仏教経済学の視点から採点すれば、当然のことながら、高い採点となる。しかしそれには必要な条件がある。主張が「いのちの尊重」の論旨で一貫していることである。一貫性を失っているようでは大幅減点とならざるを得ない。 
 
▽ 首相の「日米同盟は重要」は疑問 
 
 折角の名調子の首相演説も後半部分になると、突如、調子が乱れてくる。それは以下のように日米軍事同盟を「不可欠の存在」として持ち上げる姿勢に変化するからである。 
 
*「東アジア共同体のあり方」について 
 昨年の所信表明演説で私は、東アジア共同体構想を提唱した。「いのちと文化」の共同体を築き上げたい。その思いで提案した。この構想の実現のためには、一部の国だけが集まった排他的な共同体や、他の地域と対抗するための経済圏にしてはならない。その意味で、揺るぎない日米同盟は、その重要性に変わりがないどころか、東アジア共同体形成の前提条件として欠くことができない。 
 
*「いのちと文化の共同体」について 
 東アジア共同体の実現に向けて、強調したいのは、いのちを守るための協力、文化面での交流の強化である。 
 地震、台風、津波などの自然災害は、アジアの人々が直面している最大の脅威のひとつである。防災文化を日本は培ってきた。これをアジア全域に普及させたい。感染症や疾病からいのちを守るためには、機敏な対応と協力が鍵となる。 
 
*「日米同盟の深化」について 
 今年、日米安保条約改定から50年の節目を迎えた。変動の半世紀にあって、日米安保体制は、わが国の国防のみならず、アジア、世界の平和と繁栄にとって欠くことのできない存在であった。今後もその重要性が変わることはない。 
 私とオバマ大統領は、安保改定50周年を機に日米同盟を21世紀にふさわしく深化させることを表明した。 
 
〈安原の感想〉 ― 軍事同盟といのち・文化・共同体とは矛盾 
 
 首相がその重要性を力説する日米同盟は、あれこれ脚色してみても、その本質は、戦争のための軍事同盟であり、端的に言えば「いのち」に相反する「暴力装置」である。しかも日米安保条約に基づく巨大な在日米軍基地網は、米国の覇権主義を目指すための前方展開基地にほかならない。この一点を覆い隠しては、真実は見えてこない。ところが首相の日米同盟へのこだわり方は尋常ではない。「日米軍事同盟」と「いのち・文化・共同体」が首相の胸の内ではなぜ矛盾なく同居しているのか、理解に苦しむ。 
 
 東アジア共同体、すなわち「いのちと文化の共同体」という構想を批判する理由はない。今後追求していくに値する望ましい構想でもあるだろう。問題はその「いのちと文化の共同体」になぜ軍事同盟が不可欠の存在なのかである。「いのちと文化」と「軍事同盟」は矛盾しており、両立しないし、水と油のように馴染まないし、相性が悪すぎる。 
 しかも首相は東アジア共同体を「排他的な共同体」にしてはならないと力説している。それでは問いたい。日米2国間の軍事同盟は排他的ではないのか、と。排他的でないなら、折にふれ、敵対視している中国、北朝鮮もメンバーに加えて多国間安全保障条約に切り替えてはどうか。これも「同盟深化」の選択肢の一つとしてあり得るのではないか。 
 重ねて指摘したい。首相の「いのちを守る」という姿勢は高く評価したい。その姿勢を一貫させるためには日米軍事同盟のあり方を再考し、当面の課題として、5月末までに移設先を決定することになっている沖縄の普天間基地について「民意」を尊重して「県外、国外」を選択することである。矛盾を抱える「いのちを守る」では空しい美辞麗句にすぎない。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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