2010年05月04日16時02分掲載  無料記事
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検証・メディア

2010年「憲法」社説を読んで 軍事基地、日米安保を問い直す地方紙 安原和雄

  2010年5月3日は日本国憲法の施行63周年記念日である。この記念日に新聞メディアは平和憲法の存在価値をどう論じたか。目立つのは地方紙の論調で、<基地の存在自体を根本から問い直してみること>(東京新聞)、<日米安保条約を根本から問い直すとき>(北海道新聞)、<憲法9条にこめられている「いのち・平和」尊重を>(琉球新報) ― など根源的な問いを投げかけている。それを支えているのは、平和憲法の理念をいかに守り、生かすかという健全な姿勢である。 
 地方紙に比べると、全国紙の筆法の鈍さが浮き上がってくる。憲法記念日が例年通り巡ってきたので、やむを得ず書いた、という印象さえ残る。全国紙が新聞メディアの論調を先導する時代の終わりを意味しているのか。 
 
▽ 新聞社説が憲法記念日に論じたこと ― 地方紙に注目 
 
 まず2010年5月3日付社説の見出しを紹介しよう。沖縄米軍基地の移設問題が大きな焦点になっているので、沖縄紙(琉球新報)社説に関心を持たざるを得ない。参考までに北海道新聞社説も紹介する。 
*読売新聞=憲法記念日 改正論議を危機打開の一助に 
*日本経済新聞=憲法審査会で議論を始めよ 
*朝日新聞=憲法記念日に 失われた民意を求めて 
*毎日新聞=憲法記念日に考える 「安保」の将来含め論憲を 
*東京新聞=憲法記念日に考える 初心をいまに生かす 
*北海道新聞=憲法記念日 「平和」と「人権」生かして 
*琉球新報=憲法記念日 9条の輝き世界へ次代へ 命守る政治の有言実行を 
 
 各紙社説を一読した印象を踏まえて、あえてグループ別に分ければ、以下のように仕分けることもできるのではないか。 
<改憲派> 
*読売=「きょうは憲法記念日。改憲を改めて考える一日にしたい。(中略)対等な日米関係を掲げるなら、まず集団的自衛権行使という憲法上の問題に正面から向き合わなければならない」と。 
*日経=「衆参の憲法審査会を少しでも早く動かし、21世紀にふさわしい憲法をつくる意識を明確にしてほしい」と。 
 
<中間派> 
*朝日=「すれ違う政治と国民」、「熟慮する民主主義」、「新しい公共空間を」などの小見出しを付けて民意をどう生かすかを論じている。しかし肝心の日米安保、沖縄問題は避けている。 
*毎日=「かねてより<論憲>を主張してきた。現憲法の掲げる基本価値を支持しつつ、現状に合わせたよりよい憲法を求めて議論を深めようとする立場である」と指摘しているが、論憲の方向が今ひとつ明確ではない。 
 
<護憲派> 
 上記の7紙のうち東京新聞、北海道新聞、琉球新報はいずれも「平和憲法の理念を守り、生かす」という護憲派の視点を明確にしている。最近は大手全国紙よりもむしろ地方紙に傾聴に値する論調が多い。 
 
 以下では護憲派の主張を紹介する。(*印の文言は小見出し。必ずしも原文と同じではない) 
 
▽ 東京新聞社説 ― 初心をいまに生かす(主見出し) 
 
 東京新聞社説(要旨)はつぎの通り。 
 
 長い戦争から解放され、人々は新しい憲法を歓迎しました。その“初心”実現に向けて積極的理念を世界に発信できるか、日本の英知が試されます。 
 米軍普天間飛行場の移設問題が迷走し、憲法改正国民投票法の施行が十八日に迫る中で今年も憲法記念日を迎えました。この状況は非武装平和宣言の第九条をとりわけ強く意識させます。 
 日本国憲法の公布は一九四六年十一月三日、施行は翌年五月三日でした。当時の新聞には「日本の夜明け」「新しい日本の出発」「新日本建設の礎石」「平和新生へ道開く」など新憲法誕生を祝う見出しが並んでいます。 
 
 長かった戦争のトンネルからやっと抜け出せた人々の、新たな歴史を刻もうとする息吹が紙面から伝わってきます。新生日本の初心表明ともいえるでしょう。 
 「初心忘るべからず」と言いますが、忘れてはいけない初心が次世代にきちんと継承されているでしょうか。 
 かつて沖縄県民は「平和憲法の下へ帰りたい」と島ぐるみで粘り強い復帰運動を展開しました。そのかいあって七二年にやっと復帰が実現し、米軍による支配から脱したものの、四十年近くたった今でも県民の熱望は「憲法の恩恵に浴する」ことです。 
 
*沖縄を犠牲にした平和 
 幼い子どもが最初に覚えた言葉は「怖い!」だった。 
 沖縄で基地問題を取材している記者が本土の記者に披露した余話です。母親が米軍機の爆音を聞くたびに発した言葉でした。 
 普天間飛行場や嘉手納基地で離着陸する米軍機の轟音(ごうおん)、迷彩服で公道を行進する米兵、多発する軍人犯罪…沖縄に残る現実は、太平洋戦争末期に島内全域で行われた地上戦を思い起こさせます。憲法誕生時、多くの日本人が抱いた初心の背景と似ています。 
 
 復帰後、本土では立川、調布、朝霞など米軍の施設・区域が次々返還され大幅に縮小しましたが、沖縄には日本全体の米軍基地の面積で74%が集中し、県土の10%は基地です。 
 本土の人たちが享受している平和と安定は、こうした負担、犠牲の上に築かれていることに気づかなければなりません。基地の存在自体を根本から問い直してみることも必要でしょう。 
 
 第九条を自国に対する制約と考えるのではなく、日本国憲法の有する普遍的価値を国際社会に向かって発信してゆくことが、日本には求められます。 
 北朝鮮が核実験を行い、中国が軍拡路線を歩む一方で、米ロが核軍縮に取り組もうとしているだけに日本の姿勢が問われます。 
 
<安原の感想> ― 基地の存在自体を根本から問い直してみること 
 東京新聞社説で注目すべきは、「基地の存在自体を根本から問い直してみることも必要」という指摘である。この当たり前のことに全国紙を始め、多くのメディアは触れようとはしない。もはや日本国内で米軍基地のたらい回しをしているときではない。「国外」を基本にアメリカと交渉すべきときである。 
 
▽ 北海道新聞社説 ― 「平和」と「人権」生かして(主見出し) 
 
北海道新聞社説(要旨)は以下の通り。 
 
 憲法記念日は、日本国憲法の理念を確認し、いまの政治が憲法の目指す方向に合致しているかを点検する絶好の機会だ。 
 今年は日米安保条約改定50年の節目であり、折しも米軍普天間飛行場の移転が焦点となっている。一方、社会問題化した格差や貧困にどう対策を講じるかも重要である。 
 憲法の2本柱は、第9条の「戦争の放棄」に示された平和主義と、第11条の「基本的人権」の尊重だ。その精神を問題解決に生かしたい。 
 今月18日には改憲手続きを定めた国民投票法が施行される。憲法に向き合う国民の姿勢が試されることを忘れてはなるまい。 
 
*鳩山政権の理念問う 
 鳩山由紀夫首相に聞きたいのは、どんな政治を目指して懸案に取り組んでいるかだ。 
 まず米軍普天間である。 
 この問題を見るとき、沖縄の米軍基地がイラクとアフガニスタンという二つの戦争に深く組み込まれていることを指摘したい。 
 
 鳩山政権の選択肢は二つだ。 
 「国際平和の希求」をうたう憲法の精神に基づき日本の平和外交を追求するか、それとも旧来の対米追随を続けるか−である。 
 想起すべきは航空自衛隊のイラクでの活動を9条違反と断じた名古屋高裁判決(08年)だ。憲法の平和主義を踏まえ、戦争への日本の加担に警鐘を鳴らしたと受け止めたい。 
 だが普天間をめぐる政権の対応は移転先探しに終始し、沖縄の基地縮小に及んでいない。冷戦後の米軍駐留の是非を含め、日米安保条約を根本から問い直すときではないか。 
 回り道のようでも、それが普天間問題を解決に導く原点となる。 
 
 格差や貧困も放置できない。 
 憲法前文の「平和のうちに生存する権利」とは、戦争放棄と基本的人権、生存権(第25条)が表裏一体であることを示している。 
 自殺者が12年連続で3万人を超え老人の孤独死も伝えられる。非正規切りで職と住まいを失った若者には将来への不安が深まっている。 
 憲法を空文にしてはなるまい。 
 「いのちを守りたい」と施政方針を述べた鳩山首相は、人間性を回復する政治に全力をあげるべきだ。 
 
*希望は人びとの声に 
 憲法を生かすのは、国民の心構えにかかっている。憲法が保障する自由と権利は「国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」(第12条)からだ。 
 平和にせよ人権にせよ、憲法の精神を日常の暮らしに引き寄せ、具体的な問題として政治や行政に反映させることが大切だろう。 
 たとえば「九条の会」の運動だ。04年に作家の故井上ひさしさんらの呼び掛けにより、個人の自由な意思で憲法を「守り」「生かす」ことを目的に発足した。 
 賛同が広がり、北海道の496を含め全国で7507(4月集計)の「九条の会」が活動している。 
 友人同士の集まりから、学校や地域、職場、趣味のグループに至るまで、「憲法」を語り合うさまざまな交流が行われている。 
 
<安原の感想> ― 日米安保条約を根本から問い直すとき 
 北海道新聞社説で注目したいのは、「冷戦後の米軍駐留の是非を含め、日米安保条約を根本から問い直すときではないか」という主張であり、高く評価したい。これまたメディアのほとんどが聖域視して、触れようとしないテーマである。 
 在日米軍基地問題の根源は、日米安保条約(第6条で「米国に基地の許与」を規定している)にあるわけで、基地問題の打開にはこの日米安保体制に行き着かざるを得ない。この一点に着目しない限り、国内での移転先探しに右往左往するほか手はなくなる。民主党政権の最大の弱点というべきである。 
 
 いまこそ対外戦争のための日米軍事同盟を支える日米安保体制か、それとも本来の憲法9条を核とする平和憲法体制か、そのどちらを選択すべきかを正面から問い直すときである。日本の望ましい進路はいうまでもなく平和憲法体制の選択にかかっている。 
 
▽ 琉球新報社説 ― 9条の輝き世界へ次代へ 命守る政治の有言実行を 
 
 沖縄の琉球新報社説(要旨)はつぎの通り。 
 
 「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の憲法3原則は、普遍的価値として国民の間に定着している。喜ばしい限りだ。 
 本社加盟の日本世論調査会が3月に行った世論調査では戦争放棄と戦力不保持などを定めた憲法9条に関して51%が改正は不要とし、改正を必要とした24%を大きく上回った。 
 これは9条が、軍国主義の反省の上に立ち戦後を歩んできた日本国民に幅広く支持されている表れだ。 
 
*「9条空洞化」と沖縄基地が連動 
 由々しきことは「9条空洞化」と沖縄の基地問題、日米安保問題が絶えず連動してきたことだ。 
 例えば、米軍普天間飛行場の返還は、1996年に橋本龍太郎―クリントン日米首脳会談で合意されたが、その合意は日本による有事法制研究の着手が条件だった。その後、実際に97年日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)策定、99年周辺事態法制定など有事法制整備につながった。 
 
 2001年の9・11米中枢同時テロを機に当時の小泉純一郎首相は米国の対テロ戦略、アフガニスタン・イラク攻撃をいち早く支持。「対テロ特措法」「イラク復興支援特措法」を制定し、自衛隊の海外派遣で米政権を積極支援した。 
 一連の流れの中で「集団的自衛権行使」など9条違反の疑義が指摘されたが、十分な国会論議、国民論議を経ることなく、対テロ支援による日米同盟強化=憲法のさらなる空洞化という既成事実が着実に積み上げられていった。 
 
*「改憲ありき」脱皮を 
 鳩山政権は政府の憲法解釈を担ってきた内閣法制局長官による答弁を今国会から事実上禁止している。法制局は「法の番人」と言われ、解釈改憲の拡大と抑制の両方を担ってきた。功罪はあろうが「法の番人」の歯止めがなくなれば、時の政権の恣意(しい)的な解釈で憲法がさらに形骸(けいがい)化しないか。長官の答弁禁止は慎重を期すべきだ。 
 
 鳩山首相は通常国会の施政方針演説で「いのちを、守りたい」と強調した。米軍基地や米兵犯罪によって命や暮らしを脅かされている県民はまさに「命を守って」と切実に願っている。憲法が保障する平和的生存権の実現に、首相は指導力を発揮してもらいたい。 
 次から次に仮想敵をつくる安全保障観を前提にすれば、憲法9条は邪魔に違いない。しかし、国際協調と人間の安全保障を根幹に据えた安全保障観へ転換すれば、9条は一段と輝きを増す。 
 各党は従来型の改憲論議から脱皮すべきだ。持続的な平和と国民の幸福のために憲法を生かす構想力、9条の輝きを世界へ次代へ引き継ぐ行動力こそ競ってほしい。 
 
<安原の感想> ― 「いのち・平和」の尊重 
 琉球新報社説は、憲法にみる「いのち・平和」の尊重を強調している。それはつぎの指摘に表れている。 
・米軍基地や米兵犯罪によって命や暮らしを脅かされている沖縄県民は「命を守って」と切実に願っている。 
・憲法が保障する平和的生存権の実現に、首相は指導力を発揮してもらいたい。 
・国際協調と人間の安全保障を根幹に据えた安全保障観へ転換すれば、9条は一段と輝きを増す。 
・持続的な平和と国民の幸福のために憲法を生かす構想力、9条の輝きを世界へ次代へ引き継ぐ行動力こそ競ってほしい。 
 
 憲法9条にこめられている「いのち・平和」尊重の理念をよりたしかなものに育んでいくのか、それともそれに背を向けて9条改悪にこだわるのか ― この2つの選択肢のうちどちらに軍配を挙げるかと問われれば、もちろん前者の「いのち・平和」尊重である。琉球新報社説の眼目もそこにあり、それが日本国民多数の民意でもある。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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