2010年05月17日13時29分掲載  無料記事
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中国

四川大地震を描いたドキュメンタリー映画「私たちの子供」 ボーヴォワール賞受賞の艾暁明さんに制作の意図を聞く

  中国では人権派人士が次々と現れている。四川大地震では、犠牲になった子どもたちの実態調査に個人で乗り出した譚作人、それを支持する弁護士、浦志強やアーティストの艾未未が海外にも知られたが、彼らの活動をドキュメンタリー作品を制作した女性、艾暁明が、フランスのシモーヌ・ド・ボーヴォワール賞を受賞した。だが中国当局の姿勢は相変わらず。『亜洲週刊』の艾暁明へのインタビューからは、彼女の作品づくりへの情熱と、独自に記録映像を残している、犠牲になった児童の親たちの執念が感じられる。(納村公子) 
 
 「女性の自由のためのシモーヌ・ド・ボーヴォワール賞」第2期委員会は、2010年度の受賞者に2人の中国人女性を選んだ。1人は北京の公益弁護士〔公共の利益のために活動する弁護士〕である郭建梅、そしてもう1人が広州の大学教授で、ドキュメンタリー映画監督でもある艾暁明だ。 
 
 電話で受賞の知らせを受けたのは真冬。ちょうどその時、大勢の人と荷物でごった返す駅の待合ホールで、ガタガタと震えていた艾暁明は、電話の向こうの友人から、この賞は、あなたが携わっているフェミニズム研究や女性の権利のための闘いをたたえ、あなたが撮影した中国の現代社会、女性、合法的権益の保護運動に関する十数作のドキュメンタリーをたたえるものだ、と伝えられた。このうれしい知らせを聞いた時の気持ちを、彼女はこう形容している。「寒波がつぎつぎ押し寄せて氷に閉ざされた季節に、5月の花が一輪、天から降ってきたよう。久しく浴することのなかった敬意、親しげな祝福、遠くから見守る眼差し、ボーヴォワールという理想の光をもたらしてくれた」。 
 
 彼女の境遇を知る者なら、これが中国文学を教えている女性教授の、文学的抒情などではないとわかる。力弱き苦行者にとって、5月の花の温かさが何を意味するのか。それは極寒の厳しさや寂しさを体験したことがなければわからない。 
 
 授与式はパリのカフェ、レ・ドゥ・マゴで行われた。半世紀前、ボーヴォワールとサルトルが歓談、執筆した場所だ。しかし、受賞者である艾暁明はここに行くことができなかった。 
 
 公安局でパスポートの更新を拒否され、香港に向かう深圳の税関でも足止めされて、香港中文大学で開催されるシンポジウムに参加できなかった。警察と税関の説明はこうだ。1、2005年に太石村〔広州市番禺区魚窩頭鎮〕で行われた選挙〔2005年7月、村長の汚職が判明し、村民が法に則って村長の罷免を要求。武装警官との衝突、村民のハンスト、解任要求の署名運動などを経て、選挙委員を選出する選挙が行われた。しかし当選者7名がみな辞職し、村長の汚職も当局によってシロと判定され、リコールは失敗に終わった〕のドキュメンタリーを撮影したかどで、向こう5年間パスポートの更新を受理しない決定が当時すでに下されていた。2、公民出境入境管理法第8条に照らして出国は認められない。 
 
 だが、その「第8条」がどういった条項なのか、教えられることはなかった。広州の家に帰って「第8条」を探した。その条項の中で自分が該当しそうなのは、「出国後、国家の安全に危害をもたらす、または国家の利益に重大な損失をもたらすと、国務院の関係主管機関が見なした者」という点だろうか。ちゃんちゃらおかしかった。 
 
 57歳、耳に心地よい声で言葉遣いも丁寧なこの女性大学教授は、自分の蓄えと年金をつぎ込んで撮影したドキュメンタリーや、あちこちで目にするのに誰も正視しようとしない社会の最下層の映像に、日々向き合っている。またその目は、壁に掛けてある友人たちとの集合写真、家のそこここに飾ってある生花、ソファーの上の刺繍をあしらったクッション、松竹梅とランの花の刺繍絵……これらにも向けられている。まったく滑稽だ。彼女は夫を支え、子を育て、責任を持って仕事をこなし、社会に関心を持ち、心の自由と平等という基本的価値を尊重している。そんな彼女がなぜ国家の敵なのか? しかもそれが、「国務院の関係主管機関」の認定だというのだから驚きだ。 
 
 一人でドキュメンタリーの撮影を始めたのは2004年。以来5年間、彼女の社会的地位は常に不安定だ。以前は古典文学を教え、ジェンダーを研究していた普通の大学教授だった。だが、女性の権利に関心を持っていた彼女は、湖南省で起きた「黄静事件」〔'03年2月24日、小学校教師の黄静さんの全裸遺体が発見された。前日に黄静さんと会っていた男による強姦致死が疑われたが、3年後の裁判で無罪とされた。黄静さんの母親が事件直後から、インターネットなどで広く支援を求めたこともあり、多くの注目を集めた〕がきっかけとなり、2004年に処女作『天堂花園』〔天国の花園〕を撮影した。それからというもの、書斎を出て社会に分け入っては、撮ってきた映像を携えて教室、そしてより広大なネット空間へと取って返すことが、彼女の新たな生活となり、思考方法となった。 
 
 合法的権利を守ろうとする母親、自分たちのために選挙を行う農民、エイズ村、雪害にあえぐ労働者、震災による校舎倒壊の犠牲になった子供たち、手を携え助け合うボランティア、断固として続けられる調査……彼女が撮るドキュメンタリーの主要な題材は、市民の公益保護運動の中心人物だ。 
 
 彼女の映像表現は徐々に洗練されてきているが、だからといって苦難や激しい衝突、「政治的に敏感」な題材を避けたことは一度としてない。プロの映画監督には、彼女の作品を雑だと批判する人もいるが、彼女は黙っている。自ら面倒なことに身を投じていくこの道の険しさは、どうせわかってもらえないからだ。資金も助手もなく、大きな荷物をいくつも一人で背負い、カメラを担いだまま長時間歩き回る。しかも、至る所で監視や妨害、脅迫、ひどいときには殴る蹴るの暴行までかいくぐらなければならない。目的地に到達できなかったり、インタビューの相手が忽然と消えることもしばしばだ。 
 
 海外の知り合いの中でも、彼女の映画には似たような苦労話が多すぎると言う人もいる。しかし彼女にはどのシーンの、どのありふれた顔も切り捨てられない。それらの顔が、中国の「正規の」映画に出るチャンスなどないと知っているからだ。彼女は言う。「マスコミ業界では、人々は記者ばかり誉めそやして、本当の主役がインタビューを受けた人であることを忘れている。だから、せめて自分の映画の中では、ありふれた人に敬意ある眼差しが向けられるようにしたい。親友の王小波〔1952−1997。元社会学の教授で作家。〕がかつて書いた『沈黙的大多数』〔沈黙する大多数。1997年発行のエッセイ集〕のように、自分の映像によって中国の庶民の心のありようを記録し、彼らを二度と沈黙させないようにしたい」。 
 
▽なぜ調査が必要なのか 
 
 2008年から2009年にかけて艾暁明がもっとも心を砕いたのが、四川大地震を描いた2本のドキュメンタリー、『我們的娃娃』〔私たちの子供〕と『公民調査』だ。『我們…』は大地震と、細い鉄筋で支えられていた校舎の倒壊によって生き埋めになった5335名の子供たちの幼年期、そしてその父母の痛みと怒りを記録している。この作品をともに撮影した譚作人〔1954−。環境活動家。現在拘留中〕はのちに、5月12日の死亡生徒数などを調べる調査を行ったかどで、「国家政権の転覆を煽動した」という嫌疑をかけられ当局に拘禁された。 
 
 艾暁明から見れば、この成都在住の男性はこれ以上ないほどの善人だ。なにしろ自分の日々の暮らしにも事欠いているのに、危険な状況の中、何千キロも車を走らせて被災地を訪ね、一軒一軒まわりながら亡くなった子供たちの名を記録したのだ。艾未未〔1957−。北京出身の現代美術家。世界各地で活動しており、昨年は日本でも個展を開催。建築、評論などもこなし、社会運動にも力を注いでいる〕は彼の逮捕に心を痛め、怒り、ついで世に訴えた。「私は彼のあとに続く」と。そうして『公民調査』は『我們…』の後編として撮影され、譚作人、艾未未および自ら進んで志願した人たちが、2年にわたって粘り強く続けたこの大地震に関する調査を記録している。 
 
 以下は、われわれが艾暁明に行ったインタビューの要旨である。 
 
 ――なぜ四川大地震を撮影テーマに選んだのか? 
 最初は四川に行くつもりはありませんでした。マスコミの記者は補充要員もいるし、飛行機やボートで現地入りできるけれど、こちらはカメラの三脚を担ぐのもやっとですから、無理だと思っていました。でもその後、現地のボランティアの方から電話があって、2008年の6月15日を境に、メディアは引き揚げたと聞きました。ですから私は現地に行き、いったい何が起きたのか、救済や人間愛や栄誉の裏にあって、見えるものと見えないものは何なのか知りたいと思いました。 
 実際に行ってわかったのは、これほど大きな人災ともいえる事件には、民間による記録があってしかるべきだということです。人々が事件の中で肉親を失っていく痛みを、庶民の目線に立って、何の制約も受けずに観察・記録する必要があるのです。また、校舎倒壊の影響は非常に多くの児童に及んでいます。これは私がこれまでずっと関心を寄せてきた、女性と子供というテーマにも通じます。ですから四川に行くことにしたのです。 
 
 ――この2作品は中国国内では上映できない可能性があるが、これらの作品にどのようなことを期待しているか? 
 社会事業のような働きを期待しています。視聴者が映画を観たあと、自分の元々の認識と食い違いっているなと感じれば、その人は映画が語る社会問題について考えるでしょう。どうしてこういう問題があるのかと。そうやって考える過程で、今まで見えなかったものが見えてくるようになります。これこそが、目まぐるしく変化していく中国の社会では、われわれ一般人の助けになると思うのです。われわれは互いにどう関わっているのか、われわれ市民の権益はどういった困難に直面しているのか、それらを守ろうとすればどういうことにぶつかるのかを知るための助けです。どういう状況であれば透明度が高いのか、低いのか。これはすべての市民にとっての必須科目です。 
 たとえば『我們的娃娃』は、実際に学校で手抜き工事があったかどうかについては答えを出さず、その問題を視聴者に投げかけています。なぜわれわれは手抜き工事だったのかどうかを、はっきりさせられないのか? はっきりさせる必要はあるのか? あるなら、それを邪魔するものは何か? 
 
 ――撮影中、妨害されたことはあったか? 
 ありました。2作品とも撮影中の圧力が大きく、脅迫ともとれるほどでした。地方ではなく、国からのです。現地に行く前に、「合法的権利の保護も、映画の撮影もやめろ」と言われました。当局が私の名前を四川省国内安全警備隊のブラックリストに載せたため、仕事を進めるのが本当に大変でした。毎日、撮影が終わるとくたくたになりますから、ホテルでお風呂につかって、ゆっくり寝たいと思うでしょう? でもホテルに行けば身分証の提示を求められますし、拒めばどこまで監視されるかわかったものではありません。 
 ある晩、私たちは民家の軒下で寝ていました。真夜中、それまでひさしの両脇に落ちていたはずの雨水が中央に流れてきたんです。飛び起きて、必死になってカバンで水を捨てたので、幸い機材は濡れずにすみました。本当に辛かったですね。誰だってこんな目には遭いたくありません。でも嘘をつくわけにはいかないときもあるんです。 
 
――2作品には、村民自身による映像記録も含め、民間の映像が 大量に使われているが、なぜそのようにしたのか? 
民間で制作されたDVDは都江堰や綿竹、洛水鎮などの街頭でたくさん売られています。映画の中には、市民が地震発生の5月12日当日に撮影したものを記者や弁護士に送り、それがさらに私に転送されてきた、というものも出てきます。ここが民間映像の面白いところで、記憶を保存する1つの手段になっているんですね。1枚の値段はほんの数元ですが、コストに応じて複製されます。そこに一種の願いが込められている……知ってほしい、覚えていてほしいという願いです。私たちが驚天動地の災害を体験したことは、記憶の一部であり、精神生活の一部です。でなければどうして売ることなどできるでしょう? 
 世の中には大量の映像が存在していますが、市民は個人的な記録として写真、デジタルビデオ、携帯電話など、様々な方法で子供への哀悼を表しています。どの小さな記念碑にも子供の名前が刻まれ、写真が添えられています。ただそれらは、適当な機会がなくて公にされなかっただけなのです。しかしこれらの目が存在している限り、人々は社会を見つめていきます。この社会の学校校舎はよりしっかり建てられていっているか? 同じような悲劇が繰り返されないか? そして、自分たちはいつか子供への哀悼を公然と表現できるか? しかし、親たちは別に記念碑を打ち壊すわけでもなく、ただ追悼会を開くだけで、辺りはパトーカーだらけになり、外部の者は一人として入れない立ち入り禁止区域になってしまうのです。ドキュメンタリーは観察するための一つの姿勢です。記憶は様々な形で残りますから、亡くなった子供たちが尊重されなければ、この記憶は永久にふさがらない傷にもなるのです。 
 
 ――『我們的娃娃』の撮影終了後、なぜ続けて『公民調査』を撮影したのか? 
 地震の記録という以外に、市民社会の成熟にとってより重要な記録になると思ったからです。譚作人、艾未未、ほかにも多くの一般の方が調査に参加しましたが、皆さん地震の被災者とは直接の利害関係はありません。職業も、性格も異なる普通の人たちです。普通の市民というのはどんな人たちで、彼らがどうして四川に行こうとしたのか、子供たちの父母とどう向き合ったのか見てもらいたかった。 
 この作品は、四川地震による校舎倒壊被害についての最初の市民調査がどう生まれたのかを記録しました。校舎倒壊という一大事です。中央の多くの高官や部門は承知していながら、誰ひとり報告書を作成しませんでした。わずかに2名の下っ端役人が作成しましたが、それは単なる文字の羅列、ただの記録です。しかし、市民調査は脳みそを叩きながら書かれたものではありません。長い道のりを歩き、たくさんの交流がありました。直接の利害関係のあるグループも手に手を取って協力しました。このドキュメンタリーで提示したかったのは、市民調査を率先している人物の置かれている状況です。 
 彼らの努力は、人の目に触れなければ埋もれてしまい、公共の記憶、公共生活の経験になり得ません。これは中国の市民社会がどのように形成されているかに関係しています。私が非常に重要だと思うのは、この社会を統治する者にはこういった知識も必要だということです。ですから、税関が私の荷物を調べた時、私は言ってやりました。『我們的娃娃』とか『公民調査』を探しているなら、コピーして差し上げますよって。でもいらなかったみたい。 
 
 ――『公民調査』の最後に、譚作人が実際に調査していたときの写真がたくさん出てくるが、どのような考えでこうしたのか? 
 ちょうどその時期の映像がなかったんです。彼は謝貽卉〔譚とともに市民調査を行った、成都在住の女性〕とともに、1500キロを自分の足で歩きました。彼は文字通り命がけで、ぐちゃぐちゃになった被災地や打ち砕かれた山河の測量をしました。少しでも元に戻すのに役立てたい、自分も何か引き受けたいという思いだったのでしょう。こんなに素晴らしい市民は、私たちのこの社会ではじつに貴重な財産です。あの刑務所の所長や裁判官たちには、是非この映画を見てもらいたいですね。そして見終わったらよく考えてもらいたいのです。国家政権を転覆させようとしているのはどちらなのか。この人か、それともあなた方か。あなた方は法の秩序を踏みにじり、一人の優秀な市民を牢屋に入れました。これこそ国家政権を転覆させることにほかなりません。 
 
 ――ご自身の身の安全が心配では? 
 怖いけれど、仕方ありません。私も以前は、林昭〔1932−1968。蘇州出身の女性。北京大学在学中、右派分子と見なされ自殺を図るも失敗。その後、病気療養中の上海で、社会の悪弊を批判する雑誌『星火』に参加し逮捕される。病が悪化し、一時出所、入院していたが再び逮捕。獄中、何度も絶食や自殺を試み、たびたび上海市長や人民日報に血書を送る。1968年に死刑判決を受け、銃殺された〕がなぜあんなに勇敢だったのかわかりませんでしたし、同じようにやれと言われても自分にはできないと思っていました。誰だって生活をかき乱されるのは嫌ですし、仕事の負荷があまりに重くなるのも嫌ですから、難しい選択を迫られることもあります。 
 しかし作品を作るときには、たとえば嘘を言ってはいけないといった、職業倫理があります。ただ、それが何にでも影響しているというわけではありません。単なる職業倫理です。それに市民調査では、みんなとても頑張っていて、諦めませんでした。われわれの社会で最も危険なのは価値の崩壊です。譚作人、艾未未、ボランティアの方々の活動は実のところ、価値を修復する活動なのです。あの多くの人々は具体的な利益を得るために動いていたわけではなく、そうする価値があるからしていたのです。 
 私自身も含め、関係筋も私たちの動機を理解していなかったようですが、私たちが守ろうとしているのは、人権、公正、平等をひっくるめた、この社会の核心的な価値です。これらの価値は誰かが提唱し、行動によって広く示し、守っていく必要があります。しかも一人でではなく、みんなで一緒に守っていかねばなりません。譚作人、艾未未、私のドキュメンタリー作品、弁護士の浦志強、劉暁原、崔衛平〔1956−。北京電影学院教授で作家。「08憲章」の第一次署名者〕など、みんなでです。 
 私たちは、心の非常に狭い、階級闘争論の毒素でがちがちになっている人が言っているような、反中勢力でもスパイでもありません。この社会のこれほど友好的で健全な力をそんなふうに化け物あつかいすることは、非常に不健全な考え方だと思います。社会にとって不健全なだけでなく、そういう考え方をしている本人たちにとっても非常に不健全です。極端に言えばこれは一種の恐れです。自分が犯した過ちや、受けるかもしれない批判を恐れ、権力を持つ器ではないかもしれないと恐れているのです。 
 
〔 〕は訳注。 
 
艾暁明プロフィール 
1953年生まれ。1981年、華中師範大学中国語学文学科を卒業後、同大学で教鞭をとる。1987年、北京師範大学にて中国文学博士号を取得。1988年から1994年まで中国青年政治学院、1994年から現在は中山大学にて教鞭をとる。1999年から2000年、米テネシー州サウス大学で客員教授。帰国後、中山大学にて女性学教育を開始し、女性の権利に注目し始める。2003年からドキュメンタリーの撮影を開始。最新作は『公民調査』。2010年1月、郭建梅とともにシモーヌ・ド・ボーヴォワール賞を受賞。 
 
シモーヌ・ド・ボーヴォワール賞 
シモーヌ・ド・ボーヴォワールの生誕100周年にあたる2008年1月9日、ジュリア・クリステヴァ(1941−。ブルガリア出身の哲学者。パリ在住)によって創設された国際的人権賞。毎年1月、女性の自由のために顕著な貢献をした人物または団体に与えられる。 
 
原文=『亜洲週刊』2010/1/24 張潔平記者 
翻訳=佐原安希子 


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