2010年05月23日10時05分掲載  無料記事
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中国

青海省大地震、ラマ僧が救援活動の先頭に 政府に先がけ遺体搬出、魂を供養、被災民に施し

  2008年の四川大地震の傷も十分に癒えていない中国で、今年4月、青海省で再び大地震が起きた。ここは標高約3700メートルの高地で、アムドと呼ばれるチベット世界である。現地を取材した『亜洲週刊』の記事からは、チベット仏教の力がどれほど強く働いているか、中国の政府系がどれほど「気を遣っている」かが感じ取れる。中国政府がこの被災者救援によって現地の信頼を得ることに成功したのかどうか、それは今後わかることだろう。(納村公子) 
 
 青海省玉樹県、ケグ・ゴンパ(結古寺)。この寺からはケグ村の全体をはるかに望むことができる。 
 「もう何も見えない、どうしたらいいのかわからない。全ては塵と化してしまった。2時間ちょっとの間にこんなことになってしまったんだ。何もかも全く変わってしまった」。僧侶ゲレク・テンジン(格来旦増)はこう言った。寺から眺めると、村に新しく建てられた政府機関のビルとホテルのショッピングセンターを除き、完全に残っている民家はひとつもない。全て倒壊し、つぶれている。 
 
 ここは地震発生後のケグ鎮。青海省玉樹チベット自治州の州都であり、玉樹県の県庁所在地でもある。4月14日午前7時49分、マグニチュード7.1の巨大地震がこの土地を襲った。鎮の90%の民家が損壊、数千人が被災、そして10万人が住む家を失った。住民の大多数はチベット族だ。21日17時現在、政府発表による地震の死者は2183人、行方不明83人、けが1万人余り、となっている。 
 
 ゲレク・テンジンは地震発生当時の情景を語った。「はじめは本当に怖くて、部屋の中に駆け込もうと思いました。でも師匠たちが『我々は僧侶なのだから自分のことはさておき、全力で他人を助けなければならん』とおっしゃったので、山を駆け下りて行って救援活動をしました。道具が何もなかったので、素手で瓦礫を取り除きました」 
 
 救援活動に向かえと中国政府が全土に動員をかけていた頃、また救助隊の兵士や大型の救援設備を乗せた車が被災地へと向かう途上にあった頃、被災地では深紅一色の光景が人々の注目を浴びていた―――現地の僧侶たちが地震発生直後から救援活動を行っていたのだ〔チベット仏教の僧衣が深紅〕。僧侶たちは手製の鍬で穴を掘り、被災者のために施しを行い、経文を唱えて平安を願い、地震で傷ついた多くの人々の心を慰めていた。 
 
 被災地では、救援活動をめぐりさまざまな力が作用していた。生と死、政府と民間、ひいては漢族とチベット族……全ては今回の大地震をきっかけに徐々に展開されていった。 
 
▽火葬で死者を弔う 
 
 地震で亡くなった人々の遺体は山の荒れた斜面に幾重にも重ねられていた。遠くからだと、土ぼこりや血の染み、ねじまがって異様な形の遺体の様子がぼんやりと見えるのみ。赤い袈裟を着た僧侶が経文を唱えながら、裸のままの遺体の上にバターをかけ、白木を並べる。積み重なった遺体の下には、幅10数メートルの人間の背丈より少し深いくらいの穴が2つ開いており、死者が生前使っていた品物や彼らが最後に身につけていた衣服などが積み上げられていた。 
 
 9時50分、炎が天に向かって立ち上った。まっすぐに空高く天の果てまでも伸びた煙は、きっと村の隅々まで見渡すことができたであろう。 
 
 ここは大地震発生から3日が経過した玉樹県ゲグ鎮だ。 
 チベット人の伝統では、家族が亡くなって3日経つとアカ(チベット仏教の僧侶)を招き、経を読んでもらって死者が成仏できるよう弔うのだが、今回、大きな災害に見舞われた玉樹では、地区で最も大きいケグ・ゴンパが「ザシダートン(扎西大同)」の鳥葬場で、犠牲者のために法要を営むこととなった。集団での火葬が行われるのはとても珍しい。 
 
 4月17日、この儀式の光景はそこにいた全ての人々の目に焼きつけられた。 
 天高く立ち上る炎はあっという間にあらゆるものを飲み込み、全ては無と化した―――学校で圧死した高校3年の女子学生、朝早くまだ夢から覚めない2歳の赤ちゃん、寺で、倒れてきたマニ車に押しつぶされた老人、玉樹に家を建てた四川省の若者……。 
 
 低い読経の声が向かいの山から聞こえてきた。それはケグ・ゴンパがある玉樹地区や四川省ガンムー地区などを含む、一帯のチベット・カンパ族のエリアから駆けつけた1000人ほどの僧侶が、数珠を握り、目を閉じて静かに経文を唱えている声だった。彼らの隣では三々五々やって来た民衆が、向かいの炎をじっと見つめ、手を合わせ、ひと時も休むことなく厳粛な面持ちで「オン・マニ・ペメ・フム」とチベット仏教のマントラを唱えていた。 
 
 30歳のダワン(達旺)は経を唱えながら涙を流していた。彼の70歳になる母と18歳の姪がこの炎に焼かれているという。「もう二度と輪廻の苦しみを受けることがないよう、この青い煙が2人を極楽浄土に連れて行ってくれますように」と彼は語った。 
 
 炎はまる2時間燃え続けた。鳥葬場のあたりではハゲタカが群れを成して飛んできた。3、40羽のハゲタカは煙の周りをぐるぐると低空飛行し、しばらく経ってからようやく去っていった。 
 
 「以前、荼毘に付されることが許されたのは悟りを開いた高僧とラマ僧だけでした。庶民や普通の僧侶は鳥葬で弔うのです。しかし今回は事情も事情だし、人数も多い。この人数ではどんな鷹でもついばみきれないでしょう」。葬儀を手伝ったラマ僧、ダンバ・ツェレンが話してくれた。35歳の彼は北京から故郷に戻ってきたばかりで、目の前の山のように積み上げられた遺体を前に、眉間にしわを寄せ、ずっと顔をこわばらせている。「私は仏を信じます、因果応報も信じます。でも今は本当にどうしても信じられない、理解できない……」 
 
 法要の後で、ケグ・ゴンパ管理会主任のプルブ(普布)は本誌の取材に対し、この日火葬した死者は1363名、このうち1300名ほどについては名前や家族との連絡方法など詳細な身元が分かっているが、60名ほどは名前の確認ができない、と明らかにした。 
 
 興味深いのは4月17日の午前中、火葬の儀式が行われていたのと時を同じくして、玉樹震災救援対策指揮部が記者会見を開き、席上、最新の犠牲者数を1339人と発表していた、ということだ。当日の夜には、その数は1484人に上った。 
 
 この1339人には、僧侶たちの手で荼毘に付された1000人余の犠牲者は含まれているのだろうか?明らかにおかしい。記者会見当日、ある記者が現地の民政局職員に僧侶が火葬を行っている状況について質問をしたが、彼らは何も知らなかった。 
 
 ケグ・ゴンパの若い僧、ゲレク・テンジンによると、地震の開始直後からケグ・ゴンパの550人余りのラマ僧は全員村内の各所に散らばって救援活動を行ったという。このほか、僧侶たちは引き取り手のない遺体を、寺のなかにある、ふもとの宗教集会所に収容したりもした。 
 
 「我々の伝統では、遺体は手足をしっかりと縛ってから身体を嬰児のように丸め、それから布でくるむのです」。こうした弔いのための準備は、僧侶たちが自ら引き取ってきた遺体だけに行うのではない、とのことだ。瓦礫の下から発見され、家族が寺まで運び込んで僧侶に託した遺体についても同様の作業を行う。 
 
 「私たちはできる限り一人ひとりの名前を記録しました」。ゲレク・テンジンは小さなノートを取り出し、記者に見せた。そこにはチベット文字でびっしりと犠牲者の名前と家族の連絡先が書き込まれていた。「4月16日までにここに積み上げられた遺体は1000体余りに上ります。ひっきりなしに遺族が亡くなった方をこちらに連れてきますし、逆に、寺ではなく家族で死者を弔うため、遺体を引き取りにこられる方もおられます」 
 
 ではこれら寺院が収容した犠牲者の氏名や人数について、当局と情報交換しているのだろうか。ゲレク・テンジンはわけが分からない様子で首を振った。「そんなことしていませんよ、なぜですか?」 
 
 チベットでは、人の生死は寺が管理する事柄である。玉樹には火葬場がない。通常は、誰かが亡くなると家族がラマ僧に頼んで死者を成仏させ、鳥葬を執り仕切ってもらう。幼い子供が夭折した場合は往々にして水葬が行われ、伝染病で亡くなった者は土葬で弔われる。玉樹の人々は、これらは全て彼ら人間と仏との間のきまりごとだと言う。 
 
 村の入り口を流れる通天河では、チベット人がしっかりと布にくるんだ小さな遺体を河に流す光景を毎日目にしたが、これらの遺体は死亡統計に含まれているのだろうか。これには地元玉樹県の公務員ですらお手上げである。「宗教上のことですので、我々にはどうしようもありません」。ザシと名乗るこのチベット人男性は地元の役所に長く勤務しており、宗教の力に代わるものはないことをよく知っている。 
 
 四川省の什邡から来た救援部隊の周国興隊長によれば、「上層部から特別に注意があったのです。少数民族地区ではその土地の伝統を尊重するように、と」という。 
 
 周国興隊長は20人の小分隊をつれて地震発生当日の14日の夜、玉樹県に到着したが、救助活動は思ったようには進まなかった。「現地で倒壊した建物のほとんどが土木建築の家屋で、鉄筋コンクリートの建物が倒壊した四川大地震のときとは大きく違いました。というのも、建物の下敷きになった場合、土だと密度が高いのでぴったりと埋められてしまいます。つまり人間が生存するために必要な空間が殆どなくなってしまうのです。ですから、地震発生直後に救出できないのであれば、後になって助け出すことはとても難しい。生存者がいる可能性が非常に低くなります。」 
 
 彼らは玉樹西部の倒壊が最もひどい民家で、繰り返し捜索活動を行ったが、瓦礫の下から見つけ出した人々のほとんどはすでに亡くなっていた。しかし「少数民族地区」に対する特別な配慮から、周隊長らはかつて四川で行ったような、遺体を見つけたらまとめて引き取り、役所に引き渡して火葬の準備をすすめてもらう、という方法を採ることはなかった。「正直に言うと、ここで我々が担ったのは捜索活動で、遺体は見つけてもそのままにしておきました。そこから先の遺体の処理は、ラマ僧がしてくれるからです」 
 
▽死者の数に疑問 
 
 周氏の救助隊が隣人の遺体を掘り出すようすを見ていたチベット人の若い女性、ダヤン(達様)さんはこう語る。「救助隊が遺体を掘り出すと、毎日巡回に来るラマ僧がそれを包んで、経を唱え、寺院に運ぶの」 
 
 周氏によれば、遺体の数や発見した場所など基本的な情報はきちんと報告しているという。当然その数は政府の統計に反映されており、僧侶らの記録と一致するはずである。 
 しかし僧侶や家族が直接遺体を掘り出して火葬した場合、その数字は政府の統計に反映されない可能性が高いと玉樹の民政局の関係者は語る。 
 寺院と政府はともに人を救い、物資を送るという同じ救援活動を行っているが、それぞれ独自のルートで行っていることが死者の数字の違いに象徴されている。 
 
 軍、武装警察、消防隊が駆けつけ、決して広くはない幹線道路でひしめき合いながらシャベルやスコップまたは大型の機械を使って救援を行っている一方で、被災地で目立っていたのは僧侶たちの深紅の袈裟だった。 
 
 真っ先に現場へ駆けつけたのはケグ・ゴンパの僧侶たちである。4月14日、政府の救助隊がまだ到着していない段階で、僧侶たちは素手または簡単な道具を使って、人々と一緒になって生存者を助け出していた。 
 
 ゲレグ・テンジンはその時のことをこう語る。「5時40分過ぎに地震が来たが、その時は建物が少し揺れただけだった。8時ごろ朝の活動をしていると、突然大きな揺れが来て電気が止まった。ただ事ではないと思い、我々は外に飛び出した」 
 
 ゲレグ・テンジンによればケグ・ゴンパも地震によって危険な建物となり、被災した僧侶も1人いた。しかし500余人の僧侶はすぐに現場へ散らばり人々の救助に尽力したそうだ。 
 中心地近くの哈秀寺、嚢謙県の公雅寺、四川省甘孜州の色達県喇栄五明仏学院、石渠県色須寺、白玉県亜青寺、昴章寺などの1000人にのぼる僧侶らも、地震発生当日から続々と救援に駆けつけた。西寧から玉樹へと続く800キロの道は、正面に活仏の肖像を飾り、車体にタルチョ〔経文が印刷された5色の旗〕やチベット語の横断幕をかけた寺院の車でいっぱいになった。 
 
 廃墟と化した現場にはいつも僧侶の姿があった。ある時は自ら遺体を掘り出し、またある時は救助隊が遺体を掘り出すのを見守り、掘り出された遺体を供養するのである。 
 
 西寧から派遣されていた当局の関係者によれば、地震発生直後からの数日間、多くの人々が救援活動に不満を感じていたと言う。「軍の車や兵士のせいで道がふさがれていた。道端には10メートルおきに民家が倒れているのに、手付かずで放置されたまま。救助隊はみな旗を立てるのに夢中なんだ」 
 
 思わず不満の声が出てしまうのだろうが、言葉も通じないうえに、高山病と戦いながらの救援ということになると、部隊と地元住民との間に溝ができてしまうのは仕方ない。その点、僧侶たちの活動はとても頼りになる。たとえ救援の経験や道具が不足していたとしても、現地の地形に詳しくチベット語が話せれば、住民の信頼も得られ、柔軟で効果的な対応ができるというものだ。 
 
 救助だけでなく、寺の物資も人々に分け与えられた。 
 格薩(ケサル?)王広場の近くでは、甘孜州の色達県喇栄五明仏学院が喜捨のためのテントを張り、巨大な鍋2つを並べ、人々に粥を施した。 
 
 地震直後、結古の街は断水、停電、物資不足にみまわれた。子供をかかえるチベット人女性ヤンチェンさんはその数日のことをこう語る。「食べ物も飲み物も、みんな僧侶が与えてくれた。その一方で“あの人たち”も与えてくれたけれど、奪い合いになってもらえなかったわ」 
 
▽ここに法はない。あるのは仏だけ 
 
 彼女の言う「あの人たち」とは政府や赤十字のことである。4月15、16日の2日間、政府の車が救援物資を運んでくると、あっという間に奪い合いが始まって収集がつかなくなった。しかし僧侶の施しとなると話は別だ。インスタントラーメン、ミネラルウォーター、さらにツァンパ〔ハダカムギを粉にして作ったチベット人の主食〕や濃い粥が配られても、そこに僧侶がいれば奪い合いなど起こらない。 
 
 チベットに何度も来ている記者がしみじみと言った。「ここに法はない。あるのは仏だけだ」 
 
 民間団体である蘭州カルマンラリーチームは20万元分の食糧や物資を寄付しているが、そのうちの3分の1をケグ寺に送っている。寺院は地元のことをよく知っているし人望もある。ラマ僧は人々に信頼されているので、寺を通じて救援物資を配った方が効果的だとチームのリーダー顧屹氏は言う。そして、こうも付け加えた。「同時に我々は赤十字や民政局にも寄付を送った」 
 
 深紅の袈裟を着た僧侶たちは、もっとも影響力のある存在だ。しかし中国大陸のメディアが、ラマ僧たちの救援活動や施しについて語ることは少なく、政府軍の救援活動に関する報道に比べると、写真も文字も圧倒的に少ない。 
 
 「宗教問題と民族問題はとてもデリーケート」と取材に訪れていた中国の記者は言う。「とくに上から言われたわけではないが、我々は自主規制している。ラマ僧に関する話題はとくに注意が必要なんだ」。新聞社に送る原稿も“死者の魂を供養する”“ラマ僧による救済活動”“僧侶による施し”など、僧侶に関する言葉は削られてしまう。「読者に伝えられるのは事実のうちのほんの一部だけ」と残念そうに語る。 
 
 この記者によれば、今回の地震報道は2008年の四川大地震の報道のやり方を踏襲しており、もっぱら救援のエピソードや美談の記事が中心だという。「だけど今回はチベット族自治区ということで、四川とは状況も違うし、複雑な事情が絡んでくるんだ」 
 
 4月14日、国務院の回良玉副総理は被災地に赴き、第一線で救援活動の指揮をとった。続いて16日には温家宝総理も現場に向かい、救援作業の指導を行った。胡錦涛国家主席も米国訪問を早めに切り上げて帰国し、被災者を見舞うため18日に現地入りした。4月20日、中央電視台の「情繋玉樹、大愛無疆(玉樹へ届け、無限の愛)」というチャリティー番組では21億7500万元(約3億3000万ドル)の義捐金が集まった。 
 
 ケグという小さな街がこれほど多くのヘリコプター、車、要人や多額の義捐金を受け入れたことはいまだかつてなかった。三つ編みの髪をまとめ、マニ車(訳注:チベット仏教の宗教用具で、回すと経を唱えたことになる)を手に持ったチベットの人々が、地震によってこれほど生活が変わるとは思いもしなかったろう。 
 
 多くの純朴なチベット人が、温家宝を活仏と見なした。四川救援隊が被災者を助け出すのを見ていた年配のチベット人女性は、道端で涙を流しながら「共産党万歳!」と叫んだ。 
 
 地震から3日目ともなると、崩れた仏塔の前に集まってマニ車を回す人々の姿が見られるようになる。息子を亡くした父親はこう語る。誰でも前世の罪を清めなくてはならない。活仏によって彼岸に導いてもらえば息子は極楽に行くことができ、二度と輪廻の苦しみを味わわなくてすむだろう。 
 
 母親を亡くした青年は、地震のことを人々に与えられた因果だと考える。彼はまじめな表情で、今後は環境を守ることに力を入れるべきだと語る。「ここ数年で玉樹は多くのチベタンマスチフ〔チベットの大型犬で、最近は中国の富裕層に人気がある〕を売り、鉱山を切り開いた。金持ちも増えたけど悪い人間も増えた。これ以上罪を重ねてはならない」 
 
 10歳の息子を連れたヤンチェンさんは、地震以来、自分の息子を寺院に入れて僧侶にしたいという思いがますます強くなったと言う。「僧侶はすばらしいわ。生きている人にも死んだ人にも必要だもの。普通の職業はどうも好きじゃないわ。僧侶は悪いことをしないし、一番いいと思う」 
 
 21億元もの義捐金やさらに多くのさまざまな寄付が、チベットの人々にとってどれだけの意味があるのかは分からない。彼らの多くは、災害も運命であり生き残るのも運命だと語る。救援活動が終わりを告げ、これから長期にわたる復旧事業が始まるわけだが、そこで政府はいかに宗教の力と関わっていくべきなのだろうか。そして政府が与えたいと思うものだけでなく、チベットの人々が本当に欲しているものをどうやって与えていけばよいのだろうか。これを考えることで、漢人とチベット人の距離を縮める良いきっかけがつかめるかもしれない。 
 
原文=『亜洲週刊』2010/5/2 張潔平記者 
翻訳=前半:藤森一葉、後半:本多由季 
翻訳にあたり、漢語で書かれた固有名詞についてはできるだけ、チベット語のカナ表記にしたが、不明な部分は漢字のままにしている。 
〔 〕は訳注 


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