2010年06月04日21時20分掲載  無料記事
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政治

「信なくば立たず」を生かすとき 「鳩山」後の新首相に不可欠な条件 安原和雄

  「鳩山」後の新首相に要望したいことがある。それは『論語』で知られる「信なくば立たず」、つまり民(たみ)の信頼を第一とする政治姿勢を貫いて欲しいということである。これを怠れば、新首相も短命に終わるほかないのではないか。 
 鳩山退陣の真因は何か。カネ疑惑も重要だが、それ以上に沖縄の民意を軽視したことにある。沖縄の民意は世論調査によれば、脱「日米安保」であり、脱「米軍基地」である。鳩山政権と同じ失敗を繰り返さないためには、この民意を誤りなく汲み上げていく以外に妙手はない。そのための第一歩として首相自身が日米安保体制の呪縛から自らを解放することである。そこから日本再生への道が開けてくるだろう。 
 
 まず「信なくば立たず」の昨今の日本的風景について感想を記したい。それは責任の重い立場の人物であるにもかかわらず、その日本語表現に違和感を抱かないわけにはいかない事例が少なくない。以下にその具体例を挙げたい。 
 
▽ 違和感のある語法(その1) ― 鳩山首相の辞意表明から 
 
 その一つは鳩山首相が6月2日午前の民主党両院議員総会で行った辞意表明である。テレビで一部始終を観た感想では評価できる部分も少なくなかったが、気になるのは次の発言である。 
 
 残念なことに、政権与党のしっかりとした仕事が、必ずしも国民の皆さんの心に映っていない。国民の皆さんが徐々に聞く耳を持たなくなってきてしまった。そのことは残念でならないし、まさにそれは私の不徳の致すところ、そのように思っている ― と。 
 
 違和感を覚えたのは、上記発言の中の「国民の皆さんが徐々に聞く耳を持たなくなってきてしまった」という部分である。この発言はその後も記者団を相手に繰り返しているところをみると、本人は違和感を感じていないらしい。 
 しかしこの言い回しでは「首相としての私と政権与党の政策は正しいにもかかかわらず、国民の皆さんの誤解によって聞き入れてもらえなくなった」と、国民に責任を転嫁するニュアンスが残る。これでは民意をしっかり理解することはできない「お坊ちゃん宰相」らしい傲慢さが顔をのぞかせてもいる。 
 ここはこう言い直すべきだろう。「国民の皆さんのお心に徐々に届かなくなってしまった。まさに私の努力不足と不徳の致すところ」と、首相としての自らの責任を明確にして国民に謝らなければならない、と考えるが、どうだろうか。。 
 
▽ 違和感のある語法(その2) ― 朝日新聞主筆の<信なくば立たず> 
 
 もう一つは、朝日新聞本社主筆の舟橋洋一氏の「<信なくば立たず>の教訓」という見出しの記事(朝日新聞6月2日付朝刊)である。気になるのは次の文章である。 
 
鳩山首相は、沖縄県名護市の「辺野古周辺」への移設を閣議で決定、米大統領との約束を形の上で果たした。(中略)連立から社民党が離脱したことで、政権の体力と求心力は一気に衰えている。日米首脳間の信頼関係、さらには日米間の信頼関係がこれで修復されるかどうかはなお不透明である。 
 「最低でも県外」「トラスト・ミー」「海兵隊の抑止力を学んで知った」 ― 民主党政権は、日本の外交・安全保障にとって死活的に重要な日米同盟について、あまりにも言葉が軽かった。情勢分析と見通しが甘かった。認識が浅かった。そのことによって、日米同盟に深い亀裂をもたらした。同盟は「信なくば立たず」を基とする。日米「トラスト・ミー」危機はなお進行中である ― と。 
 
 上記の記事中、違和感を抱かざるを得ないのは次の指摘である。 
 日米同盟に深い亀裂をもたらした。同盟は「信なくば立たず」を基とする ― と。 
 
 ここでは「日本の外交・安全保障にとって死活的に重要な日米同盟」は日米相互の信頼関係があって初めて成り立つのであり、信頼関係が崩れれば、日米同盟は機能しなくなる、という文脈で「信なくば立たず」が使われている。 
 この「信なくば立たず」は古代中国の聖人、孔子(BC551〜479)の『論語』に出てくる有名な文句で、「民に、政府に対する信頼がなければ、世の中は立たず」、つまり政府に対する民衆の信頼こそが第一、という意である。だから論語のこの言葉を二国間の軍事同盟に応用するのには疑問を感じるが、いかがだろうか。 
 
 最初、「<信なくば立たず>の教訓」という見出しをみて、沖縄の民の信頼を失った鳩山政権のありようを批判する記事だと受け取った。ところが読み進むにつれて、米国政府の信頼を失っては日米同盟は立ち行かないという趣旨と分かって正直言って驚いた。しかも米国政府の視点から日本政府にもの申すという調子の記事なので、この記者の国籍はどこなのかと一瞬戸惑ったほどである。 
 最近は日本国籍でありながら、米国籍ではないかと錯覚させられるような人物が横行するという不思議な現象が目につく。しかし考えてみれば、これも日本国憲法によって言論、思想の自由が保障されているお陰であり、有り難さなのだろう。 
 
▽ 20年前の記事、「日本、亡国の淵に立てり」 
 
 ここで一つの記事を以下に紹介したい。 
 
 『論語』の有名な文句として(中略)、「民信なくば立たず」もよく知られている。これを現代風に理解するためには、その前段にある孔子と弟子との問答が重要である。 
 「食、兵、信の三つのうち、捨てなければならないとしたらどれか」と問われて、孔子はまず兵を、と答えている。兵つまり軍事力がなくても、食が足りて民が政治を信じていれば、大丈夫という意味である。 
 次になにを捨てるかと聞かれて、食をあげた。食糧がなくなれば、死を待つほかないが、しょせん人は死から免れない。国民の政治への信頼はそれ以上に大切なことだと孔子はいいたいのである。 
 日本の現実はどうか。米ソ、米中の急接近と軍縮への潮流の中でひとり日本だけが軍事力を増強するのに忙しい。一方、食は満ちたりていまや飽食の時代といわれる。ところがいちじるしく欠けているのが信すなわち政治への信頼である。 
 これでは話があべこべである。一番重要で不可欠であるべきものだけが実はないのだから、もし孔子が生きていたら、この日本をなんと評するか。「日本、亡国の淵に立てり」ということにでもなるだろうか。 
 
 この記事は、今から20年ほど前の1989年5月23日付毎日新聞「道標」欄に「今様孔子のたまわく」という見出しで載った署名記事の一部で、筆者は当時論説室の一員であった私(安原)である。昔の新聞切り抜き帳を引っ張り出して、この記事に目を通しながら、「歴史は繰り返すのか」という感慨が湧いてくるのを抑えることができない。 
 
▽ 「信なくば立たず」を今どう生かすか ― 脱「日米安保」へ 
 
 政治の要諦はまさに「信なくば立たず」であろう。これは昔も今も変わらない。では21世紀初頭の今の時点で「信なくば立たず」を生かすとは、具体的に何を意味するのか。鳩山首相退陣の理由として、首相自身、カネ(政治資金)と沖縄・米軍普天間基地移設の二つの問題を挙げた。 
 カネ疑惑もむろん重要なテーマだが、むしろ在日米軍基地撤去を求める沖縄の民意の方が大きいと考える。しかも沖縄の民意は「日米安保体制=日米軍事同盟」そのものを疑問に思っていることに注目する必要がある。 
 
 参考データとして沖縄の世論調査(5月31日付毎日新聞)を紹介したい。これは毎日新聞と琉球新報が沖縄県民を対象に実施(28〜30日)した合同世論調査で、主な内容はつぎの通り。 
・米軍普天間基地の辺野古移設=反対84%、賛成6% 
・反対の理由=「無条件で基地を撤去すべきだ」38%、「国外に移すべきだ」36%で合計7割超 
・鳩山内閣の支持率=8%(昨年秋の63%から大幅に下落) 
・米海兵隊の沖縄駐留=「必要がない」71%、「必要だ」15% 
・米軍の日本駐留を定めた日米安保条約=「平和友好条約に改めるべきだ」55%、「破棄すべきだ」14%、「米国を含む多国間安保条約に改めるべきだ」10%、「維持すべきだ」7% 
 
 この世論調査で見逃せないのは、日米安保条約の改廃を期待する意見が多国間安保を含めれば約8割にも達していることである。これは現在の日米安保が在日米軍基地を前提にしているのと違って、米軍基地の撤去を求める安全保障構想といえる。もはや沖縄の民意は米軍基地を抱える日米安保是認へと逆戻りすることはあり得ないのではないか。これを読み取れなかった鳩山首相は日米安保体制の金縛りから自由になれないまま、自滅したというほかないだろう。鳩山政権崩壊の真因はここにある。 
 
 以上のように考えると、新首相に必要不可欠な条件として次の二点を挙げることができる。これを怠れば、端的に言って新首相は鳩山政権同様に短命に終わるほかないだろう。 
 
*日米安保体制=日米軍事同盟を絶対視せず、脱「日米安保」を志向すること 
 二国間軍事同盟の時代は終わりつつあり、それが世界の新しい潮流となっている。特に日米安保=軍事同盟は「米国の覇権主義」という名の「私欲」を追求するための軍事的暴力装置にすぎない。すでに大義を失っている。脱「日米安保」を視野に入れて日本の再生策を追求するときである。そうでなければ、沖縄に象徴される脱安保の「民意」を生かすことはできない。 
*21世紀版「信なくば立たず」を実践していくこと 
 鳩山流の「国民が聞く耳を持たなくなってきた」という、自説を絶対視して国民に押しつけるようなもの言いは、本来の「信なくば立たず」の政治姿勢とは異質である。むろん「信なくば立たず」の勝手な拡大解釈もいただけない。民(たみ)の信頼を得るには民意を正しくしっかり汲み上げて、それを実行していく以外に妙手はない。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です 
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