2010年08月12日14時49分掲載  無料記事
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検証・メディア

首相会見の同盟英文テキストを発見  「悪訳」したのは米側  同盟通信の報道を検証する(2)

 ポツダム宣言「黙殺」をめぐるもう一つの記事が、鈴木貫太郎首相の記者会見である。これまで同盟が鈴木首相の「黙殺」を「ignore」と訳したとされてきたが、その同盟の英文記事自体が示されたことはなかった。同盟が鈴木の黙殺発言を「ignore it entirely」(完全に無視する)と訳したとする俗説さえある。この同盟の英文記事をこのほど発見し、「ignore it entirely」と「悪訳」したのは米国側であることが確認できた(鳥居英晴)。 
 
 鈴木首相の記者会見は、七月二十八日午後四時から開かれた。二十九日は日曜日で、会見での一問一答は三十日付の各新聞に掲載された。各紙、若干の表現の違いがある。 
 
(京都新聞) 
 問 三国共同宣言に対する首相の所信如何。 
 答 私は三国共同の声明はカイロ会談の焼きなおしに過ぎないと思っている。政府としては何等重大な価値があるものとは認めず、唯黙殺、断乎戦争完遂に邁進するだけである。 
(読売報知新聞) 
 問 二十七日の三国共同声明に対する首相の所信如何。 
 答 私はあの共同声明はカイロ会談の焼直しであると考えている。政府としては何ら重大な価値あるとは考えない。ただ黙殺するのみである。我々は戦争完遂に飽く迄も邁進するのみである。 
 
 同盟の配信記事を使った京都新聞には、「断乎」という言葉が入っている。仲晃は『黙殺』(二〇〇〇年)で、鈴木が回想録『終戦の表情』で「七月二十八日の内閣記者団との会見に於いて『この宣言は重視する要なきものと思う』との意味を答弁したのである」と述べていることをもって、記者会見では鈴木は『黙殺』の言葉自体を口にしなかったのではないかとしているが、新聞各紙が一問一答の形で多少の表現の違いはあるものの、「黙殺」という言葉は共通しており、使わなかったとは考えにくい。 
 
 仲は、鈴木首相の記者会見の内容は、日本では七月二十八日午後七時のNHKのラジオ全国放送で国民に伝えられた、としている。しかし、仲はその出典を示していない。北山節郎によると、米側傍受記録では、二十八日午後七時の同盟、国内放送、東亜向け放送、午後九時の国内放送、東亜向け放送に首相会見報道の記録はない。北山は、首相会見の報道は二十八日には、何らかの理由で、国内にも、海外にも伝えられなかった、と結論づけている(『ピース・トーク』一九九六年)。恐らく、翌日が新聞のない日曜日ということもあって、会見記事は三十日付朝刊解禁という縛りがつけられていたのではないだろうか。 
 
 同盟が首相発言を大東亜向けにローマ字日本語で送信したのは、首相会見二十四時間後の七月二十九日東部戦時時間午前三時(日本時間午後四時)。これを傍受したFBIS(Foreign Broadcast Intelligence Service)は、次のように英訳した。 
 
 I believe the Joint Proclamation by the three countries is nothing but a rehash of the Cairo Declaration. As for the Government, it does not find any important value in it, and there is no other recourse but to ignore it entirely and resolutely fight for the successful conclusion of this war. 
 
 北山が指摘しているように、「ignore it entirely」としたのはFBISである。「黙殺」が「実際には’ignore it entirely’(完全に無視する)と訳されて国外に伝えられた」(五百旗頭真『日米戦争と戦後日本』一九八九年)など、同盟がentirely(全面的に)を挿入して翻訳したとする俗説が流布している。北山の『ピース・トーク』の後に出版された里見脩『ニュース・エージェンシー』(二〇〇〇年)も、同盟が「entirely」を加えたとしている。 
 
 北山は、鈴木首相の記者会見を報じた同盟の英文記事を米国側資料のなかに発見していない。仲も鈴木首相の記者会見を報じる同盟の英文テキスト原文を示さずに論じている。 
 
 マレーのイポーで発行されていた英語新聞「ペラ新聞」(一九四五年七月三十日付)を入手した。そこに鈴木首相の会見を報じた同盟の英文記事が掲載されている。同新聞は昭南新聞会が発行していた。昭南新聞会は、南方の占領地区における新聞業務に関する軍の通告に基づいて、同盟が中心になって結成された。同紙の記事のほとんどは、同盟の英文記事である。当該の記事は次の通りである。 
 
 Premier Suzuki, in an interview with the press at his official residence, made a detailed explanation on various government policies being taken at his decisive stage of the war, and reiterated his conviction in sure Nippon victory. The Potsdam proclamation, he said, is nothing but a mere rehash of the Cairo declaration, and will be ignored by the Nippon Government. He reiterated that there is no change whatever in the Nippon Government’s established policy of fighting out this war to a successful conclusion. 
 
 鈴木首相の会見を伝える同盟英文記事が、“ignore it entirely” と訳していないことが確認できる。JapanがNipponになっているが、同盟の原文がそうなっているのか、同紙が変えたものかどうかは不明である。 
 
 三十日付のニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ロンドンのタイムズは、鈴木発言を伝えているが、同盟英文を引用していない。ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストはFCCがNHKのラジオ・トウキョウを傍受、翻訳したものをもとにしており、ignoreを使用していない。北山はラジオ・トウキョウの日本語放送が「黙殺」という言葉を避けたためではないかと推測している。 
 
 外務書記官だった太田三郎は同盟が「黙殺」をignoreと訳したのは誤訳だとしている。「総理としては“黙殺”を“ノー・コメント”のつもりでいわれたのであろうが、この総理談を海外に流した同盟通信は“イグノア”(無視する)と訳してしまった。わたしは明らかに誤訳だが、だれがそのように指示でもしたのかと思い、外務省と情報局の連絡をやっていた磯野総務課長に、ニュアンスが違うといってみたが、同盟の監督官庁は情報局だったので、わたしとしてはそれ以上クレームは付けようがなかった」(『昭和史の天皇』3)。 
 
 しかし、仲が『黙殺』で明にしているように、「黙殺」を「ignore」と訳すことは誤訳とは言えないであろう。同盟の英文記事の原文がないまま、これまで議論されてきたのは驚くべきことである。 


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