2010年09月14日00時16分掲載  無料記事
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政治

現在に対する見識と構想を(4) 世論調査という共同幻想 三上治

  若いころに新聞記者にあこがれた人は少なくないはずである。僕もそう思っていた。高校の同級生で新聞記者やジャーナリストになったのは意外に少なくないのが驚きなのだが、それに一度はあこがれを持った人は多かったのではないかと思う。それが社会正義を貫ける仕事である、あるいは自由な仕事であるというのが幻想としてあったためであると推察される。メディアへのこうした幻想はとうの昔になくなっているのだが、それにしてもマスメディア(大手のメディア)のありようには首を傾げることが多い。マスメディアの世論形成への影響力が無視できないだけにそう思えるのである。 
 
  今回の民主党の代表選挙に対してマスメディアはどう振舞うのか見てきたが、結果は予想通りだった。小沢一郎の出馬に対して冷ややかなのは致し方ないと思うが、出馬に疑問を投げかけるような酷評ぶりには驚きだった。 
 
  それらはこの間のマスメディアの政治的立場だからとやかく言わないとして、彼らの世論調査による支持率の使い方に疑問を呈したい。マスメディアの世論調査は世論の調査であるが、現在の方法が正確な世論の調査であることに多くの疑問をもっている。これは昔からアメリカ式の世論調査への疑問として言われてきたことだ。 
 
  これとは少し異なるがマスメディアの世論調査に対して、ネット(インターネット)の世論調査が対比され、しばしば結果は逆のことが多い。例えばマスメディアでは菅支持が圧倒的であるが、ネットでは小沢支持が圧倒的であるように。 
 
  そうするとここに一つの装置があるはずである。例えば、マスメディアが虚偽の世論調査なるものを作りあげていることが考えられる。しかし。マスメディアが偽装された世論調査を流しているという考えは否定しておく。そうではなく、世論調査そのものが世論の調査ではなくて世論調査の創造なのである。 
  世論調査に参加する人は、世論の持ち主の一人として参加するのではなくて、世論調査という土俵の上でゲームに参加するのだ。このゲームでは世論調査なるものの結果を知って(予測していて)そこに参加するのである。世論調査の結果が頭に描かれていてその結果を予測して参加するのである。世論調査という共同幻想に参加するのだと言い換えてもよい。 
 
  繰り返せば、世論調査に参加するのは個人としての世論ではないのだ。頻繁に繰りかえされる世論調査は見識や構想をうしなったマスメディアの政治的代用品である。見識も構想も喪失しているマスメディアの危機の現われだ。マスメディアの流す世論と民意は別のものであり、それを忘れない事が肝要である。 


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