2010年11月09日08時51分掲載  無料記事
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検証・メディア

ウィキリークスと尖閣ビデオ流出問題の間で

 例の「尖閣ビデオ流出問題」の件である。数日前に、たまたま、グーグルで国際ニュースを見ていて、このトピックにぶち当たった。その時点では、「流出、けしからん」論が非常に強かった。驚いて、何か書こうと思ったが、一筋縄では行かない気がして、2−3日が過ぎた。今朝ぐらいまでに、すっかりいろいろな意見が出て、「流出でもいいじゃないか」「出たほうが良かった」という意見もぞくぞくと出るようになっていて、ほっとした。(ロンドン=小林恭子) 
 
 私が尖閣ビデオ流出問題を知ったとき、いわゆるウィキリークス的な話で、あまりにも似ている状況だ、と直感として思った。しかし、その反応は、少なくとも当初、日英の間で、あまりにも大きく違っていたように思う。(英国では、ウィキリークスの場合、「すごい!」「よくやった!」という好意的な反応があり、焦点はその後、リークの中味の議論に移る。) 
 
 
 ウィキリークスの話は、ジャーナリズムの面、軍事機密の面、ネットの常態化の面から、非常に大きなトピックであろう。アメリカ(だけ)の話でなく、日本も関係している(ネットでみんながつながっている)、ネット上の情報をどうするかの話でもある。尖閣ビデオ流出問題での日本のいろいろな人のあわて方(?)をみると、やっぱりというか、そういう状況を想定してなかったのだろうか。 
 
 ・・・という過去の話は良いとしても、今、本当に、ドンドン、ネットで情報が「勝手に」出る状況になっている。 
 
 その「勝手に」出る状況は、1つの、新たな「リークを元にしたジャーナリズム」になっているのではないかと思う。前からもリークを元にしたジャーナリズムはあったのだろうけど、ネットの出現で、誰でもが、「そのまま」出せるようになったわけだから、そういう意味で、新しい感じがする。 
 
 「勝手に出る」ことが常態になった時、いろいろ、不都合なことや恥をかくことはたくさんあるだろうと思う。例えば、「国の沽券」とかは、吹っ飛ぶのかもしれない。 
 
 「あえて、勝手に(許可を得ずに)出す」ジャーナリズムが、国民の了解・支持を得られるのは、公益がある場合だろうと思う。(その公益があるかないかは、情報を出す人が決める、そして情報を得た人が、判断する。) 
 
 ・・・っていうのは、私の持論というわけではなく、ウィキリークスに代表される、権力に挑戦するジャーナリズム・あるいは行動の理由付けに使われている。 
 
 それと、尖閣ビデオ流出問題やウィキリークスをちょっと脇において、「当局」というか、政府というか、いわゆる「お上」と、どういう関係を持つか、という点も気になる。 
 
 「当局」が気に入らないこと、憤慨すること、恥ずかしく思うことをあえてする=ジャーナリズムの使命・・というのが、きれいごとかもしれないが、英国のジャーナリズムの基本的態度だと思う。(きれいごとばかり言っているようで、恐縮ですが。) 
 
 (軍事機密をどうするのか?という問いもあるだろう。軍事に限らず、「機密」は今、常に破られる・暴露される時代になっているのだと思うー英国にいると、そう思う。もちろん、今回のビデオが本当に「機密」に足りえたのかという議論もあるだろうと思う。)(「英国メディア・ウオッチ」より) 


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