2010年12月19日22時37分掲載  無料記事
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コラム

映画館の入替制に思う 

  かつては映画館で一日何回でも同じ映画を繰り返し見ることができた。しかも一回分の料金で朝から晩まで。そう言うと最近では驚く人も少なくない。30代以下の観客には入替制しか知らない人が多いからだ。 
 
  昔の映画館には様々な役割があった。映画を見る、という以外にも、食う、休む、時間をつぶす、待ち合わせる、中には痴漢をしにくる者や、愛し合ったりする人もいた。かつての映画館には漫画喫茶やインターネットカフェに近い要素もあった。しかし、入替制の普及ととともに、こうした機能は消滅していった。 
 
  日本で映画の入替制が始まったのは38年前に遡る。最初に映画の完全入替制を敷いたのは神田神保町にある岩波ホールである。岩波ホールのホームページによると1972年2月に新しい映画上映運動、「エキプ・ド・シネマ」がスタートした。それまで日本であまり上映されなかったアジア、アフリカ、中南米など欧米以外の映画を岩波ホールが積極的に紹介したのである。また欧米の映画であってもハリウッドの娯楽超大作とは一味違う優れた作品を上映した。その功績は大きい。しかし、岩波ホールで始まり、後に全国に普及した入替制は映画を見たい普通の人にとっては大きな障壁になってしまったように思えるのである。 
 
  入替制を取る映画館が多いのは営業上の根拠があるのだろう。映画は芸術だから最初から最後まできちんと鑑賞してもらう、といった表向きの理由もあるかもしれないが、経営的には客に長く居座られては回転率が悪くなる、という発想があるに違いない。 
 
  しかし、映画館に敷居の高さを感じる要因がこの入替制だと思う。昔に比べれば今はインターネットでどこで何時にどの映画を上映しているか、すぐに調べる事ができる。だから、前もって見たい映画のリサーチをして、予定を組んで映画館に行く、というのが映画館で映画を見る前提になってしまったようだ。 
 
  だが、かつて映画はそんなに力を入れて見に行くものではなかった。時間ができたのでぶらっと映画館に足が向く、という感じだった。人の心というものはしばしばそんなあやふやなものではないか。たとえば悲しいとき、ふと映画館の暗闇にまぎれ込む、ということもあったと思う。しかし、こうした観客に気合を入れたのが岩波ホールだった。 
 
  入替制が普及する前なら、映画が始まって何十分たっても入場できた。見逃したところは次の回で見ればよかったのだ。最初に見た映画の後半と二回目に見た映画の前半をつぎはぎして映画を組み立てなおしていた。途中から見るので、最初は中々状況が理解できないが、見ているうちに少しずつわかってくる。映画が面白ければ2回目では映画を一本通しで最後まで見た。後から入場した観客は座席があかないと立ち見になってしまうが、それでもいい映画なら我慢できる。かつては立ち見で通路が立錐の余地もないほどぎっしり、ということがしばしばあったものだ。 
 
  こういう映画の見方を邪道と思う人も少なくないだろう。しかし、いつでも入場できるということが大きな安心感となって、映画館に足を向ける習慣が持てた。僕のような怠惰で気まぐれな観客を近年、映画館は取り逃がしているのではないか。 
 
  入替制に賛成できないもうひとつの理由は映画館で繰り返し映画を見る事ができないこと、そのこと自体にある。かつて映画評論家の淀川長治氏は映画館に豆電球とペンと手帖を持参して映画の台詞を書き留めていたという。優れた映画は一度見るだけではなく、何度も見ることでその味わいをより深く知る事ができる。それが映画ファンを育てることにつながるのである。観客の映画の見方は映画作りにも影響を与えるはずだ。何度も繰り返し見る観客を想定すれば、細部まで手が抜けない。実際、優れた映画には何度見ても飽きない魅力がある。 
 
  映画を繰り返し見たいから家でDVDで見る、という人が増えている。これも映画館に足が向かない理由になっていると思う。 
 
村上良太 


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