2011年01月12日02時12分掲載  無料記事
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「もし おじいさんが猫になったら」  〜ジャンニ・ロダーリと子どもの話〜

  イタリアの児童文学者ジャンニ・ロダーリ(GianniRodari 1920-1980)は最近、再び注目度を上げている。2006年に光文社から「猫とともに去りぬ」(関口英子訳)が出版されたが、大人にも楽しめる愉快な短編集だった。表題作はローマのおじいさんが猫になる話である。最初は家族から相手にされなくなったおじいさんだったが、柵をくぐって猫になってからはローマの廃墟にたむろする人気猫になるという話だった。 
 
  ロダーリは子ども向けのファンタジー作品の創作論を語った「ファンタジーの文法」(ちくま文庫 窪田富男訳)の中で、こんなことを語っている。 
 
  「イタリアの内外のいろいろな場所で、いろいろなグループの子供たちに、わたしは何回となく、年金暮らしの老人をあつかった未完成の物語を聞かせてみたことがある。老人は、家の中ではだれも、おとなも子どもも、忙し過ぎて自分のことをかまってくれないので、無用な者になったと思い、どこかへ行って猫と暮らそうと決意する。善は急げだ。かれはアルゼンチン広場へいく(ローマでの話だ)。大通りと捨て猫王国である古代遺跡地帯とをへだてている鉄柵をくぐると、老人はみごとな灰色の猫に変身する。 
 
  幾多の冒険の末に、かれは自分の家に帰ってくる。だが、猫の姿でだ。猫になったかれはみんなから歓迎され、もてはやされる。かれのために、りっぱなソファー、愛撫、牛乳、肉。おじいさんとしては何者でもなかったかれが、猫になると家中の人気者になる・・・ 
 
 ここまでくると、わたしは子どもたちにたずねる。〜おじいさんは猫のままでいたほうがいいかい?それとも、前のようにまたおじいさんになった方がいいかい?」 
  (「ファンタジーの文法」‘もしおじいさんが猫になったら’より) 
 
  子供たちの多くは猫がおじいさんに戻った方がいいと答えたと言う。しかし、一人か二人は猫のままでいる方がいいと答えた。ロダーリは完成された物語よりも、対話によって発展していく物語のあり方に本質的な興味を覚える作家のようだ。そればかりか、ロダーリにとって物語は他者と関わるための手がかりに過ぎないのかもしれない。 
 
  「ほんの控え目に<ファンタジーの商品学>を扱ったのが、わたしの小さな本「ぺルディジョルノ・ジョバンニーノの旅」である。 
 
  主人公がそれからそれへと訪れる国は、砂糖人間、チョコレート惑星、シャボン玉人間、氷人間、ゴム人間、雲人間、ゆううつ星、子ども星、<いちばん>人間(いちばん強い、いちばん太った、いちばん貧乏な、等々)、紙人間(罫線紙、方眼紙)、タバコ人間、眠りのない国(そこでは子守り歌のかわりに、目覚まし歌が歌われる)、風人間、<ni>の国(そこではだれも<no いいえ>も<si はい>も言えない)、過ちのない国(こんな国はいまは存在しないが、あるいは存在するときが来るかもしれない)、などである。 
 
  子どもたちの多くは、この本と対面して、ほんの数ページを読むと、最後まで待ちきれないで、もっと奇妙な素材を使った国や人間をすすんで発明しはじめる。石膏もあれば詰め綿もあるし、はては電力を使ったのも出てくる。着想とその展開法を心得てしまうと、ふだん玩具を扱うのと同じように、かれらなりに使いはじめる。子どもたちにあそびたい気持ちを起こさせたのだとすれば、それは一冊の本としては、十分に成功しているのではないかと思う」 
( 同'ファンタジーの商品学'より) 
 
  今世界で流行っている多くの既存のゲームソフトでは一定の変数による筋書きの変更は可能だが、規則自体を変更したり、ゼロから世界を空想したりすることはできない。メーカーの定めたルールに沿って動く自由しか与えられていないのだ。 
 
  その他、ロダーリはこんなことも語っている。 
 
  「お話をまちがえるあそびの形を変えたやり方のひとつは、おとぎ話のテーマを念入りに、組織的に、ひっくり返してみることである。 
 
  赤ずきんはいじわるで、狼はしんせつでした・・・・ 
 
  親指小僧は、かわいそうな両親をおきざりにして、きょうだいたちと家を逃げ出そうと思いました。けれどぬけめのない両親は、小僧のポケットにあなをあけて、そこに米つぶをたくさんつめておきました。そうすれば、逃げていくとちゅうで、米つぶがこぼれ落ちるからです。これはほんとうのお話を鏡で見たようなものです。つまり、右と左が反対になっているのです・・・ 
 
   シンデレラはあまりよい子ではありませんでした。しんぼう強いまま母をがっかりさせ、やさしいおねえさんたちからフィアンセを取りあげてしまいました・・・・ 
 
  白雪姫は、うっそうと生い茂った暗い森の中で、七人の小人ではなく、七人の大男に出会いました。そして、かれらのわるだくみにおちいって、マスコットにされてしまいました・・・」 
 
  ( 同 'ひっくり返しのおとぎ話'より) 
 
  ロダーリは「<ひっくり返し>によって得られるものは、おとぎ話のパロディーよりもむしろ、いろんな方向に自律的に発展して行く自由な語りの出発点となる状況である」と書いている。これは土の上に何度も自由きままに線を引き描いてみる遊びである。子どもは遊びの中から様々なことを身につけていく。遊びのルールを守ることも、遊びのルールを変えてみることもそうである。 
 
■ロダーリの公式サイト 
http://www.giannirodari.it/ 
■ロダーリ作「チポリーノの冒険」(岩波書店) 
  昨年10月に関口英子訳で出版されたばかりの冒険物語。野菜と果物の国で暮らす玉ねぎのチポリーノが無実の罪で牢獄に入れられた父親を救い出す物語のようである。 
 
村上良太 


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