2011年03月17日11時27分掲載  無料記事
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東日本大震災

【被災地事情】病院は患者さんであふれています

  ようやく電気の供給がありPC、携帯、電話が使えるようになりました。震災の全体的状況についてはマスコミで報道されてるのでローカル放送での情報を「東北だより」として送ります。(ATTAC−JAPAN東北から) 
 
  一昨日から東北は真冬日、雪が舞ってます。仙台のライフラインは水が今週中か?電気は被害の小さい所から、都市ガスは何カ月かかるかわからないという状況。 
 
  朝6時のラジオニュースでは津波で崩壊した町・・・石巻地方の住吉中学校の話。ここの避難民は2200名(石巻地区で最大)、しかし罹災以後一度も救援の手が来ていません。ここは石巻の旧市街にあたり津波が上った旧北上川にめんしているのかな? 
 
  ラジオでは、3日間何も食べモノがなく非難した商店主が店から「菓子類」を持ち寄って食べそれが今も続いている。中心になっているのは先生方で、それこそ不眠不休で頑張っている。また、11日は学校の卒業式・・・遠くから通う子(雄勝町など)津波が襲った町で自宅に帰った子の安否が確認できず先生は心労は・・・・。津波が襲った町は人命救助を優先しているのと職員自身が罹災し連絡も取れていない状況の中で行政機能が崩壊している。 
 
  一昨日、深夜石巻まで行った。宮城県の北部地域は吹雪。ライフラインは壊滅状況で「闇」の中で余震におびえながら家族が寄り添っているのです。国道4号線・・高速道に匹敵する東北の「幹線」・・にはあちらこちらに車が長蛇の列をつくっている。まだ22時過ぎ・・・これは明日のガソリンスタンドの開店を待つ列で、雪に埋もれながら明日朝9時ごろまで待つ。1台10リットル、売切れたらそこで終了。 
 
  地方の町の中心部の商店はさびれ、シャッター通り街となっています。これは、大店法(規制緩和)によって全国展開の何百台もの駐車場完備の大規模店が郊外にできたためと、車社会の中で縮小・整理された公共交通機関の両面からのことでしょう。つまり、車がないと食糧を始めとする生活用品の購入に動けないためだ。ガソリン不足は深刻です。既にガス欠の車が仙台の街でも放置されている。また、津波で流された車のガソリンが抜かれているという話もつたわっています。 
 
  次々と運ぶ込まれるけが人、患者。私が行った総合病院だ津波の被害があった地方都市。赤十字の救援隊がおおきなテントをいくつも張り、外でけがの治療をしている。ロビーは毛布一枚を巻きつけたけが人・患者が腰掛けに座っている。百人位いるだろうか。各階の廊下にも毛布にくるまったけが人が休んでいる。近隣の町村から次々とけが人、患者が運ばれてくる(時間は深夜零時)。 
 
  自冶体病院の統合・廃止、広域化によって「地域総合病院」化された結果だろう。このような凄惨な状況の中で新しい命の誕生は何よりもうれしい。だが正常分娩であれば出産後3日で退院と言う話が伝わってきた。「せめて・・・」と思うが「現状は・・」と言われると言葉に窮してしまう。震災の街に戻って行く母子が大丈夫であり健やかな成長を願うしかない。 
 
  福島県では21万人を超える人が原発事故で避難を余儀なくされている。福島県飯館村(20キロ超地域)で放射能が測定されたと報道が会った。ここは阿武隈山脈のはずれの山間部で林業と農業では「阿武隈大根」、牧畜では「飯館牛」の産地で避難の始まった南相馬市から福島に抜ける道で海抜700メートルで一昔前は「交通の難所」。 
 
  ここで放射能が検出されその他郡山でもと言うと放射能の拡散は「阿武隈山脈」を超えてきたという事と、30キロ圏の南相馬市(興味のある方は「相馬野馬追い」で検索するとこの地域の営み・・馬と人が一緒に住む町がわかります)は避難地域(現在も海沿いで千数百戸が水没している)で避難が始まりここから隣接の相馬市を超える宮城県、仙台圏と続き、阿武隈越えは福島県の県都福島市は山を下ったところの盆地だ。 
 
  東に向かうといわき市でも放射能が検出されたようだ。避難した人の受け入れ先は「避難エリアの発表」をすれば事足りると考えているのか避難先行政に丸投げの様相で特に石油・毛布などの暖房器具・用品・燃料が深刻(菅や枝野は雪国の冬はテレビで見るものと思っているのか?)で、食料も同様だ。「どこに避難するか」の指示すらないなかで「避難!」「避難!」の掛け声ばかりと情報隠し等、本当に頭に来るがもともと「危機管理能力」の意味させ知らない奴らだったと思えば頭に来るのも「損」する。 
 
  固いきずなで『結ばれた友情』・・・アメリカ国民は原発事故地域から80キロ先への避難指示。空母レーガンはしずしずと沖合に去り、「友人」の惨状に「心からの哀悼の意」の表明。アメリカ政府・原子力機関・学者は、日本政府の対応を「深く研究」するとともに事故の全容把握に「科学的データ」欲しさに「支援・派遣」だ。米国の辞書では「フレンドリー」とは「自国が自国民が損するような事態では無く、国益が望める場合をフレンドリーな関係と言う」のだ。 
 
  だんだんイラついてきましたのでこの辺で。余震が続き30分〜一時間おきに起きて、飛び出しているので震災後寝れてません。朝は5時半から水汲み、その後「食料調達(買い出し)」などであっという間に一日が終わります。「湧水」(水道管破裂の天の恵み)はちょっとした社交場になって、情報共有し助け合っている。家が倒壊した人、一人暮らしの老人、目つきの鋭い金髪の若者等みんな挨拶を交わし話をして最後は「がんばりましょう」で別れる。 


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