2011年03月26日11時56分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201103261156056

東日本大震災

チェルノブイリ汚染除去処理従事者から日本へのメッセージ:「できるだけ早く逃げなさい  米国AOLニュースが報じる

  日本の福島原発事故について、米国のAOLニュースがチェルノブイリ事故汚染除去に従事した女性に電話インタビューした。チェルノブイリの汚染除去作業に長期に渡り直接従事したメンバー中の生存者の一人、ナタリア・マンズロヴァ(Natalia Manzurova)。彼女は1986年4月当事35歳、ロシアのオジョルスク(Ozersk)の原発技師だった。マンズロヴァはウクライナ北部の、焼けて大破した発電所に他の13人の科学者とともに派遣された。大気中に膨大な量の放射線を撒き散らし10万人の避難を余儀なくさせた史上最悪の核災害のわずか4日後のことだった。マンズロヴァとその同僚たちはいまだ「死のゾーン」と呼ばれる地域のすべての汚染物質の除去と埋蔵の任を負った約80万人の「汚染除去作業者」つまり「リクビダートル」のメンバーだった。(大倉純子) 
 
原文 
http://www.aolnews.com/2011/03/22/chernobyl-cleanup-survivors-message-for-japan-run-away-as-qui/ 
AOLニュース 
2011年3月22日 
ダナ・ケネディ 記者 
 
  (原文掲載の写真参照)写真はプリピャチの「死のゾーン」で1988年に撮影されたマンズロヴァ。彼女はチェルノブイリの汚染除去作業に直接関わった中の生存者の一人である。彼女は住民が去ったプリピャチで4年半にあたり汚染除去作業に従事した。プリピャチからチェルノブイリ原発までは2マイル(3.2km)以下の距離。緊急避難させられた原発職員が住んでいた町である。 
現在59歳で世界中の放射能被害者のためにアドヴォカシー活動をしているマンズロヴァの首には「チェルノブイリの首飾り」が見える−喉から甲状腺を切除した傷跡である。彼女は他にもさまざまな健康上の問題を抱えている。しかし彼女のチームメイト(全員、放射線障害で亡くなったと彼女は言う)やその他大勢のリクイデーターとは異なり、彼女は生き残った。 
 
  AOLニュースは月曜日、通訳の助けを借りて日本の原子炉災害についてバーモントから彼女に電話取材した。現在もオジョルスクに住むマンズロヴァは、米国の原子力監視団体Beyond Nuclear の招待で一週間に渡る講演旅行を始めるところだった。 
 
Q: 福島原発事故のことを最初に聞いたときどうでしたか? 
マンズロヴァ(以下マ):デジャヴを見ているようでした。日本の人々、特に子どもたちのことが大変心配です。何が彼らを待ちうけているか経験でわかるからです。 
 
Q:専門家は福島事故はチェルノブイリほどひどくないと言っていますが。 
マ:すべての核事故はそれぞれ違います。そしてその被害も何年にも渡らねば本当には計測できません。政府がいつも真実を言うとは限りません。多くの人が家にもうもどれないでしょう。その人たちの人生は二つに分かれるでしょう:フクシマの前と後に。自分の、そして子どもたちの健康を絶えず心配することになるでしょう。 
  政府はおそらくそんなに大量の放射線はなかった、人体に害を及ぼしたはずはない、というでしょう。そしておそらく人々が失ったものすべてを補償などはしてくれないでしょう。彼らが失ったものは計算不可能です。 
 
Q:日本の人へのメッセージがありますか? 
マ:できるだけすぐに逃げなさい。待ってはいけません。自分を救うのです。政府を信じてはだめ。政府はうそをつくから。政府はあなたに真実を知ってほしくないのです。それほど原子力産業は強力なのです。 
 
Q:チェルノブイリに行くように召集されたとき、状況がどれほど悪いか知っていましたか? 
マ:全く見当もつきませんでしたし、かなり後になるまで本当はどんな状況だったかも知りませんでした。すべての秘密のベールに覆われていました。私は言われた通りに専門家としてそこに行きましたが − もし、今、同様の事故の処理のために行ってくれと言われたら絶対断るでしょう。 
  フクシマで作業をしている人たちは非常に大きな犠牲を払っています。原子力産業のトップは災害の後始末をしなくてはならない人々に説明責任を果たしたりはしません。原子力産業はそうやって発展してきたのです。それは核の奴隷制のようなものです。 
 
Q:チェルノブイリを見たときの最初の印象は? 
マ:中性子爆弾が落ちた後の戦場のようでした。敵が見えない戦争をしているようにいつも感じていました。すべての家も建物も、すべて家具はそのまま、なのに人っ子一人いないのです。どこでも深い静寂が支配していました。見知らぬ惑星に私一人のような。どんなに言葉を尽くしても表現仕切れません。 
 
Q:リクビダートルとしてどんな仕事をしたのですか? 
マ:最初、放射線レベルを測り、どれほど汚染が進んでいるか見るため植物サンプルを採取しました。それからブルドーザーで地面に穴を掘り、すべてをそこに埋めました−家、動物、すべて。まだ野生動物がいくらか生き残っていましたが、私たちはそれも殺して穴に埋めなくてはなりませんでした。 
 
Q:家にはペットが残っていたのですか? 
マ:人々は退避までに数時間しか与えられていなかったし、犬や猫を連れて行くことが認められなかったのです。放射性物質は動物の毛に残りますがそれは除去できません。だから殺さなくてはならなかったのです。だから人々は去るときに泣いていました。家に残された動物はすべて乾燥したミイラのようになっていました。一匹だけ生きている犬がいたのですが・・。 
 
Q:どこで見つけたのですか?その犬だけどうやって生き残ったのです? 
マ:私たちは研究室として使うため元幼稚園だった建物に入り込みましたが、その犬はそこのベビーベットに寝ていたのです。彼女のすべての足は放射線のやけどを負っていて、半分目が見えなくなっていました。目が放射線で曇ってしまっていたのです。彼女は大分弱っていました。 
 
Q:助けることはできなかったんですか? 
マ:いいえ、私たちがその建物に入った直後、彼女はいなくなりました。ここからが驚きなのですが、一ヵ月後、私たちは彼女が廃墟になった病院の子ども病棟にいるのを見つけました。すでに死んでいました。彼女は子供用のベッドに横たわっていて、私たちが最初に彼女を見つけた幼稚園のベビーベッドと同じサイズのベッドでした。後でわかったんですが、その犬は生前子どもたちが大好きで、いつも子どもたちのそばにいたというのです。 
 
Q:死のゾーンで働いたことはあなたの健康にどう影響しましたか? 
マ:インフルエンザにかかったようでした。高熱が出て震えだしました。放射線に当たって最初に起こることはよい働きをする微生物叢(びせいぶつ そう:体内の特定の場所にいる無害なバクテリア)が死んでいって、悪い働きをするバクテリアが繁殖し始めるのです。いつでも突然に眠たくなり、またたくさん食べました。生きてはいるもののエネルギーが全くありませんでした。 
 
Q:どれくらいの放射線を浴びたのですか? 
マ:教えられませんでした。私たちは放射線を測る線量計を身につけそれを上司に提出しましたが、結果は教えてもらえませんでした。 
 
Q:危険を察知して逃げようとはしなかったのですか? 
マ:はい、危険は承知していました。いろいろなことが起こりました。一人の同僚が雨水の水溜りにはまってしまったんですが、ブーツの中でかかとがやけどしてしまいました。しかし私は留まることが義務だと思っていました。消防士と同じです。もしあなたの家が燃えていて消防士が来たのに、「危なすぎる」と言って帰ってしまったらどうします? 
 
Q:いつ甲状腺がんだとわかったのですか? 
マ:チェルノブイリで数年働いた後の定期健診で見つかりました。良性だとわかりました。いつでき始めたのかはわかりません。甲状腺を半分切り取る手術を受けました。癌は再発し、昨年残りの半分を切り取りました。今は甲状腺ホルモン剤に頼って生きています。 
 
Q:甲状腺がんができたのになぜチェルノブイリに戻ったのですか? 
マ:ちょうど私が手術を受けたころ、政府はリクビダートルは4年半きっかり働いていなくては引退して年金が貰えないという法律を通したのです。一日でも足りなければ、なんの手当てももらえないのです。 
 
Q:本当ですか?それはあまりにひどいですね。 
マ:だから原子力産業は危険なのです。彼らは危険性を否定したい。彼らは私たちがもらえる手当てについていつも法律を変え続けています。私たちがどれほどひどい被害を受けたか認めしまうと、原子力産業の体裁が悪くなるからです。いまや私たちはほとんどなにも手当てを受けられません。 
 
Q:最後にチェルノブイリでの仕事を終わってから健康状態は悪化しましたか? 
マ:43歳のときに“障がい者”になりました。てんかんと同様の発作を起こしていました。血圧は大変高くなりました。一年のうち6ヶ月以上働けなくなりました。医者も手のつけようがありませんでした。私が狂っていると言って精神病棟にいれようとしました。最終的には彼らは放射線がこれらの原因であることを認めたのです。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。