2011年06月13日15時44分掲載  無料記事
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核・原子力

高木仁三郎著「核時代を生きる〜生活思想としての反核〜」

  高木仁三郎著「核時代を生きる〜生活思想としての反核〜」は1983年に講談社現代新書から出版されたが、その頃アクチュアルな問題が「低レベル廃棄物」の海洋投棄問題だった。原発によって生み出される放射性廃棄物を海に捨てよう、という発想は古くから日本政府にあったことがわかる。 
 
 ■「放射性廃棄物の海洋投棄」 
 
  「私たちは「唯一の被爆国」の人間でないとしても、少なくとも核に関する限り、一方的な被害者であるはずだった。しかし、誰の目にも明らかな変化が、私たちをとりまく状況に生じた。そのもっとも直接的で可視的なものが、放射性廃棄物の海洋投棄問題である。 
 
  原発などで生じる放射性廃棄物を海洋底に捨てようという計画は、以前からあった。しかし、1980年頃から、日本政府は投棄地点を小笠原の北東約550キロメートル、マリアナの北約1100キロメートルの海底に設定し、試験投棄に向かって具体的に動き出した。だが、この計画は、主としてグアムやベラウ(パラオ)をはじめとするミクロネシア住民の一致した反対によって、現在まで頓挫している。 
 
  科学技術庁の役人などが何回も太平洋の島々を訪れて、放射性廃棄物の投棄の安全性を説いたらしい。しかし、どんなに安全性を強調しても、「そんなに安全なら東京湾に捨てればよい」とするミクロネシアの人々の単純明快ないい分の方に、よほどの説得力がある。 
 
  もちろん、区分上は「低レベル」といわれているが、それは現状でも40万本、いずれは100万本と蓄積される核のゴミである。すでに述べたように、その安全管理には本来何十万年、いやそれ以上もの年月を必要とするはずのものである。海底のドラム缶が長期に耐えうるはずのものでもなく、海洋投棄は、「放射能がもれても海は広いから大丈夫」という思想が根底になっている。それは決して確かな安全の保障ではなく、それゆえに東京湾にはやはり投棄しえない性質のものである。 
 
  問われているのは、私たちの生き方の姿勢である。原発に賛成するもの反対するものを含めて、ともかくこのゴミは私たちの電力生産-消費の廃物である。それを太平洋に投げ捨てることは、核の加害であることを否定すべくもない。政府や電力会社に大きな責任があるとしても、その加害の加担者では私たちはないと、太平洋の島々の人々に説明できるだろうか。」 
 
  この海洋投棄問題は国際的に問題となり、1983年2月に「ロンドン会議」で話し合われた。この会議は海洋投棄規制条約の第七回締結会議で、「専門家特別委員会が安全性についての結論を出すまで、一時海洋投棄を禁止する」ことを求めたスぺイン案が可決された。 
 
  「だが、ここで問題なのは、日本政府は海洋投棄を禁止ないし制限するいっさいの案に反対し、無制限の投棄を主張したということだ。そして、それが国際的にはまったくの少数派の立場であったことも、私たちは忘れてはならないことだろう。海洋投棄禁止を主張したキリバスやナウルなどの太平洋の国々からみたら、日本はアメリカやイギリスのような核保有国と結んだ、利己的な核大国と映ったことだろう」 
 
  高木氏の「核時代を生きる」が出版されたのはこの海洋投棄問題のまっ只中の1983年である。 電力会社や政府は今回、想定外の震災と津波によって福島で原発事故が起こったと説明しているが、汚水を海に棄てるという発想自体は以前からあったことがわかる。 
 
■高木仁三郎(じんざぶろう、1938−2000) 
  東大理学部化学科卒。東大原子核研究所助手、東京都立大学助教授を経て、のちに原子力情報室を設立し、代表をつとめた。原子力情報室は原子力産業とは独立した立場から原子力政策に提言を行うシンクタンクである。 


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