2011年07月16日09時04分掲載  無料記事
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核・原子力

いまあの坂本龍馬が生きていたら 船中八策から脱原発の国づくりへ 安原和雄

  菅首相が「脱原発」を記者会見で明言した。具体的な行動計画は不明だが、政治家としての見識を示した発言であり、高く評価したい。ところが首相周辺には、明言を曖昧なトーンに修正するかのような動きもみえるが、些末な政局にこだわって大局観を見失っているとすれば、見苦しい。 
 ここは発想を大きく変えて、今あの坂本龍馬が生きていれば、どう対応するかを考えてみたい。龍馬は自らの命を懸けて新時代「明治」の幕開けに奮闘した。龍馬は新時代のありようを構想した「船中八策」を掲げたが、21世紀の現在なら、目指すべきものはまず脱原発を軸に据えた国づくりである。さらに私利私欲の増殖装置ともいうべき原発推進複合体の解体も大きな課題である。 
 
▽ 菅首相が記者会見で「脱原発」を明言 
 
 毎日新聞(7月14日付)は ― 首相「脱原発」を明言 「将来 なくてもいい社会実現」― という一面トップの大見出しで次のように報じた。 
 菅直人首相は13日、首相官邸で記者会見し、今後のエネルギー政策に関し「原発に依存しない社会を目指すべきだと考えるに至った」と述べ、脱原発依存を進める考えを示した。その上で「計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」とし、将来的には原発を全廃する「脱原発」の姿勢を鮮明にした、と。 
 以上の記事には「退陣控え実行力に疑問」の見出しも付いているが、ともかく「脱原発」の基本方針を首相自ら明言したことは、遅すぎた感があるとはいえ、高く評価したい。脱原発こそ、追求すべき歴史の大道に沿った選択である。 
 
 この首相発言を大手紙社説(7月14日付)はどう論じたか。 
 
毎日新聞=「脱原発」表明 目指す方向は評価する 
朝日新聞=脱原発 政治全体で取り組もう 
東京新聞=脱・原発依存 政権延命狙いでは困る 
読売新聞=看板だけ掲げるのは無責任だ 
日本経済新聞=菅首相の「脱原発依存」発言は無責任だ 
 
 毎日社説は「その考え方について基本的に支持し、評価したい」、朝日社説も「13日付社説特集で、20〜30年後をめどに<原発ゼロ社会>をつくろうと呼びかけた。首相は目標年次こそ示さなかったが方向性は同じだ。首相の方針を歓迎し、支持する」と指摘した。両紙とも賛成論である。 
 東京社説も「どう実現するのか、その具体性に欠ける。政権延命を狙って大風呂敷を広げただけでは困る」と条件を付けながら「原発のない社会を目指すという、首相が示した方向性には同意する」と明記している。 
これら3紙に比べ異質なのが読売と日経である。両紙ともに見出しに「無責任だ」という表現を使っており、原発推進派擁護の姿勢にこだわっている。あの大東亜戦争末期にもはや敗戦は不可避であるにもかかわらず、「聖戦遂行」にこだわり、無用な犠牲を強いた一部軍部のご乱行に近い雰囲気を感じるが、いかがか。過去の失敗と悲劇の歴史に学ぶ必要はあるが、失敗と悲劇を繰り返す愚は避けなければならない。 
 
▽『魂の冒険』が訴えるもの(1)― 最大の危機は「冒険」の喪失 
 
 菅首相による「脱原発」発言のニュースが飛び込んできたとき、わたしはたまたま高橋佳子(注)著『魂の冒険 答えはすべて自分の中にある』(三宝出版、2010年10月刊)を読んでいた。 
(注)高橋さんは1956年東京生まれ。TL(トータルライフ)経営研修機構、TL医療研究会、TL教育研究会などで多様な分野の専門家の指導に当たる一方、各地での講演にも精力的に取り組んでいる。1992年以来の講演会にはこれまで延べ53万人が参加した。著書は『Calling 試練は呼びかける』『12の菩提心』『運命の方程式を解く本』など多数。 
 
 著書名にもなっている「魂の冒険」とは何を意味するのか。「プロローグ ― 魂の冒険へ」の大要を本書の小見出し(*印)とともに以下に紹介する。念のためつけ加えれば、この著作は「3.11」(大震災、大津波、原発惨事)以前に出版されたが、あたかも以後に出版されたかのような雰囲気がある。 
 
*敗北の色濃く 
 凋落の時代 ― 。 今、私たちが身を置いている困難な時代をそう呼ぶべきかもしれない。行く手には暗雲が垂れ込め、周囲にはそこはかとない敗北感が漂っている。 
 GDP(国内総生産)では中国に第二位を明け渡すことになり、それを取り戻す未来は再び訪れそうにもない。 
 人々の生活を考えても、収入は目減りし、年金制度は崩壊の危機に瀕している。自殺者が12年連続で年間3万人を超え、孤独死が増加し、少子化も進行している。 
 
*最大の危機は「冒険」の喪失 
 もう生活水準の向上は見込めないかもしれない。仕事では生きがいを求められないかもしれない。この先、自分の人生はどうなっていくのか・・・。 
 将来に明るい気持ちを持てず、未来を希望あるものとして、思い描くことができなければ、何かを生み出すことは難しくなる。 
 何より問題なのは、希望を持てなくなって、新たな挑戦ができなくなっていることだ。リスクを冒(おか)すことを避け、既定路線で安心しようとする。つまり冒険する心を失ってしまっている。冒険の喪失 ― 。これこそ私たちが今、直面している最大の危機だと思わずにはいられない。 
 
▽ 『魂の冒険』が訴えるもの(2)― 新しい挑戦としての「船中八策」 
 
 著作『魂の冒険』に次の一節がある。これは「時代の転換点」を導いた幕末の一人の男、坂本龍馬の物語である。 
 
 時代の大きな転換点を導いた人々には必ずといってよいほど、チャージ(目覚め)・チェンジ(転換)・チャレンジ(挑戦)の歩みがある。 
 江戸時代末期の攘夷(じょうい)をめざしたエネルギーが倒幕の目標に変わり、やがて文明開化という近代化に突き進むことになる明治維新 ― 。その中で、その後のわが国の歩みを展望した人物の一人が坂本龍馬(1835〜67年)だった。龍馬が抱いた、国力を強めて戦争をせずに攘夷を果たすというビジョンは、攘夷派として土佐藩を脱藩した龍馬が、勝海舟のもとで、世界という認識に目覚め(チャージ)、自らの立場を転換(チェンジ)しなければ生まれなかった。 
 国力増強への試みとして貿易結社(会社=当初の亀山社中から後に海援隊へ名称変更)の創設、さらに新しい国家の基本方針ともいえる船中八策(せんちゅうはっさく)は、これまでにない新しい挑戦(チャレンジ)にほかならなかった。その龍馬自身の人生は志半ばで潰(つい)えることになるが、龍馬が見はるかした未来は、多くの人々に引き継がれていった。 
 
 ここで坂本龍馬の「船中八策」を紹介しておきたい。1867(慶応3)年、龍馬が長崎から上京する船中で想を練ったとされる「新しい国家の体制についての八カ条の要項」のことで、全文は以下の通り。 
 
*天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出づるべき事。 
*上下議政局を設け、議員を置き、万機を参賛せしめ、万機よろしく公論に決すべき事。 
*有材の公卿・諸侯および天下の人材を顧問に備え、官爵を賜ひ、よろしく従来有名無実の官を除くべき事。 
*外国の交際広く公議をとり、新に至当の規約を立つべき事。 
*古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。 
*海軍よろしく拡張すべき事。 
*御親兵を置き帝都を守衛せしむべき事。 
*金銀物価よろしく外国と平均の法を設くべき事。 
 以上八策は、方今天下の形勢を察し、之を宇内万国に徴するに、之を捨てて他に済時の急務あるなし。いやしくもこの数策を断行せば、皇国を挽回し、国勢を拡張し、万国と並立するもまた敢て難しとせず。伏て願くは公明正大の道理に基き、一大英断を以て天下を更始一新せん。(池田敬正著『坂本龍馬』・中公新書)から 
 
 この船中八策が明治維新の「五カ条の御誓文」につながる。周知のことだが、五カ条の内容は次の通り。 
*広く会議を興し、万機公論に決すべし 
*上下心を一にして、盛んに経綸を行ふべし 
*官武一途、世民に至るまで、各(おのおの)その志を遂げ、人心をして倦(う)まざらしめんことを要す 
*旧来の陋習(ろうしゅう)を破り、天地の公道に基くべし 
*智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし 
 
▽ 21世紀の脱原発を軸とする国造りへ ― 原発推進複合体の解体を 
 
 菅首相の「脱原発」発言のニュースが飛び込んできたとき、私はたまたま幕末の坂本龍馬のことが念頭にあった。上述したように著作『魂の冒険』の一節、坂本龍馬論を読んでいる最中のことだったからである。もちろん偶然のことにすぎないが、私は仮にいま龍馬が健在であれば、原発のことをどう考えるかを想像してみた。結論を急げば、躊躇(ちゅうちょ)なく「脱原発」を軸とする国づくりに取り組むのではないか。 
 作家・司馬遼太郎は龍馬について次のように書いている。 
 
 龍馬のおもしろさは、そのゆたかな計画性にあるといえるだろう。 
 幕末に登場する志士たちのほとんどは討幕後の政体を、鮮明な像としてはもっていない。龍馬のみが鮮明であった。そういう頭脳らしい。 
 国家のことだけでなく、自分一代についても鮮明すぎるほどの像をもっている。海運と貿易をおこし、五大州を舞台に仕事をするということである。このふたつの映像を自分において統一していた。 
 海の仕事をしようとする龍馬にとっては、ときに革命は片手間の仕事であった。(中略)船中八策をかかげて討幕後の政体を明示しつつ、徳川慶喜に大政奉還させて一挙に統一国家を実現してしまった。 
 大政奉還実現後、革命政府の大官などにはならぬと明言し、「役人はいやだ」といった。西郷がおどろき、ではなにをするのかと問うと、「世界の海援隊でもやる」と龍馬は言い、西郷を唖然たらしめた。 
 (中略)龍馬の一代は、革命と海とのいそがしげな往復であった。私心を去って自分をむなしくしておかなけれれば人は集まらない。人が集まることによって知恵と力が持ち寄られてくる。仕事をする人間というものの条件のひとつなのであろう。(司馬遼太郎著『龍馬がゆく』(八)あとがき五・文春文庫) 
 
司馬が指摘している「私心を去って自分をむなしくしておかなければ人は集まらない」に着目したい。龍馬のように私心を棄てて、歴史的事業に取り組むのであれば、21世紀の歴史的課題ともいうべき脱原発にひるむ必要はどこにもないはずである。原発推進によって私利を得てきた「原発推進複合体」(この構成メンバーは政・官・財(電力など)を中心に学者、研究者、メディアも含む)は性懲りもなく今なお抵抗を続けているが、「無駄な抵抗は止めよ」と言いたい。朝日新聞の世論調査によれば、段階的廃止への賛成が77%にのぼっている。すでに勝負はついているのだ。 
 7月15日付各紙の報道によると、九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の運転再開をめぐる「やらせメール」問題は原子力担当トップの前副社長の指示による組織ぐるみの行動だったことが改めて浮き彫りになった。原発推進複合体の底知れぬ組織的腐朽性を示す具体例であり、もはやこの私利私欲の増殖装置ともいうべき複合体に日本のエネルギー政策の根幹を委ねるわけにはいかない。複合体解体こそが急務となってきた。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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