2011年07月16日10時24分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201107161024386

東日本大震災

津波と原発の被災地の村と浜から(上) ≪津波と漁民≫浜と海は誰のものか 大野和興

  管首相の肝いりで発足した首相の私的諮問機関「東日本大震災復興構想会議」が6月25日、「復興への提言〜悲惨のなかの希望〜」を題する答申を首相に提出した。いろいろ修飾語が並べられているが、それらを取り去っていくと、残るのは増税と効率優先の復興路線、という本質が見えてくる。新自由主義的復興とでも言うべき鎧が袖のしたからのぞいて見えるのだ。4月初め以来、原発被災地福島の村々を何度も訪ね、6月初めには法政大学サスティナビリティ研究機構の調査団に同行して、地震と津波の被災地三陸沿岸を北は岩手県宮古市から南は宮城県名取市まで歩いた。 
 
◆日本の食を支えた三陸の浜と海 
 
  宮古、釜石、大船渡、石巻、女川、塩釜…。豊かな北洋を控えて名だたる漁港はどこも壊滅状態だった。防波堤、防潮堤は破壊され、漁船は陸地に打ち上げられている。沿岸に並んでいた水産加工場や魚市場はあとかたもない。岩手、宮城、福島の太平洋岸、いわゆる三陸沖は親潮と黒潮がぶつかる世界でも屈指の漁場である。複雑に入り組むリアス式海岸の入り江ごとに漁港があり、沿岸、沖合、遠洋そしてカキやホタテなどの貝類や、ワカメ、コンブ、ノリなどの養殖が盛んに行われていた。 
 
  3月11日の津波はこれらすべてを飲み込んでしまった。漁船も養殖のいかだも漁港も水産加工場も卸売市場も、全てが消えてしまった。農林水産省の統計から漁獲高の順位をみると、サンマは1位北海道、2位宮城県、3位岩手県。サケ類1位北海道、2位岩手県、3位宮城県。サメ類1位宮城県、2位北海道、3位岩手県。養殖カキ1位広島県、2位宮城県、3位岡山県。養殖ワカメ1位岩手県、2位宮城県、3位徳島県。魚食を中心とするこの列島の食生活は三陸を除いてあり得ないことが分かる。 
 
  被害額は今も正確な数字は把握できていないが、水産庁に報告された5月末までの数字を見ても、陸に打ち上げられてろして被災した漁船が1万8600隻、被害を受けた漁港3県の263漁港のうち258漁港、宮城では水産加工施設の7割が全半壊した。 
 
  陸の施設だけではない。湾には大量のがれきが流出し、漁や養殖の再開を妨げている。日本一を誇った防潮堤がもろくも崩れた岩手県宮古市田老の漁港では、壊れた防潮堤の残骸がそのまま湾内に流入し、海を占拠している。 
 
◆漁業権は「入り会い」の権利なのだ 
 
  6月25日に出された復興構想会議の提言の柱に、かねて宮城県の村井嘉宏知事が提唱していた水産業特区構想が盛り込まれた。漁業権を外部資本に開放し、復興を推進しようという構想だ。宮城県の漁業協同組合は法的手段に訴えても漁業権は守るという立場を貫いているか、「復興のための有力な方法」とマスメディアを含め、この構想を支持する意見も多い。 
 
  しかし、この構想が実際に適用された場合何が起こるかを危惧する漁業関係者は多い。まず起こるのは漁民の浜と海からの排除であろう。宮城県や構想会議の計画では、漁民は参入してくる企業に雇われるから安泰だ、と説明している。だが、漁業は潮の流れ、岩場、産卵場所など地元の海をよく知る手だれの漁師によって支えられてきた。そうした漁師は高齢者である場合が多い。高齢者をわざわざ労働者として雇用する企業があるとは思えない。結局ベテラン漁師から順に浜や海から排除され、働く場所を失った漁師は地域にも住めなくなる事態が起こることが予想される。 
 
  参入してくる外部資本は果たして漁業・水産業をやるのかという疑問もある。世界でもまれなリアス式の風光明美な三陸海岸は、豊かな漁業の地であると同時に観光資本の垂涎の地でもある。これまで漁民は漁業権をたてにして開発を防ぎ、海を守ってきた。その漁業権を資本に開放するということは、海がどのように使われても防ぎようがないということを意味する。 
  三陸の浜は外国資本を含む大観光資本に占拠され、海岸はホテルの占有地となって地元住民は締め出され、海はレジャーボートに遊び場となるという光景が浮かんでくる。 
 
  もっと重大なのは漁業権という権利はいかなるものかが、まったく無視されていることだ。宮城県は構想会議のいう漁業権は、県知事により漁協に与えられる免許、というものとみなされている。しかし、本来漁業権は陸の入会権と同じく、その山や土地、海、川を利用する地域に生きる人々の「総有」の権利である。 
 
  海や山や土地や川は本来誰のものでもない。その地域の資源を地域に生きる農民や漁民が自分たちの共同のものとして闘いとってきた権利なのである。それは生存権そのものといってもよい。 
  使う人みんなのものであると同時に、共同利用グループを構成する個人の権利でもあるこの資源は、その個人が一人でも反対すれば譲渡や売買はできない。それが「総有」の意味だ。政府や県が勝手に外部資本に開放できるものではない。この構想が漁民の震災からの復興に立ち上がった漁民の息の根を止めてしまうことになりかねない。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。