2011年07月31日15時42分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201107311542070

東日本大震災

「1学期を終えて伝えたいこと」福島県・教員のインタビュー

  新学期が始まって間もない4月上旬。私は、郡山市の小学校教員・川口真理さん(仮名・32歳)に電話インタビューを行い、「子どもたちを被ばくから守りたい!」という悲痛な叫びを受け取った。あれから3ヶ月――。学校はすでに夏休みに入っている。郡山市内の状況や、子どもたちの様子はどう変化したのだろうか。1学期をふり返っての感想を、再び川口さんにうかがった。(以前のインタビュー記事「Twitterでつぶやいて!福島県の教員の訴え」はこちら http://newenergy-hideinu.blogspot.com/2011/04/twitter.html)。(和田秀子) 
 
■声をあげることがタブーではなくなった 
 
 「おかげさまで、なんとか1学期を終えることができました」 
開口一番そう話す川口さんの声には、3ヶ月前とは違う力強さが感じられた。 
 
 この3ヶ月でもっとも大きく変わったことは? と尋ねると、「最近は、堂々と放射線のリスクについて話せるようになったことですね。学校が始まって間もないころは、タブー視されていましたから」という答えが返ってきた。 
 
 川口さんが、「タブー視されていた」と話すのには、以下のような理由があった。 
 福島県が4月始めに行った調査によると、県内の小中学校のうち約75%で、“放射線管理区域”レベルの高い放射線量が観測されていた。川口さんは、「まさか学校が始まることはない。子どもたちはみんな避難することになるだろう」と思っていたという。 
 
 しかし実際は違った。文部科学省はあっさりと、子どもにまで「年間被ばく限度量20ミリシーベルト」を適応し、校庭などの屋外活動に関しても、毎時3.8ミリシーベルト以内なら通常通りでかまわない、との見解を発表したのだ。 
 
 これを受け、新学期は開始されることになった。福島県内の学校には、県の放射線リスク管理アドバイザー・山下俊一氏からの助言が書かれた通達文が一斉に配られた。 
『今回の事故はチェルノブイリ事故とは違う。市民の皆さんに健康リスクはまったくない』 
 その通達文には、こんな文言が書かれていたため、放射線のリスクを危惧していた教師たちも、口をつぐまざるをえなくなってしまったのだ。 
 
■文科省は口だけ、実際の除線は保護者の手で行われた 
 
 しかし、そんな状況が変わり始めたのは、 “子どもの20ミリシーベルト問題”が、マスコミでも取り上げられるようになった5月中旬ごろからだったという。 
 
 「新聞やテレビで福島県内の汚染状況が伝えられるようになってからは、保護者の間にも“このままではまずいのではないか”という危機意識が広がってきたんです。県外の人たちが声をあげてくださったことも大きかったと思います」と川口さんはふり返る。 
 
 こうした世論の高まりを受け、高木文明文部科学大臣は5月27日、「子どもの年間被ばく限度量1ミリシーベルトを目指す」との会見を行った。 
 
 「でも、文科省は会見を開いただけで、実際には何にもしていませんからね。結局、学校の除線も、すべて保護者の手を借りて行いました」 
 
 川口さんの学校では、休日返上で保護者が学校に集まり、放射線計測器を片手にデッキブラシで校舎を洗浄したという。また、校庭に関しては、業者に依頼して表土を剥ぎ取った。 
 
 「郡山市内の小学校は、かなり早くから危機感を持っていました。でも、中学・高校に関しては、除線をする前から校庭で部活動を再開していたし、除銭した後も、汚染された土を集めたいわゆる“原発山”のとなりで、当たり前のように部活動をしています。なぜ、子どもの未来のことより、目の前の部活動を優先するのか……。本当に腹立たしい」と、川口さんは憤る。 
 
■自分で運命を切り開く力をつけてあげたい 
 
 一方で子どもたちは、放射線のリスクと、どう向き合っていたのだろうか――。 
 
 川口さんが受け持つクラスでは、「窓を開ける、空けない」に関しても、子どもたち自らが、話し合いによって決定したという。 
 
 「最初のうちは、放射性物質のついた土ぼこりを吸い込むリスクを考えて、『窓を開けたくない』という子どもが半数以上でした。しかし7月に入ると、クーラーのついていない教室内の温度は、35度を超えるようになった。これはいよいよガマンができない、ということで、再び子どもたち自身が話し合った結果、時間を決めて窓を開けることになったんです」 
 
 子どもたちは、放射線のリスクもしっかり把握したうえで、今できる最良の方法を選択していたのだ。 
 
 川口さんは、子どもたち自身が自分で考えて判断ができるよう、放射線に関する知識をしっかり教えたうえで、自主性に任しているという。 
 
 「自分の手で未来を切り開いていく力をつてやりたいんです。悲しいことですが、福島の子どもたちは今後、差別や偏見ともたたかっていかなければならないでしょう。今はまだ、“福島の子どもたちはかわいそうだね”って同情してもらえますが、あと数年もすれば忘れ去られてしまう。だからこそ、自分で考え、自分で行動しなければ。それが、私が子どもたちに教えてあげられる唯一のことだと思っています」 
 
■子どもたちが安全に遊べる場所を 
 
 インタビューの最後に、改めて「今後、福島の子どもたちに必要な支援は?」と川口さんに問いかけてみた。 
 
 「町に1カ所でもいいから、完璧に放射線の管理ができていて、土遊びも水遊びもOKという場所を作ってほしいですね。残念ながら現在は、町全体の除線作業はちっとも進んでいません。だから、子どもたちが思う存分遊べる場所がないのです。私は今でも、子どもたちを安全な場所に逃がしてやりたいという気持ちに変わりはありません。でも、どうしても福島から出られない子どもが大勢いる。残った子どもたちのために何ができるのかを、今後は考えていきたい」 
 
 子どもたちに被害が出てからでは遅い。日本全国の人たちがこの問題に関心を持ち続け、国を動かす努力を続けていくしか、子どもたちを守る方法はないのだろう。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。