2011年08月08日18時05分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201108081805441

検証・メディア

もう一つのアルジャジーラ −英語放送の爆発的伝播力(上)

 今年前半、「アラブの春」の到来に世界中がわいた。しかし、夏が来てみると、なかなか物事は思うようにすぐには進まないことが段々わかってきた。特にシリアで流血事件が続いているのが気になる。 
 
 中東情勢に関して、少し基礎を含めて知りたい方に、「英国ニュースダイジェスト」のニュース解説面が役に立つーー中東情勢専門家、吉田さんの腕が光る。以下はそのいくつかである。 
 
シリア革命の行方 
 
http://www.news-digest.co.uk/news/content/view/8202/265/ 
 
アラブの春とイエメン 
 
http://www.news-digest.co.uk/news/content/view/8103/265/ 
 
 アラブの春でまだ興奮が冷めやらぬ頃に、アルジャジーラ英語放送に関して、朝日の月刊誌「Journalism」7月号に原稿を書いた。「メディアが動かした中東革命」という特集の中の1つである。周囲の雰囲気が少し変わってきた感はあるものの、アルジャジーラ英語の株を上げた事件でもあった。自分のこれまでの知識を一旦まとめるつもりで書いたのが以下である。何かのご参考になればと思う。 
 
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 昨年末以来、中東・北アフリカ諸国で民衆蜂起が続いている。生活苦を理由としてチュニジアの若者が抗議の焼身自殺を図り、これをきっかけとして、国内各地で大規模なデモが起きた。その後はエジプト、アルジェリア、リビア、イエメン、シリアと民主化を求めるデモが広がった。チュニジアやエジプトでは長期政権の打倒につながり、この一連の民衆蜂起は「アラブの春」とも呼ばれるようになった。 
 
 民衆蜂起の進展を世界中のメディアが報道したが、特に注目を集めたのが中東カタールに本拠地をおく衛星放送アルジャジーラ(アラビア語)及びその英語放送である。 
 
 ニュース専門のテレビ局の先駆者米CNNが1980年代〜90年代を通じて歴史に残る出来事の生中継を行い、その名を知られたことを「CNNの瞬間(モーメント)」と呼ぶ。また、生中継による速報性によって政治判断に影響を及ぼすことを「CNN効果」と呼ぶようにもなった。アラブの春は、アルジャジーラにとって、「アルジャジーラ・モーメント」あるいは「アルジャジーラ効果」の到来となったといわれている。 
 
 本稿では「アルジャジーラ効果」に至るまでのアルジャジーラの軌跡と、アラブの春での活躍ぶりを紹介したい。 
 
―アルジャジーラとは「半島」 
 
 「アルジャジーラ」とはアラビア語で半島、あるいは島を指す。その設立のきっかけは1994年にさかのぼる。 
 
 英公共放送最大手BBC(英国放送協会)は、この年、サウジアラビアの衛星テレビ会社オービット・コミュニケーションズ社と契約を交わし、アラビア語のニュース・チャンネルの放映が始まった。しかし、BBCとサウジ政府とは番組の編集権をめぐって、しばしば衝突するようになった。 
 
 1996年4月、BBCは調査報道番組「パノラマ」の中で、サウジアラビアの人権状況を取り上げた。この中にはある犯罪人の首を切ろうと処刑人が剣を振りかざす様子が入っていた。サウジでは処刑の撮影は禁止されており、オービット社は放送契約を破棄した。番組制作に関与していた約250人のスタッフは宙ぶらりんの格好となった。 
 
 この時、「アラブ世界に報道の自由がない」ことに失望していたカタール首長のハマドが、約5億カタール・リヤル(約110億円)の資金を投入して、「見たことをそのまま報道する」放送局アルジャジーラを設立させた。 
 
 設立当初からアルジャジーラで働くアイマン・ジャバーラー氏(アルジャジーラ・ライブ・サービスの統括者)によれば、「編集権の独立権が保障されること」を条件に、BBCアラビア語放送にいた約120人がアルジャジーラに参加することになったという。 
 
 アルジャジーラの放映開始は1996年11月であった。政府の見解をそのまま流すのが主流であったアラブ圏のメディアの中で、アルジャジーラは「思想の自由、独立、議論」を奨励する放送局として、中東諸国の国民から大きな支持を受けて成長していった。現在、アルジャジーラは世界の65カ所に支局を置き、約3000人が働く。約400人のジャーナリストの国籍は60カ国を超える。 
 
 中東諸国の政府にとってみれば、アルジャジーラは大きな目障りであった。各国の国営放送のように政権のプロパガンダはせず、「意見ともう一つの意見」というモットーが示すように多様な意見を放送するアルジャジーラは、数々の中東諸国で、一時的にせよ支局の閉鎖、記者への嫌がらせや攻撃、放映認可の取り消し措置にあってきた。 
 
 BBCのアラビア語放送は有料だったため、視聴者層が限られており、しかも放送時間が1日8時間であったので「たいした影響力もなかった」とロンドン支局のモステファ・ソワグ氏はいう(ヒュー・マイルズ著『アルジャジーラ報道の戦争』、光文社)。しかし、アルジャジーラは24時間放送で(注:24時間放送になったのは1999年から)、ほとんどのアラブの国では無料で見ることができた。BBCアラビア語放送との大きな違いはアルジャジーラが「アラブの国の、アラブの都市から、アラブ人の手によって放送されていること」、「アラブ人だって信頼できる立派なメディアをもてるという、最初の例」だった(同)。 
 
 国際報道の面から見ると、アルジャジーラの強みは欧米のニュース機関がカバーしていない中東諸国に特派員を配置させた点がある。1998年の、米英によるイラクへの爆撃「砂漠の狐作戦」では、当時イラクに特派員をおいていた国際的報道機関はアルジャジーラだけで、その映像は西欧メディアがのどから手が出るほど欲しいものだった。 
 
―ビンラディン独占会見で「テロリストの放送局」とも 
 
 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの発生後、アルジャジーラは国際テロネットワーク「アルカイダ」に近い存在とみなされるようになった。西欧メディアでは「テロリストの放送局」という悪名がついた。 
 
 きっかけは、米政府が9・11テロを行ったという嫌疑をかけたアルカイダの首謀者オサマ・ビンラディンのインタビューを、たびたび放映したことだった。もともと、アルジャジーラは、1998年のタンザニアとケニア米大使館襲撃事件の直後にビンラディンの独占インタビューを収録していた。同時多発テロ発生から数日後の9月20日、その完全版を再放送した。この中で、ビンラディンは「アメリカとイスラエルと共犯者」に対する「ジハード(聖戦)を呼びかける」義務を主張していた(オルファ・ラムルム著『アルジャジーラとはどういうテレビ局か』、平凡社)。 
 
 同年10月7日、テロ組織タリバンがビンラディンとアルカイダをかくまっているといわれたアフガニスタンに、米英が中心となったNATO国際治安支援部隊が攻撃を開始した。現在まで続く、アフガン戦争の始まりである。この時、アフガニスタンの首都カブールに特派員をおいていたアルジャジーラは、爆撃が始まって数時間後にビンラディンの録画テープを持っていると発表し、まもなくして、このテープを放映した。9・11同時多発テロの後のビンラディンの映像もそうだったが、今回も、絶妙なタイミングであった。 
 
 この独占放送は世界の主要テレビ局で再放送され、アルジャジーラを国際的に認知させる最初の動きとなった。その後もテープが連続してカブール特派員に届き、アルジャジーラはアルカイダ首謀者のメッセージの代弁者と見なされるようになった。 
 
 当時、ブッシュ米政権下のドナルド・ラムズフェルド国防長官は、アルジャジーラを「アルカイダの代弁人」「許しがたいほど偏向している」と非難した。 
 
 大手ニュース専門局にとっては、貴重な動画を持つテレビ局であった。CNNは、ビンラディンのインタビュー・テープをほかのテレビ局より数時間前に入手するという条件で、アルジャジーラに巨額のテープ利用料を払ったという。 
 
 2003年4月、米戦闘機が「誤って」アルジャジーラのバグダッド支局を爆撃し、特派員タレク・アイユーブが命を落とした。また、05年には英国の大衆紙「デイリー・メール」が、ブッシュ米大統領(当時)がブレア英首相(当時)に、アルジャジーラのドーハ本社を爆撃する意向をほのめかしたと報道した。 
 
 この報道の真偽には諸説あるが、アルジャジーラ・ネットワークのワダー・カンファール社長は、「ある米高官から聞いた話」としてこれが本当だった、と後に述べている(「ガーディアン」2010年12月10日付)。 
 
―英語放送は2006年から 
 
 2006年11月、このアルジャジーラが、英語版として放送を開始したのが、アルジャジーラ英語放送(以下、アルジャジーラ英語)である。中東に本拠地を置く英語のニュース専門局は、もちろん初めてである。 
 
 アルジャジーラの広報によると、アラビア語放送は中東諸国のアラビア語圏を中心に世界で4千万戸が視聴可能だが、英語放送は、ケーブルや衛星放送を通じて、世界百カ国の約2億2千万戸の家庭で視聴することができるという。 
 
 アルジャジーラは英語版のウェブサイトを03年から作っていたが、06年秋、英語放送の開始とともに刷新した。「アラブの春」では、このサイトへのアクセス数が飛躍的に増加、エジプトのムバラク大統領が首相以下の内閣総辞職を発表した1月29日から翌日にかけて、一挙に2500%も増大したという。その60%が米国からのものだった(アルジャジーラ英語の北米戦略担当者トニー・バーマによる)。 
 
 米国では、アルジャジーラ英語は大手ケーブル・テレビのチャンネルの中には入っておらず、テレビで視聴できるのはオハイオ州、バーモント州と首都ワシントンに住む人だけである。米国全体で視聴できるようになっていないのは、ブッシュ前大統領時代、反米の報道機関と見なされていたことに加え、既存ケーブル・テレビの視聴率が年々下落しており、新チャンネルの導入にテレビ局がちゅうちょしているためといわれている(「米ハリウッド・リポーター」誌のウェブサイト3月17日付)。 
 
 米国の視聴者や他の国でアルジャジーラを見ることのできない人たちは、24時間無料ストリーム放送を行っているアルジャジーラ英語のウェブサイトかユーチューブに殺到した(ちなみに、アルジャジーラのユーチューブ・サイトは毎月250万ビューを誇る。ユーチューブ上のニュース・チャンネルの中では最多ビューである)。 
 
 アルジャジーラが、今回、世界中の視聴者の間に大きな支持を広げることができたのは、ネットにつながっている人なら誰でも24時間、無料で視聴できることも大きな理由の一つであった。 
 
―アラブ系記者が語る当事者感あふれる迫力 
 
 英語放送は人材を米英のテレビ局から集めた。約千人のスタッフは50カ国を超える世界の国の出身だ。 
 
 番組では、男性一人と女性一人のキャスターが画面に向かって立ち、流暢な英語でニュースを報じていく。その様子は、一見したところ、英国のテレビのニュース番組に酷似している。中東やアフリカ諸国のニュースを取り上げる割合が米英のニュース専門局よりも多いのが特徴の一つだったが、当初はすぐに熱狂的なファンを作るところまでは行かなかった。 
 
 英語のニュース専門局の中で、例えば大手CNN、BBCとアルジャジーラ英語を比較すると、同じエジプトの民衆蜂起の中心地カイロ・タハリール広場の様子のリポートでも、中東に本拠地をおく放送局アルジャジーラ英語のリポートはアラブ系記者が手がけ、いかにも「現地から現地のことを熟知している記者がリポート」するという臨場感にあふれていた。米英の記者も中東の専門家ではあるのだが、アルジャジーラ英語のもつ当事者感による迫力には及ばない。 
 
 また、広場に集まり、抗議デモに参加する熱い市民の様子や、食料やガソリンを求めて長い列を作る人々を映し出すアルジャジーラの映像は、エジプト国営テレビ放送による現体制維持を目的とした、支障なく進む交通状態やアーカイブ映像と思われる、楽しそうに買い物を楽しむ市民の様子とは大きな対比を見せた。 
 
 蜂起の間中、エジプト国営メディアは、外国のジャーナリストには「隠された目的がある」、アルジャジーラは「人々を扇動している」と述べ、政府は記者の拘束や機材の没収、放送を停止させる措置、アルジャジーラのサイトへのサイバー攻撃などを行ったが、報道は続いた。 
 
 アルジャジーラ英語の記者はそれぞれがツイッター・アカウントを持ち、速報をツイッターでリポートするほかに、アルジャジーラ以外のジャーナリストや市民のツイートを相次いで紹介した。ユーチューブにあげられた市民からの動画も、番組内で紹介した。タハリール広場に記者と撮影チームを常時置くことで、広場内で起きたデモ参加者とムバラク大統領側の勢力との衝突なども、その場で実況中継できた。2月6日、広場に集まったデモ参加者は「アルジャジーラ万歳!」と叫んでいた。エジプトのスレイマン副大統領がムバラク大統領の辞任を発表し、30年続いたムバラク政権が事実上崩壊したのはその数日後の2月11日であった。(つづく)(ブログ「英国メディア・ウオッチ」より) 
 
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