2011年09月15日20時10分掲載  無料記事
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コラム

人生を変えた言葉   鬼塚忠

  昨日、半蔵門の東京FMでラジオの収録があった。テーマは「人生を変えた言葉」。2回分でのべ24分間話した。出演のお話があってから収録まで一週間ほどあったので、私を変えた言葉を思い返してみた。実は今年の10月、会社は10周年を迎える。そういう意味でもこの10年を振り返るのはいい機会だった。 
 
  振り返ると、同じ時期に会社を起こした人の半分以上はもうその会社の存在が無くなるか、またはその業務をしていないか。創業者の御多分にもれず、私も軌道に乗るまでは二年ほど苦しかった。いろんな人にお世話になり、励まされてここまで来た。 
 この十年間、私の仕事人生を最も変えた言葉は何だったのか? 
 
  独立して2年ほど過ぎた時だった。「歌舞伎町案内人」8万部、「海峡を渡るバイオリン」10万部、「考具」14万部、「世界NO2セールスウーマンの売れる営業に変わる本」20万部とベストセラーも何冊かプロデュースしてきた。それなりの自信はあったし、出版界でもそれなりの評価を得ていると思っていた。「いい本作りますね」「売れていますね」とおほめの言葉も貰ったりもした。そんな言葉が嬉しく、仕事の励みになった。だけどこの十年間で、私を最も変えた言葉は、そんな励まされたり、ポジティブな言葉ではなかった。激しくネガティブな言葉だった。 
 
  人に紹介されて、質の高い本を出すことで有名な出版社の編集者と会うことになった。プレゼンをした時のことだ。先方はずっと私の話を聞いている。無表情だったが企画に興味を持っているはず、と思っていた。しかし話が終わると、先方からこう言われた。 
 「君のレベルじゃ、うちの会社はつきあうことが出来ない」  と。 
  カチン、ときた。文字通り、脳天で音がしそうだった。今までの努力を否定されるようで落胆と怒りが混ざり合った。反論したかった。ではあなたのレベルはどうですか? 
 
  あなたは会社の看板がなければどれだけの価値があるのでしょう、と心底言い返したかったが、そういうことは言えるわけがない。先方の事務所にいる。アウェーだ。口に出さず、胸中にとどめた。それから数日は怒りを抑えることとが出来なかった。さらにその言葉は「あながち嘘ではないのではないか」という思いも心のどこかに芽生え始めた。私はまだまだだ、と。 
 
  それからというもの、私はその言葉を否定するために働いた。そのおかげで、満足ではないが、それなりの結果は残せたと思う。今思うと、私をこの10年間奮い立たせた言葉は、実は私を見下したこの言葉だったのかもしれない。この言葉が私にエネルギーを与え続けた。10年も同じ仕事をしているとモチベーションを高く維持するのは簡単ではない。 
 
  出版界は狭い。パーティーなどでその人物とは今でもたまに会う。挨拶はするが話しこむことはない。実はその編集者に感謝しなくてはいけないと気づいた。 
  本当は面と向かって、「ありがとう」と言いたいくらいだ。 
 
 
鬼塚忠  作家・出版エージェント 
「アップルシード・エージェンシー」代表 
http://www.appleseed.co.jp/ 


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