2011年09月25日09時48分掲載  無料記事
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検証・メディア

首相初の日米会談と米軍基地問題 「沖縄の声」に耳を傾けるとき 安原和雄

 野田首相にとって初めての日米首脳会談は今後の日米関係に何をもたらすか。最大の懸案である沖縄・米軍普天間飛行場を名護市辺野古へ県内移設する日米合意は実現するのか。答えは明白に「否」である。それが「沖縄の声」である。「国外・県外移設」を求める沖縄の声を無視すれば、その先に何が待っているのか。 
 大手紙社説が説いてやまない「日米同盟の深化」どころか、逆に「日米同盟の破綻」を招きかねない。沖縄に犠牲を強いながら日本の平和を確保する選択はもはやあり得ない。遠からず日米同盟、日米安保体制そのものが問い直されることにもなるだろう。 
 
▽ 「沖縄の声」を重視する東京新聞社説 
 
野田佳彦首相はオバマ米大統領との初の日米首脳会談で沖縄・米軍普天間飛行場の返還について、沖縄名護市辺野古に県内移設する日米合意に基づいて進める姿勢を示した。この日米会談について大手紙社説(9月23日付)はどう論じたか。 
 
*東京新聞=日米首脳会談 沖縄の声がなぜ届かぬ(社説の見出し。以下同じ) 
国外・県外移設を求める県民の声はなぜ届かないのか。残念だ。辺野古への移設は、名護市をはじめ、公有水面埋め立ての許可権を持つ仲井真弘多知事が反対しており、実現はかなり難しいのが実情だ。首脳同士の初顔合わせは厳しい現状を直接伝える好機だったが、首相は逸してしまった。 
沖縄県が三千億円の一括交付金創設を求めているとはいえ、札束で県内移設を受け入れさせるなら、県民の反発を買うだけだ。 
仲井真知事は首相と同時期に訪米し、米上院軍事委員会のレビン委員長らと会ったり、ワシントンの大学で講演したり、記者会見したりして、県内移設の難しさを米側に伝えた。 
県内移設を強行すれば県民の対米感情は決定的にこじれ、日米同盟の健全性は失われる。首相はそこまで見通して日米合意推進を大統領に誓ったのだろうか。できない約束はしない。民主党政権に就いて学んだはずだ。 
 
*朝日新聞=日米首脳会談 外交立て直しの起点に 
いまの日米関係に突き刺さった最大のトゲは、米軍普天間飛行場の移設問題だ。日米安保体制の安定的な維持のため、両国政府はともに打開策を探るしかあるまい。同盟の知恵としなやかさが試される。野田外交は、基軸である日米同盟の確認からスタートした。強固な日米関係を土台に、東アジア、さらにはアジア太平洋地域の安定的な秩序をつくることだ。 
 
*毎日新聞=日米首脳会談 鳩菅外交の轍を踏むな 
今の日米関係は順風満帆からほど遠く、不正常とさえ言えよう。本来なら、日米安保条約改定から半世紀の昨年、同盟深化をうたう共同宣言をまとめる段取りだったのが、日本の政局混迷で宙に浮いた。今月は講和条約と旧日米安保条約調印から60年という歴史の節目なのに、同盟をじっくり議論する機運は生まれなかった。 
 
*読売新聞=同盟深化へ「結果」を出す時だ 
大統領は「日本は重要な同盟国で、幅広く協力していくパートナーだ」と語った。首相は、米軍の震災支援に触れ、「日米同盟は日本外交の基軸だという信念が揺るぎないものになった」と応じた。両首脳が日米同盟を深化させることで一致したことは、まず無難な初顔合わせと言えよう。 
 
*日本経済新聞=普天間問題の先送りはもう限界だ 
もはや普天間問題の先送りは限界に近い。野田内閣はこうした認識に立ち、進展に向けた目に見える行動に出てほしい。このままでは沖縄県名護市辺野古に移設する日米合意は破綻する。基地の行き場がなくなれば、普天間は学校や家が密集する今の場所にとどまることになる。それは何より、地元の人々にとって最悪だ。 
 
<安原の感想> 日米同盟への批判力を再生させるとき 
大手5紙の社説で「沖縄の声」を重視する視点を前面に出しているのは東京社説だけで、他の4紙はいずれも「日米同盟堅持」に力点が置かれている。いいかえれば沖縄米軍基地の長年にわたる被害に耐えられなくなった「沖縄の民の声」に正面から向き合おうとしているのが東京社説である。しかし残りの社説は野田政権とオバマ政権に肩入れする主張にとどまっている。「基軸である日米同盟の確認」(朝日)、「同盟深化をうたう共同宣言を」(毎日)、「同盟深化へ」(読売)、「普天間問題の先送りは限界」(日経)などからそれが読み取れる。 
 
もっとも日米政権に批判的な東京社説も「日米同盟の健全性は失われる」と懸念しているところを見ると、日米同盟そのものに根底から疑問を抱いているわけではない。このようにカッコ付きの「批判」であるとしても、その「批判の目」を評価したい。それにしても大手紙がほぼ軒並み日米安保体制、日米同盟への批判力を失ってからすでに久しい。 
 
なぜなのか。日米安保、日米同盟ともにその本質は米国主導の対外戦争(かつての対ベトナム戦争、最近の対アフガン・イラク戦争など)のための軍事同盟である。その足場として機能しているのが沖縄を中心とする在日米軍基地網であるにもかかわらず、その現実から目をそらしているからだろう。東日本大震災への「日米トモダチ作戦」などの事例が目つぶしの格好の道具として利用されている。 
あえていえば、「安保是認」という時流に乗じた浅薄な思いこみを捨てて、日米安保条約を今一度学習し直す必要があるのではないか。メディアが権力批判を放棄するとき、つまり「メディアの自殺」が広がるとき、何が起きるか。それは多数の民衆の犠牲が広がるときでもある。だからこそ民衆によるメディア批判が欠かせない。同時に日米安保、日米同盟への批判力を再生させるときでもある。 
 
▽ 沖縄県民の民意の否定は、国際社会への恥さらし 
 
ここでは沖縄の琉球新報社説(大要)を紹介したい。「民主主義の価値観を共有する日米両国による民意の否定は、国際社会に自らの恥をさらすに等しい」と沖縄県民の民意の尊重を力説している。 
 
*琉球新報社説(9月23日付)=日米首脳会談 民意否定して民主主義か(見出し) 
 
 これほど中身の乏しい会談は、過去にあまり記憶がない。指導者としての情熱や展望が感じられず、官僚の振り付け通り言葉を躍らせただけではないか。 
 野田佳彦首相とオバマ米大統領の日米首脳会談で、首相は米軍普天間飛行場について「日米合意に基づき推進する」と述べ、名護市辺野古への移設をあらためて約束。大統領は「結果を求める時期が近づいている」と応じ、具体的な進展への日本側の努力を求めた。 
 鳩山、菅両政権の時代から首脳会談のたびに「日米合意の推進」をことさら強調する日本側の対応は、首をかしげざるを得ない。 
 
 辺野古移設案は県民の支持を全く得られず、さらに米議会の支持も失った。現実主義者を自認する政治家や官僚など「安保マフィア」と言われる人々は、自らが「非現実主義者」化している現実に気付かないのだろうか。 
 日米同盟関係について、首相は「日本外交の基軸と考えていたが、大震災後、信念はさらに揺るぎないものになった」と強調したが、肝心なのは日米関係が幅広い国民の信頼に裏打ちされているのかだ。 
 
 首相の「信念」発言に呼応し、大統領は「同盟を21世紀にふさわしいものに近代化していきたい」としたが、真意が定かでない。 
 
 辺野古移設については、仲井真弘多知事をはじめ大多数の県民が反対し「実現不可能」と考えている。この期に及んでなお首相や外務官僚が米側に期待感を抱かせる発言を繰り返すのは罪深い。 
 民主主義の価値観を共有する日米両国による民意の否定は、国際社会に自らの恥をさらすに等しい。いい加減、自覚してもいいころだ。 
 
<安原の感想> 浮かび上がる本土と沖縄の「対立の構図」 
まず琉球新報社説の中で次の指摘は見のがせない。 
・辺野古移設案は県民の支持を全く得られず、さらに米議会の支持も失った。現実主義者を自認する政治家や官僚など「安保マフィア」と言われる人々は、自らが「非現実主義者」化している現実に気付かないのか。 
・民主主義の価値観を共有する日米両国による民意の否定は、国際社会に自らの恥をさらすに等しい。 
 
特に「安保マフィア」という表現に着目したい。マフィアとは、米国その他の国の大都市に暗躍する密輸・賭博(とばく)などの犯罪組織を指しているが、犯罪に限らず、政治や産業にまで介入している。ここでの安保マフィアは日米安保体制に固執する軍産政官学複合体の意味だろう。一方、原子力発電マフィアといえば、「原発推進複合体」、「原子力村」など原発推進に執着しているグループを指している。いうまでもなくこの2つのマフィアは緊密な相互依存関係にある。 
琉球新報社説は、その安保マフィアが政治・経済を牛耳っているつもりかも知れないが、現実にはもはやその力を失っている、といいたいのだ。現実に変革の力量を発揮しつつあるのは、安保マフィアではなく、多数の民衆の「民意」であり、だからこそその民意を否定することは、「国際社会に自らの恥をさらす」ことになる。 
 
もう一つ、沖縄タイムス社説(9月22日付=普天間問題 「構造的差別」断ち切れ=見出し)から以下の指摘を紹介したい。 
・県知事がわざわざ米国に出向き、「沖縄の総意」を伝えたにもかかわらず、日本の外務大臣は、同じ日に米国で、沖縄の総意に反する約束をした。 
・沖縄だけがいつまでも基地の過重な負担を背負い続ける構図は「構造的差別」そのものだ。 
・「沖縄という特定の地域を犠牲にした安全保障」をいつまでも続けることは、著しく公平、公正さに欠ける。 
 
以上の沖縄タイムス社説の主張は、沖縄から本土に向かって批判の矢を撃つという姿勢を感じさせる。「沖縄の総意」に反する本土政府の対米約束、沖縄だけが背負い続ける「構造的差別」、公平・公正さに欠ける「沖縄を犠牲にした安全保障」― などの痛烈な指摘は、正当である。 
主として東京に本社をもつ大手紙の社説の多くは、日米同盟の枠内に安住している風であり、批判力も衰えて、いささか気楽すぎるのではないか。沖縄の主張にもっと耳を傾けるときである。本土と沖縄との間に浮かび上がる「対立の構図」、この亀裂は本土側の責任である。この対立の構図はやがて日米同盟、日米安保体制そのものの見直しにも直結していくだろう。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です 
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