2011年10月10日03時10分掲載  無料記事
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中東

バーレーンの選挙

  ニューヨークタイムズによると、9月24日(土)、中東のバーレーンで選挙が行われた。この日も反政府運動の人々はデモの中心となったパールスクエアに向ったが、機動隊とぶつかった。デモ参加者は数百人から数千人におよぶと見られており、機動隊は催涙ガスやゴム弾を使って鎮圧した。また、政府は選挙前にウェブサイトで反政府活動の呼びかけをした者は逮捕するとの警告も出していた。 
 
 バーレーンでも今春2月、「アラブの春」の影響で人口の大半を占めるシーア派のデモが行われた。しかし、サウジアラビアから鎮圧部隊がやってきて、反政府派を抑え込んだ。ニューヨークタイムズによると、バーレーンの国会議員(下院)は40人で構成されるが、そのうちシーア派で構成される最大野党Wefaqの18人が「アラブの春」の弾圧に抗議して辞任していた。9月24日の選挙はその補欠選挙だったが、主要な野党が参加しなかったため、投票率は低い数字になった。しかし、バーレーン政府はテレビクルーなどの投票場の取材を禁止し、投票は盛況だったと発表していると言う。 
http://www.nytimes.com/2011/09/25/world/middleeast/bahrain-protesters-and-police-clash-during-election.html?ref=bahrain 
   バーレーンは二院制の国会を持ち、それぞれ40人ずつの議員で構成される。上院は諮問院で議員は国王の勅撰となる。下院は男女平等の普通選挙で選出された40人の議員から構成される。今回の選挙は下院の補欠選挙である。 
 
  バーレーンは人口が約123万人で、地理的にはアラビア半島の東沿岸に位置する島であり、ペルシア湾に臨む。隣国サウジアラビアとは橋で結ばれている。1971年に英国から独立した。人口の3分の2以上がシーア派だが、国王の属するスンニ派が政治を握っている。 
  バーレーンにおける「アラブの春」について、外務省のサイトには次の記述がある。 
 
  「2011年2月、改革を求めるシーア派を中心とした反政府派デモが発生、警察治安部隊との衝突が多発した。同年3月にはGCC(Gulf Cooperation Council:湾岸協力理事会)合同軍がバーレーンに入国、国家安全事態(非常事態)宣言が発出され、シーア派地区を中心に強制捜査や検問が行われるとともに、デモ参加者の大量逮捕、勾留や解雇が行われた。国家安全事態は同年6月1日に解除されている。」 
 
  この反体制派デモの鎮圧ではサウジアラビアから鎮圧軍が送られた。ウィキペディアにはバーレーンについて次の記載がある。 
 
  「隣国サウジアラビアとは、王家が同じ部族の出身ということもあって関係が深く、実質的な保護国となっている。2011年の動乱の際は、サウジアラビアの軍事介入によって事態が収束した。」 
  「軍事面では湾岸戦争後、アメリカと防衛協定を結び、アメリカ軍が駐留しており、第5艦隊 (アメリカ軍)の司令部がある。南部の約25%がアメリカ軍基地となっている。」 
 
■「独レオパルド戦車200台 サウジへの売却が発覚」 
  バーレーンの抗議運動を鎮圧したサウジアラビア軍にドイツが戦車を売却することをイスラエルとアメリカが承認していたとの話が欧米の新聞で紹介されていた。 
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