2011年10月17日16時26分掲載  無料記事
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コラム

町での立ち聞きから〜「幸福の三条件」とは?〜    村上良太

  二人はかれこれ70歳前後の男性だが、今の時勢を語り合っていた。 
 
  「今の若い人たちの年収は、200万もらっていない人は随分と多い。せいぜい100万円ぐらいの人だっていっぱいいるようですよ。ひどい時代です。でも、昔を振り返ってみると、僕は娘たちに言うんですが、お前たちが子供だった頃、お父さんの給料でシュークリームを買ってやれたのは月に一度だったんだ、と。」 
 
  こうした話を立ち聞きして、なるほど子供時代を思い出すと、僕の場合は語り手の娘さんたちよりもいささか年長のように思えるが、とんかつを食べることができたのは誕生日など1年に数回の晴れの日だった。握り寿司は父親が接待とか宴会で供された時などに、お土産に買ってきたものが多く、自宅で寿司を食べたのは自家製のちらし鮨が大半だった。昔を思い出してみると、ハレの日の食べ物と、普段の食べ物の間には格差があった。 
 
  「お父さんの給料がもっとあったら、美味しいものなんていくらでも買ってこれるんだよ。」 
 
  母は呪いのようにこんなことを言っていたが、1週間イワシ料理が続いたことはしばしばだった。月曜、イワシの焼魚、火曜、イワシのフライ、水曜、イワシの煮付け、木曜、イワシの骨せんべい、金曜、再びフライ・・・といった調子である。週末に魚屋でイワシを安く大量に仕入れて、毎日手を替え品を変えて食卓に出していたのだ。しかし、大企業につとめていた父の給料は今の格差社会からすれば問題にならないほど安定していたはずである。 
 
  90年代以後、とんかつも寿司も日常食になってしまった。回転寿司が出来たことが1つのきっかけだし、コンビニやスーパーでも弁当として握り寿司が500円以内で売られている。円高の影響で、食材が海外から安く入手できるようになったことも影響している。ビフテキすら例外ではないだろう。その結果、表面的に見れば、ハレとケの差がなくなるか、境界線があいまいになり、お祝いに食べるものがどこかしょぼくなった気すらしないではない。 
 
  スロベニア出身の思想家・精神分析家のスラヴォイ・ジジェク(Slavoj Zizek,1949-)は「「テロル」と戦争」(青土社)の中で、「精神分析という視点から言えば、欲望が裏切られること、それがまさに幸福の名称である」と書いている。「70年代後期から80年代にかけてのチェコスロバキアのような国では、人々はある意味で実に幸福だった。ここでは幸福の3つの基本的な条件が充たされていた」としている。その三条件とは次のようなものだ。 
 
  (質的必需品は基本的に充たされていた−非常によく充たされていたわけではないが。というのも、消費の過剰はそれ自体が不幸せを惹き起こすから。マーケットでときどき起こる特定商品の短期的不足を経験するのはよいことだ(数日間なくなるコーヒー、そして牛肉、さらにテレビといった風に。)こうした短期的品不足は、普通は品物が手に入るという掛け替えのない喜びを思い起こさせてくれるための例外として機能する。 
 
  第二の−非常に重要な−条件は、本当の責任を感じなくて済むように、何か悪いことが起きるとその原因すべてを押し付けて非難できる<他者(党)>が存在することである。 
 
  そして−最後だが、大切な−条件は、憧れるだけでなく、ときどき訪れることができる、ある<他の場所>(消費主義的な西欧社会)が存在することである。こうした場所は適切な距離を隔てて−酷く遠くもなければ、そんなに近くもない、といった感じで存在せねばならない。 
 
  ジジェクの論を抜粋すると上のようなものになる。ジジェクは私たちにとって最悪の事は私たちが「公式に」欲望していることを最終的に入手してしまうことであると説いている。幸福は本質的に欺瞞であるというのだ。 
 
  ジジェクの論に対して、賛否両論あるだろうが、しかし、僕が率直に感じたのは昭和時代の後半、日本もまたジジェクがここで触れているチェコに近い状態だったのではなかろうか、ということだ。食べるものは基本的には充たされてはいたが、それでもハレの日にしか食べられないものが存在することで、1年のメリハリがあった。また、自民党の一党支配体制のおかげで自民党に社会問題のすべての責任を押し付けることもできた。さらに憧れの消費社会としては、まだアメリカのヘゲモニー「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」が健在だった。ジジェクにならえば、これらの三条件によって、日本人は幸福の本質問題に直面しなくてすんでいたということなのだ。 
 
  今政府はさらに牛肉を安く買える国にしようと骨を折ってくれている。牛肉がかつてのイワシみたいに毎日食べられるように頑張ってくれているのだ。政府は自民党の一党支配を打ち破った民主党政権である。アメリカは財政難でデフォルトのふちにある。そのため、とうとう日本人は戦後、ずっと避けてきた「幸福とは何ぞや」問題について本気で考えなくてはならない時に差し掛かったのではないだろうか。 


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