2011年10月24日09時06分掲載  無料記事
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反戦・平和

「援護法の制定と戦争を支える意識の変革を」 全国空襲連の足立史郎事務局長に聞く

  昨年8月14日に発足して1年余が過ぎた全国空襲被害者連絡協議会(以下、全国空襲連)の事務局長の足立史郎さんに、今までの活動とこれからについて聞いた。足立さんは、ひきつづき被害者等援護法の制定をめざすとともに、戦争を支える日本の意識・文化を変える幅広い活動を展開したいと述べた。また福島原発事故に対する国の取り組みは、「加害者の責任を問わないという点でかつての戦争のときとそっくりだ」と批判した。(加藤〈karibu〉宣子) 
 
  2009年12月14日の東京大空襲訴訟東京地裁一審判決で敗訴した際、主文ではないところで「立法によって配慮すべき」との一文がありました。原告は「裁判所は司法の責務を放棄」と批判しながらも、この点を一定の評価をし、立法解決と両輪で闘う決意して毅然と控訴しました。立法解決も含めて全面的な解釈を求めて、原告団・弁護団は立法運動に着手すべきだという方針を立てました。 
 各地の原告団、支援する人や労働組合の連合の「平和フォーラム」、「空襲と戦災を記録する会」の人々に呼びかけをして、昨年8月14日に全国空襲連を結成させました。共同代表に早乙女勝元さん、中山武敏弁護士、荒井信一さん、前田哲男さん、斉藤貴男さんになっていただき、当日の結成集会には300人出席しましたが、会員は15団体100名余で立ち上げました。 
 
 成果といえば、一周年を迎えたときには、募金をしてくれた人も含めて、299人23団体に増えました。組織的発展としては、沖縄でも被害者の会ができ、次は九州で11月3日にブロック結成の目鼻が立ち、名古屋や横浜などでブロックの結成に向けて努力しています。成果の3つ目は、6月15日約30名の国会議員が集まって議員連盟が結成されました。その後に数名の自民党や公明党の議員が加入され(現在37名)、まだ議員一人一人の意思によるもので、政党ぐるみの動きはこれからの課題です。 
 
 全国空襲連は、空襲被害者等援護法を制定し、平和をつくる団体ですから、被害者だけの団体ではなく、一般国民も支援者としてではなく被害者と同じように参加できる運動体です。アジア・太平洋戦争は全国民を巻き込み、軍人・軍属を除き90万余の死者(国は調査をしていないので、正確な数字は分かりませんが)が出たのです。戦後66年一般被災者は何の補償も受けていない。軍人・軍属は1952年から50兆円を超える恩給を受けているにもかかわらずです。 
 まず、調査をし、死者の刻名碑がほしい、生きた証がほしいのです。だから広く全国民を対象とした国民運動にしていきたい。そのためには、今の全国空襲連の組織実態ではまだまだです。今まで大きな運動をつくってきた日本被爆者団体協議会や多くの戦後補償の運動などから学ばねばならないと思います。 
 
 ただし、空襲被害者等援護法の立法化は、1973年から88年までの間に、14回廃案になっています。自民党が政権をとっていたときに、当時の日本社会党を中心にほぼ全野党が法制化しようとしたのですが実現出来ませんでした。それから23年目、あらたに「空襲被害者等援護法」を来年1月にも上程しようと思っていますが、空襲被害者の要求を通すことについては、原爆による死没者なども補償されていませんので、運動としては、それぞれの主体性を尊重し、このことも含め実現へ努力します。立法化では可能なところの獲得へ全力を尽くすことになることも考えられます。 
 
 軍人・軍属が恩給をもらっているのに、一般被災者が放置されたままになっているというゆがんだ戦後補償、差別構造が66年も続いているのは、日本人の国家観、意識の問題も大きいと思います。日本人は「国家のために」という意識が強い。近代憲法は国民のために作られているのに、日本人は「長いものには巻かれよ」という風に、権力に対して個人の主張が弱い、黙っている。評論家の加藤周一が『日本文学史序説』でも書いています。 
 私は、日本では戦争を支える意識・文化があるように思います。1つは人間に対する差別観、2つは大勢順応、3つは絶対服従、4つは私は知らなかったということ。全国空襲連が、ゆがんだ戦後補償をただしていくことは、まさにこの戦争を支える意識・文化から抜けて、本当に国民一人ひとりが国民主権の国家を作ることではないかと考えています。 
 
 憲法前文にあるように、再び戦争の惨禍を許さない、過去をきちんと総括する。主権は国民にあって平和のうちに生きる権利がある、そのような壮大な運動です。全国空襲連の目的は3つあります。1つは「援護法」の制定、2つ目は空襲被害者の人間回復です。66年も放置されてきたことが「人権」として許されるのか。3つ目は、戦争の参加を繰り返さないため核兵器の廃絶などの平和運動と連帯すること。私たちの運動は、平和結集とでも言うような核になれる要求を持っています。 
 戦争当時全国で空襲があったわけですから、被災者は1000万にも及びます。したがって運動の基盤はあります。そして「今やらなくちゃ」いけない。被害者は70代後半から80代で、あと10年余もたてばいなくなります。壮大な運動を夢にしないで、実現へがんばりたいです。 
 
 原発事故では、国がやっていることは戦争のときとそっくりです。戦争の推進者とその協力者に、庶民から集めた税金で高い恩給を払っているのと同じで、東京電力、加害者に責任をとらせない。庶民の税金による企業の存続が庶民の生命と生活より先になっています。世の中は変わっていないと思います。 
 これを、今変革する時です。3月11日の東日本大震災、フクシマ原発事故を契機に、古い政治・社会の枠組みを打開する新しい胎動を大きな波にしなければなりません。私たちは戦後66年たったいま、「こんなひどい加害と被害を、何もしないで放置しておいて、誰も責任を取らないで、それでも仕方がないと言えるのか」と怒りをもって、空襲裁判の勝利と、差別なき戦後補償立法の100万人署名に取り組みます。ご支援をよろしくお願いします。 


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