2011年11月10日11時52分掲載  無料記事
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米国

企画 「イラク戦争の傷痕〜増える脳損傷者〜」  村上良太

  放送局に番組企画を提出しても企画が通るとは限らない。むしろ落とされる方が多い。だから、テレビ番組の製作者達は放送局員であろうと、インディペンデントであろうと企画書作りに賭ける。企画書を書きながら、番組のねらいを考え、イメージを作っていくのである。しかし、企画が通っても現場では想定とは異なる現実が起こることもあれば、取材の過程で取材者自身の当初の思い込みが覆されることもある。そうした過程を通して、どう作ったらいいのか、ディレクター、プロデューサー、そして撮影・録音・編集スタッフらが番組を共同で作っていく。 
 
  以下は僕が書いたイラク戦争負傷兵の治療とリハビリに関する番組企画案である。民放でいいところまで行ったものの、残念ながら実現できなかった。ネタ元はニューヨークタイムズの2006年1月31日付の記事である。放送局で企画にOKが出たとしても、米国防省と病院が許可を出すかどうかは未知であった。ただし、ニューヨークタイムズに出たこの記事はイラク戦争の記事の中では異例に大きな扱いで、写真入りで丸々2ページにわたるものだった。僕には米国でイラク戦争に対する報道姿勢を変える深層の変化が起きたように感じられた。だから取材を申し込めば可能性があるかもしれないと思ったのである。 
 
  イラク戦争で重い傷を脳と全身に負った最重度の負傷兵はフロリダ州タンパの病院にやってくる。この病院には通常にはない数の専門医が数人つきそいで兵士の治療とリハビリに取り組むのである。しかし、脳にダメージを受けると、メンタル面の治療が困難になるほか、負傷が様々にあると、治療の優先順位をめぐってタフな決断を迫られることになる。そうした医師団と負傷兵、そしてその家族の「日常」を取材しようと思ったのだった。企画書に書き込んでいる具体例は記事から拾った事例だが、もちろん番組作りになれば新たな事例を拾うことになる。 
 
  昨年8月、ロバート・ゲイツ国防長官は国防費の削減に取り組んでいたが、年々増加するものに兵士と元兵士の医療保険費があった。軍事費とは戦費や兵器費だけではないのである。もちろん、イラク戦争の場合はアウェイ(敵地)の戦いだから、負傷は兵士だけで済んでいる。 
 
  ここに5年半以上前に書いた拙い企画案を紹介するのは米軍がイラク撤退を完了させようとしている今、あえて米国ではイラク戦争が終わったわけではないことを見つめたいと思うからだ。負傷兵達は今も、そして将来もトラウマや身体障害とともに生きていかなくてはならない。今、米国は財政難で7月にはデフォルトの可能性すら報じられていた。国が破産したら負傷兵は誰が面倒を見るのだろうか。 
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企画 「イラク戦争の傷痕〜増える脳損傷者〜」 
 
  「この3年は過去に例を見ない負傷兵が戦場から送られてくるようになった」 
  そんな医師の言葉に象徴されるようにイラク戦争で負傷した米兵は、その6割以上が車に仕込んだ爆弾やロケット弾、地雷などで多数の破片を全身に浴びている。反政府勢力は米兵の肉体に強いダメージを与える武器を重点的に使っているのだ。 
  一方、米軍の医療も実はイラク戦争を境に大きく変わったと言われる。それが顕著に見えるのがフロリダ州タンパのポリトラウマ・リハビリテーションセンターである。昨年、米議会はタンパなど4つのリハビリ施設の新設を決めた。イラク戦争で米軍が救急医療体制を強化した結果、過去には死亡していた重傷でも生還できるようになったからだ。負傷兵が多数の傷を抱えているので担当する医師の数も過去の2〜3倍に増えた。また多数の傷はしばしば難しい選択を医師団に迫る。たとえば足に血栓ができて壊疽しかねない場合、普通は血液を薄める薬を投与するが、患者に脳内出血があると、出血を深める結果になる。こうしたタフな判断を日々行わなくてはならない。 
  四肢の欠損、情緒障害、機能低下やトラウマなど負傷兵は厳しい現実を受け入れなくてはならない。妻や恋人、肉親のショックも大きい。特に脳へのダメージはリハビリを困難にしている。トラウマを治療するにも、脳の外傷により認知力が衰えてしまうため、心理療法の効果がそがれるからだ。 
  最も治療の難しい負傷兵が送られて来るタンパのリハビリ施設にカメラをすえ、主任のスティーブン・スコット医師を中心に医療チームの挑戦を描く。彼らの必死の努力の中に、今もなお出口が見えないイラク戦争の過酷な現実が浮き彫りにされる。 
 
  ★最も重傷の兵士が収容されるリハビリ施設 
 
  負傷兵のうち最も重傷の者が送られてくるフロリダ州タンパの「ポリトラウマ・リハビリセンター」。ここに約90人の兵士が収容され治療とリハビリに励んでいる。平均収容日数は40日だが、1年を超える者も多い。彼らは脳外傷、視聴覚の喪失、神経の損傷、複雑骨折、手足の切断、治癒しない傷、感染、感情や行動の異常など様々な障害を抱えている。通常一人の患者に対応する医師は2〜3名だが、ここではしばしば10人の専門医がつく。次々に直面する未知の事態に医師団は揺れる。そんなリハビリ医療チームの葛藤と戦いを描く。 
 
  ★戦場の記憶 
 
  脳がダメージを受けた場合、戦場の記憶に付き纏われることが多い。戦友の死やイラク人を殺した記憶だ。戦場の記憶は患者に強いストレスを与える。PTSDが脳の外傷と複合されるのだ。脳に外傷があると認知力や洞察力が衰え、心理療法が効果を発揮できないことが多い。また高次脳機能障害から、人格が変わり行動異常を頻発するケースもある。イラク戦争以前、軍の病院に収容される脳外傷はほとんどが自動車事故による傷だった。しかし、イラク戦争では小さな爆弾の破片が複数脳に食い込んだり、脳の一部が吹き飛ばされている負傷兵が多数送られてくる。 
  施設に宿泊する家族が見守る中、困難なリハビリとカウンセリングが続く。 
 
  ★社会復帰への道 
 
  ここではわずかな進歩も大きな希望と化す。かすかな瞬きで交わされる言葉。左脳の損傷で失語症となった患者が右脳で機能を代用する。車椅子の兵士が必ず歩いてみせると誓えるようになる。 
A伍長は車の爆弾で重傷を負った。軍から連絡を受け妻と夫の両親が、ドイツの米軍病院に向かった。夫と同じB州麻薬捜査班刑事だった妻は、ベッドの夫を見て「この人は夫ではありません。人違いです」と語った。伍長の乗った水陸両用車が被弾したとき、伍長の頭に大きな穴が開き、意識はなかった。燃える車両から仲間が伍長を引きずり出し救助ヘリに乗せようとした。だがヘリは最初、伍長を乗せるのを断った。・・・そんな話も妻は初めて聞いた。A伍長は、その後ワシントンのベテスダ海軍病院を経て、タンパにやってきた。2ヵ月後、瞬きでイエスとノーを知らせることが出来るようになった。家族に訪れた最初の希望となった。妻は施設の近くに家を借りる予定だ。夫がたとえ二度と歩くことが出来ず、植物人間になったとしても面倒を見続けるという。 
  主任のスティーブン・スコット医師は「ここで生きる意味を取り戻してもらうのが使命」と語る。しかし、軍に入るより他に希望のなかった兵士も多く、彼らは除隊後どのような希望を持ちうるのだろうか? 
 
  ★センターを出る日 
 
  センターで社会復帰への第一歩をつかんだ兵士もついに帰宅する日が来る。この先は地域の病院でケアを受けながら新しい生活に踏み出していく。だが米国には今も毎週215人を越える負傷兵がイラクから送還されてくる 
 スコット医師は「この施設に受け入れた患者は生涯診続けなくてはならない」と言う。だが、強い不安を訴える。「果たして米政府は、どこまで彼らにコミットを続けられるのか?財源が尽きると、途中で放り出すのではないか」 
 
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■メディアの力学 「核廃棄物最終処分場の行方」 http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201103261246056 


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