2011年11月17日01時36分掲載  無料記事
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渡辺一夫評論選  「狂気について」

  ラブレーの研究などで知られる渡辺一夫の評論集「狂気について」(岩波文庫)の中に、「寛容(トレランス)は不寛容(アントレランス)に対して不寛容(アントレラン)になるべきか」と題する評論が納められている。 
 
  この寛容と不寛容の問題の重要性が世界でクローズアップされてきているように思われる。そこには宗教が関係している。昨今、しばしばイスラム教徒がクローズアップされがちだが、渡辺一夫はこの1編でキリスト教徒の不寛容を取り上げている。キリスト教徒の不寛容に対して、一方、むしろ寛容だったのは古代ローマ社会だったとするのである。我々の脳裏には古代ローマ皇帝がキリスト教徒を競技場でライオンや虎に食わせている絵が脳裏に焼き付いているので、ちょっと意外な気がする。渡辺一夫はこう書いている。 
 
  「キリスト教は、その母胎たるユダヤ教と同じく、峻厳な一神教の理念にすがりながら、多神教のローマ社会に、深い敵意と憎悪を抱き、キリスト教の哲学と倫理とを以てせねば、世界は救えないという若々しい自負に生きていたようである。・・・ところが、キリスト教の不寛容に対して、年をとったローマ社会は、極めて寛容な態度を持っていた。当時のキリスト教から言えば、涜神は死に値することになるにも拘らず、ローマ社会では、涜神は罰せられず、ティベリウス帝は、「もし神々が侮辱されたら、それは神々自身に始末させるがよい」と言ったくらいである。ところが、これほど寛容で、宗教を人間のものにしていたローマ社会も、弘まり始めたキリスト教に向かっては、かなり不寛容を示した時期があった。」 
 
  これがドミティヤヌス帝やトラヤヌス帝の政策だという。この頃の迫害の絵が我々の脳裏に象徴的に浮かぶのだろう。 
 
  「寛容なローマ社会が、なぜキリスト教に対して不寛容であり得たかというに、それはピュアリによれば、ローマ社会の寛容を脅すキリスト教の不寛容を抹殺して自らの寛容を保とうとしたからである。」 
 
  しかし、キリスト教徒の殉教者が増えるに従い、キリスト教の峻厳さが凄みを帯びていったとする。このキリスト教の険しさが後に何世紀にもわたって深い傷痕を残すことになったと渡辺一夫は指摘している。「クオ・ヴァディス」や「ファビオラ」といったキリスト教文学はローマ社会の残忍さを描いているが、ローマ社会はキリスト教徒の徹底的抹殺をはかろうとはしなかったし、ローマ社会の不寛容さはキリスト教徒の不寛容さよりはるかに緩かったとするのである。 
 
  では不寛容に対して寛容はどう対処すべきなのだろうか。渡辺氏はこう述べている。 
 
  「終始一貫ローマ社会は、キリスト教に対して寛容たるべきであった。相手に、自ら殉教者と名乗る口実を与えることは、極めて危険な、そして強力な武器を与える結果になるものである。中世、16世紀を通じて、異端審判や宗教改革をめぐる宗教戦争が、驚くほどの酷薄さを発揮したが、この酷薄さは、春秋の筆法を借りれば、ローマの誤った不寛容によって鍛えられたものと言えるかもしれない。」 
 
  こう考える渡辺氏はソヴィエト・ロシアの酷薄さも革命以来ロシアを取り巻き、ロシアを叩き潰そうとした周囲の国々にも責任があったのではないか、としている。 
 
  キリスト教社会は宗教戦争の酷薄さを経て、モンテーニュやエラスムスなど寛容の精神を説く人々を輩出した。 
 
  「ミシェル・ド・モンテーニュは、自分と異なった思想を持った相手を抹殺することは、むしろ、その思想を生かすことになるという秘密を知っていた」 
 
  キリスト教徒の不寛容さは今日も顕著にみられるが、それがイスラム教徒の不寛容さを増幅しているのではないだろうか。人間の暴力の問題を渡辺一夫は本書「狂気について」の評論の中で思索している。本書には他に「人間が機械になることは避けられないものであろうか?」「モンテーニュと人喰人」など、22編が収録されている。 
 
■渡辺一夫(1901−1975)仏文学者。フランス・ルネサンス、特にラブレーの研究で知られる。 
 訳書 
『ピエールパトラン先生』 
『ガルガンチュワとパンタグリュエル物語』(全5巻) 
『痴愚神礼讃』(デジデリウス・エラスムス) 
『マンドリュス版千一夜物語』 豊島与志雄等と共訳 
『アフリカ騎兵』(ピエール・ロティ) 
『文学の宿命』(ジョルジュ・デュアメル) 
『五つの証言』(トーマス・マン) 
『パトリスペリヨの遍歴』 ほか多数 
(ウィキペディアによる) 
 
■モンテーニュ(ウィキペディアより) 
 
  『エセー(随想録)』Essais は、フランスのモラリスト文学の基礎を築いたとも評されるモンテーニュの主著である。法官辞任後、1572年以降に執筆をはじめ、1580年にボルドーで刊行された(初版、2巻本)。その後、1588年に第3巻及び初版(2巻)への大幅な加筆を行い刊行した(1588年版という)。晩年も死去の直前まで本の余白に書き込みを行っており、この書き込みも含めて定本とされている。 
 
  体系的な哲学書ではなく、自分自身の経験や古典の引用を元にした考察を語っている。宗教戦争の狂乱の時代の中で、寛容の精神に立ち、正義を振りかざす者に懐疑の目を向けた。プラトン、アリストテレス、プルタルコス、セネカなど古典古代の文献からの引用が多く、聖書からの引用はほとんどない点が特徴的である。17世紀のデカルトやパスカルにも多大な影響を与え、後には無神論の書として禁書とされた(1676年)。 


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