2011年12月02日11時39分掲載  無料記事
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コラム

セルバンテス賞の記事を読んで   村上良太

   昨日、セルバンテス賞の受賞者が発表された。この賞はスペイン語圏では最も権威がある文学賞と伝えられている。昨年、ノーベル文学賞を受賞した「緑の家」のマリオ・バルガス・リョサも過去のセルバンテス賞の受賞者である。そうは言っても、セルバンテス賞は日本で話題になったことは(多分)ないし、フランスのゴンクール賞ですら日本で報じられたとしてもベタ記事程度である。そもそも近代小説の元祖とされるセルバンテスの「ドン・キホーテ」ですら、ほとんど読まれていないだろう。恥ずかしい話ながら、今年のセルバンテス賞の受賞者であるニカノール・パラという名前も初めて聞いた次第である。 
 
  今回の受賞者ニカノール・パラ氏が日本であまり知られていない理由には少なくとも3つの要素があると思われる。 
 
ヽ姐駟験惻圓任△襪海函
外国文学の中でも、アメリカの作家でないこと 
詩人であること 
 
  パラ氏に付随するこの3つの要素は今の日本の出版業界から世に出るには三重苦になっているのではなかろうか。 
 
  まず昨今、全般的に海外文学が日本では歓迎されていない感じを受けることだ。池澤夏樹氏の世界文学全集(河出書房新社)が出るまでは過去に出版された様々な世界文学全集がばらばらになって古書店の店頭で100円(105円)のバナナのたたき売りに近い状況であった。店頭のワゴンで陽にさらされ、埃と排気ガスにまみれ、スタンダールもチェーホフもトルストイもメルヴィルもタダで持って行けというのに近い。 
 
  もう一つの要素として、パラ氏がアメリカ人でなく、スペイン語圏の人であり、もっと言えばチリ人であることだ。僕自身にとってもスペイン語圏の作家は一部のグレートな作家を除くと、ほとんど未知数に近い。ジャンルは異なるが、その昔、スペイン語圏の名匠にルイス・ブニュエルがいた。しかし、メキシコで作られた映画などいかに名作と言われていても、今一つ感覚的によくわからないことがあった。 
 
  たとえば「砂漠のシモン」である。これは砂漠で修業をするカトリックの坊さんの前に悪魔が裸女になって現れたり、ご馳走を運んで来たりとあの手この手を使って修業を妨げようと誘惑する話だ。坊さんの禁欲修行自体は仏教にもあるからわかると言えばわかるのだが、なぜ砂漠に櫓を組んでまで徹底してするのか、ということになると、そもそもそのような禁欲という考えが自分にないために、どうしても遠い話になってしまう(これによく似た話はアラブ映画祭に出品されたエジプト映画でも見た)。 
 
  宗教にコミットしている作家であれ、それに反抗しているブニュエルのような作家であれ、そのベースにはカトリックの宗教文化があり、それが東洋人には感覚として遠い感じになるのかもしれない。特にスペインの文化にそれが強く感じられる。しかし、ことはスペイン語圏の特殊性という問題なのだろうか。 
 
  日本で最もポピュラーなのは米文学だろう。アメリカの作家はわが国の外国文学の輸入の割合からいけば夥しいシェアを占めている。農作物のビーフやトウモロコシに近い。出版業や著作権ビジネスはアメリカにとって外貨が稼げる輸出産業の一角を占めるだろう。アメリカの作家ならかなりマイナーな作家でも、他の国のノーベル賞級の作家とほとんど同じくらいのスペースを書店や図書館の棚で占めているように思われる。 
 
  たしかに米作家の作品はカトリック圏や第三世界の作家の作品に比べると、わかりやすいことは否めない。これはアメリカという国が建国以来、世界各地からやって来た移民を統合してきた国であり、小説や映画も様々な文化圏からやってきた人間にもわかるように作られる傾向があることと関係している。そのことが文化産業の輸出にとって大きな力になっている。 
 
  しかし、だからと言ってアメリカの作家ならただちにクオリティが高いとか面白いとは言えない。わかりやすいということと文学として優れているということは必ずしも一致しないからである。「わかりやすい」の最底辺には低俗ということがある。特に詩のような文学にはそのことが顕著である。今年のセルバンテス賞の受賞者ニカノール・パラ氏は詩人だと聞く。詩はそもそも読んですぐにわかる新聞記事のようなものではないだろう。繰り返しその言葉を反芻しながら、その含意を理解する謎に満ちた世界であるからだ。そこに詩の面白さも味わいもある。さらに言えば異文化を理解するということも詩を読むことに近い営みに思われる。それにもかかわらず書店や図書館の棚の大きなスペースを依然わかりやすい米作家の小説が占めている。しかし、フランスやロシア、あるいは中南米に行くと文学の中でも詩に対する評価が非常に高いことに気づく。そこに文学とのつきあい方の違いがあるようだ。それは人間をどう見るか、という人間観にも直結している。 
 
  ノーベル文学賞は文化圏を分散して賞が与えられる傾向があるためにアメリカの作家が独占するということはない。そのためか、ほとんど毎回、ノーベル文学賞が発表されても、聞いたことがない作家であることが少なくない。 
 
■ルイス・ブニュエル監督「砂漠のシモン」 
http://www.amazon.co.jp/%E7%A0%82%E6%BC%A0%E3%81%AE%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%B3-DVD-%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB/dp/B002BYLO5S 


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