2011年12月05日17時01分掲載  無料記事
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コラム

聞くことについて      村上良太

  週末二夜連続で放送されたNHKスペシャル「証言記録 日本人の戦争」は高齢化した体験者の声を4年にわたって聞き取ってまとめた番組で見ごたえがあった。兵隊だけでなく、その妻など銃後の人々や遺族も含めると聞き取り対象者は800人を超える。体験を語りだす前に「今まで誰にも話したことがなかった」と前置きする人が少なくなかった。戦後、誰にも話せないまま、あるいは話すのを拒否したまま秘密とともに孤独に生きてきたことがうかがえた。 
 
  テレビ業界では長い間、「インタビューは最後の手」とされ、インタビューを重視しないという教えすらあった。話では嘘も混じる。だから、何より行動を撮影しろ、現場のアクションを撮影しろ、と叩き込まれたものだ。さらにインタビューは「尺を食う」=秒数を要するために、じっくり流すと放送時間におさまらなくなってしまうし、長い話だと視聴者が退屈してチャンネルを回してしまう、というのである。そういうわけで、取材企画を立てるときも、まず現場があること、今、アクションがあることが前提になることが多かった。そうなれば当然だが、企画になるものとならないものが分かれてくる。過去の歴史や現場の撮影が難しい話はできない、ということになる。またそうしたことが積み重なると、無意識のうちに思考回路からそうした話題が自動的に抜け落ちるようになるのである。 
 
  しかし、NHKスペシャル「証言記録 日本人の戦争」を見ればわかることだが、その言葉を語る人々の表情が言葉以上に多くのことを発していた。思うに長い間、人の言葉をじっくり聞くということがこの国ではおろそかにされてきた節があるのではなかろうか。そのことを最近感じたのは去年公開されたドキュメンタリー映画「おみすてになるのですか〜傷痕の民〜」を見た時である。この映画は太平洋戦争末期に日本国内で空襲を受け、傷害を負った人々にその時の体験や戦後の人生について話を聞いたものだ。特別なアクションや演出はなく、地道にこつこつ体験者を訪ね歩いて話を聞いている。一人一人の体験談はどれも胸に突き刺さるものだった。 
 
  こうした取材方法がいつからかテレビの世界では珍しくなってきていると思う。それは作り手だけの問題ではなく、視聴者が他人の話をじっくり聞く習慣を失いつつあることと関係しているように思えてならない。特にテレビ界を変えたのはリモコンが世に出たことだと言われる。少し退屈すると立ち上がってテレビの前までいかなくても、スイッチ一つでチャンネルを変えることができるのだ。シリアスな話の途中でも。そのためにテレビ制作者側も、飽きさせず、ネタをテンポよくどんどんぶち込む○○百連発・・・みたいな発想が主流になっていったのである。視聴者は言葉を待てなくなってきている。テレビで受け入れられやすいのは「自民党をぶっ壊す」みたいな短くわかりやすいフレーズである。 
 
  しかし、聞き手の心に届く話は各地に埋もれているのではないかと思う。そこには宝の山があるのかもしれない。何も戦争体験のような重い話題に限らない。今、書店で売出し中の村上春樹著「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(新潮社)は小説家が指揮者に過去の音楽経験を聞く対談である。この対談が行われたのは小澤氏が食堂癌の大手術を受けた後で、仕事のペースを緩めた時のようである。小澤氏は村上氏に聞かれるうちに、思い出があふれてきたと打ち明けている。 
 
  「今までは毎日の音楽でいそがしくて、考えもしなかったのに、出てくるわ、出てくるわ。なつかしかった。今までの私にはない経験だ。」 
 
  これは世界的マエストロと世界的小説家の対談だが、聞き書きは誰が誰に対して行っても価値があるのだと思う。 
 
 
■戦災傷害者の無念を描く  ドキュメンタリー映画「おみすてになるのですか〜傷痕の民〜」 
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■劇作家ニール・ラビュート(Neil Labute) 〜アメリカ再生への一歩〜 
 
  現代アメリカ最高の劇作家の一人、ニール・ラビュートの戯曲に「バッシュ(bash)」がある。この劇は胸に秘めてきた思いを語りだす数人の男女の独白劇である。 
 
  「独白だから、と言ってしまえばそうだろうが、この劇も孤独な空気に満ちている。社会が崩れつつある気配がある。90年代といえばビル・クリントンの時代である。その後、2000年代には9・11同時多発テロ、イラク戦争、金融崩壊が待ち受けていた。下り坂に向うアメリカ人をラビュートは秘密を抱えた孤独な人々の群として描いている。しかし、この劇は人間に向って歩き出そうとしているアメリカでもあるように僕には感じられた。」 
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