2012年01月14日15時55分掲載  無料記事
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みる・よむ・きく

五木寛之著『下山の思想』を読んで 変革を迫られる「登頂」後の生き方 安原和雄

  『下山の思想』に次の指摘がある。私たちは、すでにこの国が、そして世界が病んでおり、急激に崩壊へと向かいつつあることを肌で感じている。それでいて、知らないふりをして暮らしている、と。この認識は大部分は真実と認めないわけにはゆかない。ではこの現実にどう立ち向かうのか。 
 登山にたとえれば、21世紀のこの時代は従来の登山重視の時代から下山重視の時代へと大転換を遂げつつある。だから「登頂」後の下山の時代をどう認識し、どう生きるかが新しいテーマとして登場してきた。言い換えれば、日本人一人ひとりの時代認識と生き方そのものが歴史的変革を迫られているのだ。 
 
 『下山の思想』(幻冬舎新書、2011年12月刊)は多くの読者を得ているらしい。毎日新聞(2012年1月4日付)の派手な記事広告には日本史上著名な仏教思想の先達である法然(ほうねん)、親鸞(しんらん)、日蓮(にちれん)、道元(どうげん)など、すべての人々は山を下りた、とある。この指摘自体も興味深いが、私(安原)にとっては同じ記事広告の中の「成長神話の呪縛を捨て、人間と国の新たな姿を示す画期的な思想」という文言に心が動いた。だから読んでみる気になった。 
 まず本書の大要を紹介する。その上で感想を述べたい。 
 
(1)なぜ下山に関心をもつのか。 
 登頂したあとは、麓(ふもと)をめざして下山する。永遠に続く登山というものはない。この下山こそが本当は登山のもっとも大事な局面である。 
 これまで登山行きのオマケのように考えられていた下山のプロセスを、むしろ山に登ることのクライマックスとして見直してみたい。 
 
 登山が山頂を征服する、挑戦する行為だとする考え方は、すでに変わりつつあるのではないか。そしていま、下山の方に登山よりもさらに大きな関心が深まる時代に入ったように思われる。 
 安全に、しかも確実に下山する、というだけのことではない。下山のなかに、登山の本質を見いだそうということだ。下山の途中で、登山者は登山の努力と労苦を再評価するだろう。下界を眺める余裕も生まれてくるだろう。自分の一生の来し方、行く末を思う余裕もでてくるだろう。 
 
 その過程は、人間の一生に似てはいないか。壮年期を過ぎた人生を「林住期(りんじゅうき)」とみて、そこから「遊行期(ゆぎょうき)」にいたるプロセスを人間のもっとも人間的な時代と考える。下山は「林住期」から「遊行期」(注)への時期だ。そこに人生のつきせぬ歓(よろこ)びと、ひそかな希望を思う。 
 (注)古代インドに人生を次の四つに分ける思想がある。「学生期(がくしょうき)」「家住期(かじゅうき)」「林住期」「遊行期」の四つ。 
 
(2)再生の目標はどこにあるのか 
 いま、私たちは未曾有の大災害に見舞われ、呆然としてなすすべがない有様だ。福島原発が直面する現実は、数年で解決されるような問題ではない。しかし私たちは二度の核爆弾の被災のなかからたくましく立ち上がってきた民族である。どんなに深い絶望からも、人は立ちあがらざるをえない。 
 
 しかし、とそこでふと思う。私たちの再生の目標は、どこにあるのか。なにをイメージして復興するのか。それは山頂ではない、という気がする。ふたたび世界の経済大国という頂上をめざすのではなく、実り多い成熟した下山をこそ思い描くべきではないのか。 
 戦後、私たちは敗戦の焼け跡の中から、営々と頂上を目指して登り続けた。そして見事に登頂を果たした。頂上をきわめたあとは、下山しなければならない。それが登山というものなのだ。 
 
 下山の時代、ということは、言いかええれば「成熟期」ということではあるまいか。戦後の半世紀は、「成長期」だったと思う。 
 私は沈む夕日のなかに、何か大きなもの、明日の希望につながる予感を見る。日はいやいや沈むわけではない。堂々と西の空に沈んでいくのだ。それは意識的に「下山」をめざす立場と似ている。 
 そのめざす方向には、これまでと違う新しい希望がある。それは何か。 
 
(3)新しい物差しをもって 
 「少年よ、大志を抱け」というクラーク先生の言葉(注)は、私たち世代には耳になじみのある声である。彼の考える「大志」とは、末は博士か大臣か、といった出世主義をめざす生き方ではなかった。神の御前(みまえ)に、それにふさわしい生き方をめざせ、と熱烈なクリスチャンであるクラーク先生は若者たちをはげましたのだろう。 
 (注)ウイリアム・スミス・クラーク(1826〜1886)は米国の教育家。1876年(明治9年)来日、札幌農学校の初代教頭となり、内村鑑三、新渡戸稲造らの学生に深い感化を及ぼした。離日の際、残した「Boys, be ambitious」(少年よ大志を抱け)は有名。 
 
 大志にもさまざまな目標がある。私たちも大志を抱くべきだ。しかしそれは果たしてどのような国の姿だろうか。経済力ではあるまい。軍事力でもないだろう。国力の物差しはどこにあるのか。 
 この国が中国にGDP(=国内総生産)で抜かれるまで、米国に次ぐ世界第二位の経済大国であったことはじつにすごいことだった。しかしそこには相当な無理があった。その証拠が年間3万3、4千人の自殺(注)が十数年も続いていることだろう。 
 以前、ブータンを訪れたとき、現地の人から「日本の経済発展に心から敬意を表する。しかしどうしてあれほど自殺者が多いのか」と聞かれて返事に困ったことがある。 
 (注)2012年1月10日、警察庁によると、昨年2011年の自殺者数(速報値)は3万513人と14年連続で3万人を超えた。自殺者数は1998年に3万人を突破してから、2003年に過去最高(3万4427人)を記録し、ずっと3万人台で推移している。 
 
 私たちは、新しい社会をめざさなければならない。経済指数とは別の物差しをさがす必要があるだろう。 
 節電の運動が普及して、街は暗い。しかし最近ようやく夜の濃(こ)さを再発見したような気がして、節電の街があまり不安ではない。 
 このあたりで一休みして、落ち着いて下山のプランを練り直すこともできそうだ。どこへ下山するのか、その先に何があるのか。さまざまに想像すると、かすかな希望の灯が見えてくるような気がする。 
 
(4)第二の敗戦と「下山のとき」を生きる 
 いま私たちは戦後最大の試練に見舞われている。原発事故の行方は不明だが、どんなに好意的に見ても、あと半世紀は後遺症は続くだろう。この国は二度目の敗戦を迎えたのではないか。国対国の戦争ではない。 
 今回の東日本大震災が、この国の第二の敗戦だと、みな心の底では感じているはずだ。このところメディアは「自粛ムード」から一転して、反「自粛ムード」へと方向転換した。いつまでも頭をたれてばかりはいられない、という考えだろう。復興の第一歩は、全国の消費を活性化することだ、という意見には一理ある。 
 活性化することは重要で、それは生きる者たちの責任でもある。しかし同時に、私たちは災害の実態と、その責任を明らかにする義務も負っている。 
 
 時代は「下山のとき」である。登山といえば山に登ることだけを考え勝ちである。しかし下山に失敗すれば、登山は成功とはいえない。急坂を登り、重い荷物を背負って頂上をめざすとき、人は周囲を見回す余裕はない。必死で山頂をめざすことに没頭しているからだ。 
 しかし下山の過程は、どこか心に余裕が生まれる。遠くを見はるかすと、海が見えたり、町が見えたりする。足もとに咲く高山植物をカメラで撮ることもある。岩の陰から顔を出す雷鳥(らいちょう)に目をとめるときもある。 
 
 私たちの時代は、すでに下山にさしかかっている。実りある下山の時代を、見事に終えてこそ新しい登山へのチャレンジもあるのだ。 
 少子化は進むだろう。輸出型の経済も変わっていくだろう。強国、大国をめざす必要もなくなっていくだろう。ちゃんと下山する覚悟のなかから、新しい展望が開けるのではないか。下山にため息をつくことはないのだ。 
 
<安原の感想>(1) ― 「下山することの価値」に着目 
 時代は「下山のとき」、という認識が本書『下山の思想』の出発点であり、ユニークな視点となっている。たしかに著者の五木さんも指摘するように、山に登ることは三つの要素、すなわち山に登ること、山頂をきわめること、さらに下山すること、が切り離しがたくつながっている。ところが下山することの価値はこれまでほとんど無視されてきた。その盲点に着目したのが本書の魅力である。 
 
 この盲点に光を照らすためには次のような「ローマ帝国崩壊」に関する著者の図太い歴史観が支えとなっている。その骨子は以下のようである。 
 
 私たちは歴史について、ある偏(かたよ)った先入観を抱いているようだ。それは時代の変化が、一朝(いっちょう)にしておこるように思っている点である。例えばローマ帝国の崩壊という。ある日、大きな事件がおこって、たちまちにして帝国が滅びたように考える。これは明らかに間違ったうけとり方だ。 
 「ローマは一日にしては成らず」という。 
 だとすれば、同時に、「ローマは一日にして滅びず」ともいえる。歴史は一夜にして激変はしない。長い時間をかけて変化がきざし、それが進行する、と。 
 
 さらに以下のように説きすすめてもいる。 
 
 下山の時代がはじまった、といったところで、世の中がいっせいに下降しはじめるわけではない。長い時間をかけての下山が進行していくのだ。 
 戦後半世紀以上の登山の時代を考えると、下山も同じ時間がかかるだろう。しかし、下山の風は次第にあちこちに吹きはじめている。いつか人々は、はっきりとそのことに気づくようになるはずだ、と。 
 
<安原の感想>(2) ― 脱「経済成長」と脱「軍事力」と 
 上述のように「下山の時代」の到来を繰り返し説いている。では下山時代の特質はどのように認識したらよいのか。 
 その一つは経済力、軍事力の否定である。例えば次のように指摘している。 
・私たちも大志を抱くべきだ。しかしそれは果たしてどのような国の姿だろうか。 
・経済力ではあるまい。軍事力でもない。 
・私たちはふたたび世界の経済大国という頂上をめざすのではない。 
・輸出型の経済も変わっていく。強国、大国をめざす必要もなくなっていく。 
 
 これは「経済力と軍事力」の神話の否定であり、いいかえれば脱「経済成長」と脱「軍事力」を意味し、脱「日米安保体制」にもつながっていく。もともと日米安保は日米間の経済同盟(経済成長と経済協力の同盟)であり、同時に軍事同盟(在日米軍基地を足場とする対外軍事侵攻と日米軍事力の一体化をめざす同盟)である。だから、経済成長や軍事力を否定する以上、やがて脱「日米安保」となるほかない。「経済力と軍事力」の神話の否定はもちろん脱「原子力発電」にもつながっていく。 
 
<安原の感想>(3) ― 夜の濃さの再発見、そして心の余裕を 
 もう一つはGDP(経済成長を測るモノやサービスの量を示す概念)では把握できない非経済的、非市場的価値の重視である。例えば以下の指摘に注目したい。 
・下山は「林住期」から「遊行期」への時期だ。そこに人生のつきせぬ歓びと、ひそかな希望を思う。 
・日は堂々と西の空に沈んでいく。それは意識的に「下山」をめざす立場と似ている。 
・(大震災と原発惨事のため)節電の運動が普及して、街は暗い。しかし夜の濃さを再発見したような気がして、節電の街があまり不安ではない。 
・下山の過程は、どこか心に余裕が生まれる。遠くを見はるかすと、海が見えたり、町が見えたりする。 
 
 人生のつきせぬ歓び、ひそかな希望、堂々と西の空に沈んでいく日(太陽)、暗い街で夜の濃さの再発見、心の余裕 ― などはいずれも経済成長とは無関係であるが、精神的充実感を味わうのに大切な要素である。経済成長や日米安保への精神的奴隷ともいえる惰性的な生き方から精神の離脱をめざし、「生き生きと生きよう!」というのが「下山の思想」のもう一つの提案と受け止めたい。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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