2012年01月20日03時34分掲載  無料記事
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アフリカ

ベルベル人の心の音楽「シャービ」  

  ベルベル人の心を歌うイディール(Idir,1949-)の音楽を前回紹介した。イディールはアルジェリアの歌手だが、フランスを始め世界で高い人気を誇っている。彼の代表作「アババ イヌーバ(A Vava inouva)」はベルベル人が外敵に襲われ、山に逃げ込んだ歴史をモチーフにしている。 
http://www.agraw.com/2010/08/idir-concert-festival-twiza-tanger-2010/ 
  ベルベル人は北アフリカのマグレブ地方に古来から住んでいる先住民族である。マグレブ地方はモロッコ、アルジェリア、リビア、チュニジア、モーリタニア、ニジェール、マリなどが相当する。そうしたベルベル人は長い歴史の中でローマ帝国やビザンチン帝国(東ローマ帝国)、オスマン帝国、アラブ民族などの支配を受けてきた。19世紀にはアルジェリア全土がフランスの植民地とされた。長い間、ベルベル人は外からの支配を受けてきたのである。だからこそ、ベルベル人の歌手たちはベルベル人の文化を大変誇りとしている。ベルベル人はウィキペディアなどによれば1000万から1500万人くらい存在し、モロッコの人口の約3割、アルジェリアの人口の約2割を占めるという。なお、フランスの有名なサッカー選手、ジダンもベルベル人である。ベルベル人は欧州にも多数住んでいる。 
 
  歌手のスアド・マシ(Souad Massi、1972-)もベルベル人の血を引いている。彼女はアルジェリアの中でも山の多いカビル(Kabyle)地方の出身である。カビル地方はベルベル人が住む山岳地域である。外敵から逃れ、山間部に逃げ込んで独自の文化を創ってきたのである。公式ホームページによると、マシはアメリカのロックに影響を受けたが、根っこにはシャービ(Chaabi)というベルベル人の伝統音楽がある。 
 
  シャービはアフリカと中近東と西洋の音楽が融合した独特の歌の世界である。マシが影響を受けたシャービ歌手はゲルーアビ(El-Hachemi Guerouabi1938-2006)という名前だ。ゲルーアビは甘い風貌で、アルジェリアでは今も大変人気がある。 
http://en.wikipedia.org/wiki/El_Hachemi_Guerouabi 
  アルジェ空港でフライト待ちの時間に知り合った現地の人々の薦めで筆者も1枚アルバムを買った。「Le Regrette 」というタイトルで、5曲吹き込まれていた。「ルグレテ」というフランス語は「惜しんで」とか「後悔して」という意味である。ジャケット写真を見ると、ゲルーアビはくわえたばこのカメラ目線で、かつてのソ連の反体制歌手を思い出してしまった。 
 
  「ルグレテ」の歌詞はベルベル語と思われるが、まったくわからないので何を歌っているのか、ベルベル人のジャミーラさん(写真)に聞いてみた。ジャミーラさんはアフリカの旅の世話をしてくださった方である。 
 
  「このアルバムの歌はすべて恋の歌です。男性が去って行った女性を惜しみ、嘆く歌です。彼はいつか彼女が帰ってくることを夢見るのです」 
 
  ジャミーラさんとその友人のナディアさん(写真)によればシャービには恋の歌もあるが、預言者を讃える歌もあり、彼女たちはそうした宗教を扱った歌も好むそうだ。コーランを読むよりもイスラム教の教えがよく理解できるという。 
 
  「でも、シャービについて語るとき、ハジ・モハメド・エル・アンカ(Hadj M'Hamed El Anka,1907-1978)について語らないわけにはいきません。アンカは360もの歌を作り、レコードは130枚も出しています。」 
http://fr.wikipedia.org/wiki/Hadj_El_Anka 
  エル・アンカはシャービのパイオニアだとされる。しかし、ベルベルの伝統音楽にケルト音楽を加味して独特の音楽を作って世界で人気を博しているイディールやロックの影響を受けたスアド・マシに比べると、エル・アンカの歌はいささか古びて感じられてしまう。そして不思議なことにエル・アンカの歌を聴いていると、日本の浪曲や民謡を思い出す。 
 
  ジャミーラさんたちはもう一人ベルベル人の有名なシャービ歌手を挙げるならルーネス・マトウブ(Lounes Matoub,1956-1998)だという。マトウブは20年の活動期間に20枚以上のレコードを出した。マトウブは恋の歌も歌ったが、歌の大半がアルジェリア政府の取るアラブ民族中心の政策やイスラム原理主義を大胆に批判する歌だった。そのため何度も難にあっている。1988年には撃たれ、1994年には誘拐され、そして1998年にはついに殺されてしまった。42歳の若さである。殺される直前に出したレコードはアルジェリア国歌を風刺する歌だった。驚くのは撃たれても、誘拐されてもその歌をやめなかったことだ。 
http://en.wikipedia.org/wiki/Loun%C3%A8s_Matoub 
  マトウブが難にあっていたこの時代はアルジェリアの暗黒時代である。ウィキペデイアを参照すると以下の記述がある。 
 
  「1980年代後半からFLNの一党制や経済政策の失敗に不満を持った若年層を中心にイスラーム主義への支持が進み、1991年の議会選挙ではイスラーム主義政党のイスラーム救国戦線(FIS)が圧勝した。このため、1992年には世俗主義を掲げる軍部がクーデターを起こし、国家非常事態宣言を発令した。1995年に大統領に就任したゼルーアル大統領は2000年の任期を待たずに辞任したため、1999年4月に行われた大統領選挙でブーテフリカ大統領が選出された。尚、上記のようにテロは減少したが、その後も国家非常事態宣言は発令されたままの状況が続いた。」 
 
  複数政党制を認めた初めての1991年の総選挙でイスラム主義政党が圧勝したため、世俗派の軍がクーデターを起こし、その結果、アルジェリアでは10年以上にわたるテロと内戦の時代が続いた。この頃の殺し合いは悲惨そのもので、空港で偶然、茶飲み話をした人も友人が斬首されていた。しかも、犯人は誰かまったくわからないという。先述の殺された歌手のマトウブの場合もウィキペディアによれば政府による仕業とも、イスラム原理主義者による仕業ともされており、真相は不明のようだ。こうした状況は現職のブーテフリカ大統領が国民和解策を出してようやく治安がよくなった。しかし、今、「アラブの春」の影響で周辺国ではイスラム主義が台頭しており、アルジェリアが再び暗い時代に突入するのではないか、という不安も高まっていると聞く。 
 
  ウィキペディアの説明では1980年代にFLN(民族解放戦線)の一党制への不満が高まったとされるが、特にベルベル人はアラブ人主導の政策に激しい不満を持っていた。その結果、1989年に憲法が改正され、複数政党制が導入された。そして1991年の選挙である。ジャミーラさんによると、ベルベル人は何度もアルジェリアで反乱を起こしている。 
 
  「1962年にフランスから独立した時、ベルベル人は社会から排除されたのです。「アラブ化」を掲げる政府はベルベル語も弾圧しました。そのため、1970年代から80年代にかけて多くの反乱が起きたのですが、中でも最も有名なのは1981年の反乱で、これは「ベルベルの春」と呼ばれています。デモに参加した多くのベルベル人はベルベル人の権利とベルベル語の公用語化を求めました。」 
 
  フランスから独立したと思ったら今度は「アラブ化」を強いられ、ベルベル文化が弾圧を受けることになった。だからこそ、ベルベル人の歌手たちはその伝統を守り続けている。こうしたベルベル人の思いは今日も脈々と生き続けている。歌手のイディールはインタビューでベルベル人の根を持つことの大切さを語っていたが、コンサートにおいても、ベルベル人の心を聴衆に語りかけている。 
 
■ベルベル人の心を歌うイディール(Idir) 〜昔話 A Vava Inouva〜 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201201022352511 


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