2012年01月28日21時01分掲載  無料記事
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核・原子力

テント村はつぶさせない!経産省前に市民700人が結集  上林裕子

 枝野幸男経済産業相は24日、「経産省前テントひろば」に1月27日午後5時までに撤去するよう命令を出した。退去期限の27日午後4時から6時まで、市民側はテント前で抗議集会を開催、テント前は人であふれた。これまでほとんど取材に来なかった大手メディアも、枝野経産相の退去命令によってテントひろばに注目、取材のカメラがテントを取り囲んだ。抗議集会のさなかに撤去期限の午後5時を迎えた。この日は経産省側の動きはなかった。 
 
 24日に枝野経産相が退去命令を出したというニュースはその日のうちにネットを通じて流され、「27日に経産省テント前に集まろう」との呼びかけがネットを駆け巡った。同時に経産省への抗議メールや電話、FAXも殺到、27日までに8000通に達したという。グローバルオンラインコミュニティのAvaazは26日からテントひろばの撤去に抗議する署名を開始、署名は28日昼までに3万4000名を超えた。 
 
 枝野経産相が退去命令の理由としたのは(1)国有地の不当占拠、(2)テント内での火気取扱いが経産省管理規定に違反する、というものだ。 
 これに対し27日に記者会見を行った市民団体側は、法律違反は犯していないと断言する。9月にテントを設置する際に市民団体側は経産省側に経産省敷地を一部使用することに関する使用申請書を提出、経産省側が不許可としたことに対し審査請求を提出しており、それに対する回答を未だ受け取っていない状況であるという。 
 
 発電機によるボヤ騒ぎの後、経産省側はテント内における火気取扱いに関しての細かな注意と火気取扱責任者を置くことを求めており、市民側も火気の取扱いに対する注意の徹底と責任者を設置するなどして対応してきた。 
 
 福島から急きょ抗議集会に駆けつけた「原発はいらない福島の女たち」のメンバーは、「10月27日の座り込みのために初めて霞が関に来た時、このテントがあったことで私たちはどれだけ救われ、元気をもらったか…」「ここで内外の人々と出会い、話し合い、学んだ。テントは私たちの砦だ。福島の事故はまだ収束しておらず、福島の子どもたちは毎日被ばくし続けている。呼吸するたびに被ばくしているのだ」「あんな大変な原発事故を起こしておいてテントのちいさなボヤくらいで撤去なんてふざけるなと言いたい」「誰もこんな時期に寒いテントにいたいわけではない。原発を全て止めれば私たちはテントを撤去する」と経産省への怒りをぶつけた。 
 
 なぜテントができたのか。福島原発の引き起こした未曾有の被害に対し、間もなく1年になるというのに加害企業東京電力は未だ十分な賠償を行っていない。避難民という名の国内難民を生み出し、彼らの未来から目をそむけたまま「収束宣言」をおこなった。福島では人々が顔を合わせるごとに「どこが収束したんだ」とはなしているという。 
 
 そんな状態の中で、原発再稼働や原発輸出などを進める政府に対し、市民団体は、「経産省前テントひろばは、福島原発の深刻な事故に対する全市民的な怒りを背景として、運転停止中の原発を再稼働させないことを要求するとともに、原発問題に関するわが国の真に民主主義的な討論の場として建てられたものであり、管理規則うんぬんで退去を求めるべきものではない」と退去命令の撤回を求めている。 
 
 枝野通産相の退去命令はテントひろばの存在を明らかにし、広げる結果となってしまった。今年一番の冷え込みの中でテントひろば存続の危機に駆けつけた700人を超える市民たちは、「福島を守れ!」「子どもたちを守れ!」「テントを守れ!」と経産省に向かってシュプレヒコールを繰り返した。 


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