2012年04月16日08時27分掲載  無料記事
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「日本」の良さは、こんなにも 対談『日本を、信じる』を読んで 安原和雄

  瀬戸内寂聴さんとドナルド・キーンさんの対談集『日本を、信じる』は、「読めば元気の出る対談集!」と銘打ってあるだけに含蓄に富む発言、指摘が少なくない。例えば仏教の無常(同じ状態は続かないで変化すること)観である。 
 日本人の多くは無常をマイナス志向で捉えやすいが、本来は積極的、肯定的なプラス志向の意味も含んでいる。悲劇をもたらした東日本大震災から復興・再生への変化はプラス志向の具体例である。対談『日本を、信じる』は日本の未来を信じ、その良さを生かそう!という呼びかけにもなっている。 
 
 瀬戸内寂聴さん(注1)とドナルド・キーンさん(注2)の対談集『日本を、信じる』(2012年3月・中央公論新社刊)を読んだ。その感想を述べる。 
 (注1)瀬戸内さんは1922年徳島県生まれ。東京女子大学卒業。73年中尊寺で得度。92年『花に問え』で谷崎潤一郎賞のほか多数受賞。06年文化勲章受章。他の著書に『現代語訳源氏物語』など多数。 
 (注2)キーンさんは1922年ニューヨーク生まれ。コロンビア大学などを経て、53年京都大学大学院に留学。現在日本学士院客員。毎日出版文化賞など受賞多数。08年文化勲章受章。著書に『日本文学史』など多数。2011年の「3.11」大震災後、日本に帰化し、日本人となった。 
 
(一)日本の文化と無常という美学 
 二人は『日本を、信じる』で日本の文化、さらに無常という美学について語り合っている。その大意を以下、紹介する。 
 
キーン:日本の文化といえば、まず仏教のことを思います。今の日本人の多くは仏教とは縁のない生活のようですね。お葬式の世話を頼む程度でしょうか。 
今の人たちの関心が薄れているとはいえ、日本の場合、仏教の影響の大きさは無視できない。伝統的な美術、音楽、演劇でも仏教は中心的なものだし、お能も、ほとんどの演目のワキ役はお坊さんです。そして日本人の精神の支柱には仏教がある。それなのに海外ではほとんど知られていない。 
それにしても、今の日本人が日常的に仏教のことを考えないのは不思議ですね。 
瀬戸内:そもそも今の仏教は鎌倉時代、それまでにあった奈良時代の仏教に反対してできた新たな仏教です。当時の新興仏教なんです。新興仏教でも、よければ人の心をとらえ長く残っていく。残っていけば、既成仏教になるわけです。 
 
キーン:今回の東日本大震災を、仏教ではどうとらえるのでしょうか。 
瀬戸内:仏教には「無常」という言葉がある。「人はみんな死ぬ」ことを日本人は無常と言います。でも、私は自分流に違う解釈をしている。無常は「常ならず」、つまり同じ状態が続かないということ。 
今度のような天災があると、「無常」を死に結びつけて考えがちですが、そうではなく、同じ状態が続かないと考えればいい。平和な時代があっても、長く続くとは限らない。こういう災害や事件が起きるけれど、ずっと泣いてばかりいるかというと、そうではない。少しずつ元気を取り戻して立ち上がっていく。今はどん底かもしれないけれど、いつまでも続くどん底じゃない。無常だから、必ず変わっていく。被災地で皆さんをお見舞いするときも、そう話しているんです。 
キーン:おっしゃる通りです。同時に思うのは、「無常 ― 同じ状態は続かない」ことに対し、それを受け止める側の態度もいろいろあるということ。移り変わることを喜ぶ場合もあれば、残念に思う場合もある。変わるのを防ぐにはどうしたらいいかを考えることもある。 
例えば古代エジプト人やギリシャ人は、何かをつくるとき、不変性を求めて石を使った。ピラミッドは永遠に残ることを目指している。中国のお寺の多くはレンガ造りです。ところが日本の場合、木を使う。日本人はむしろ変わることを願っている。いつも同じではないことを喜ぶ面がある。 
桜はどうしてこれほど日本人に愛されているのでしょうか。美しいからですが、それだけではなく、つかの間の美、三日だけの美しさ、だからです。 
花は散り、形あるものは壊れる。まさに無常です。しかしそこに美の在(あ)り処(か)を見出し、それが美学にまで昇華されるのは日本だけではないでしょうか。 
 
瀬戸内:東日本大震災でいえば、津波に流されてしまったものは仕方がないと、悲嘆すると同時に、諦めて笑ってしまおうとするところも日本人にはあるように思います。 
キーン:そういう矛盾はあらゆる国にあるでしょうが、日本の場合はとくに強い。つまりものを「守る」「捨てる」「諦める」など、相容(あいい)れないことが一人の人間の中にある。日本では同じ人が神道と仏教、両方を信じている。そして新しいものと古いもの、儚(はかな)いものと永遠につづくもの、全部が日本の中に入っている。結果として、日本の文化は極めて豊かになった。そうでなければ、これほどまでに深い文化にはならなかったでしょう。 
 
<安原の感想> 無常観はやはり真理だ 
 仏教の基本思想の一つが「無常」であるが、無常とは何か。お二人の無常観は微妙に異なっている。瀬戸内さんは「同じ状態が続かないこと」、いいかえれば、「変わること」に重点をおいて捉える。例えば戦争から平和へ、不幸から幸せへの変化であり、その逆の変化も真である。これは正統派の無常観といえるだろう。 
 これに対し、キーンさんは無常についてそれを受け止める側の態度を重視する。日本人は変化していくことを重視するが、世界のすべての人々がそうだとはいえない。例えば古代エジプト人やギリシャ人は、不変性を求める。石で造ったピラミッドはその具体例で、いつまでも残ることを目指している。つまり変化を好まない。 
いずれにしても無常観はやはり真理というべきである。短期間の変化もあれば、想像を絶する長期間に及ぶ変化もある。例えば地球の生命である。何万年先あるいは何億年先かは分からないが、いつかは地球の生命が尽きる時が来るだろう。それ以前に人類は滅亡しているかもしれない。やはり万物の無常=変化は避けがたいと理解したい。 
 
(二)美しい風景を壊さないで 
二人の話題は多岐にわたっているが、ここでは壊されていく「日本の美しい風景」を惜しむ対話を紹介する。 
 
キーン:日本は世界の中でもとてもきれいな国です。海も山も美しく、さまざまな花が咲きます。しかし日本人は戦後、森を切り崩して分譲地にしたり、マンションを建てたり、その美しさを自分たちの手で壊している。 
瀬戸内:そうそう、ゴルフ場にしたり。 
キーン:ゴルフ場は最悪ですね。いつか行った町にゴルフ場があり、芝を整えるために使った除草剤や農薬の毒素が水道水に混じって、大騒ぎになっていました。住民の健康を蝕(むしば)み、不安にさせてまで、ゴルフ場は必要でしょうか。私には理解できない。 
それだけではない。景色が素晴らしい場所は、その美しさを護(まも)っていくべきなのに、日本三景の一つ、松島は最悪です。島々が浮かぶ景色はたしかに日本一かもしれないが、観光地化されて俗悪、おそらく日本でいちばん醜いところの一つだと思います。 
感激したのは最初のときだけです。『奥の細道』の旅行をしたとき、瑞巌寺(ずいがんじ)に立ち寄り、その荘厳な美に敬服したものです。庭園には紅梅と白梅、二本の立派な梅の木が美しい花を咲かせていました。 
その後に訪れたときは、観光地化された町の様子に疲れて、瑞巌寺に逃げたのですが、瑞巌寺に入ると、あちらこちらからガイドのマイクの声が聞こえます。何か冗談でも言っているのか、笑い声がこだまし、響き渡り、我慢できませんでした。 
今は高層ビルが建ち、せっかくの景色を台無しにしています。誰がそれを許したのでしょう。日本人の無関心は本当に不思議です。 
 
瀬戸内:戦後、どの町の駅前も同じような景色になりました。違ったところに来た気がしません。フランスにカーンという町があります。列車に乗っていて、ふと降りたくなって、立ち寄ったんです。懐かしい雰囲気のする、とても素敵な町なんですよ。聞くと、そこは戦争中、爆撃でメチャメチャになったのを、昔のままの町に、戻したんですって。ここに八百屋が、あそこに鍛冶屋があった、という風に。だからフランスの田舎町に来たような感じがしたんだと納得した。駅前広場の前に壁があって、そこだけ爆撃されたときの様子を記念に残して、後は昔のまんま。 
キーン:日本には古くて風情のある町がたくさん残っています。私は瀬戸内海に面した広島県の鞆(とも)の浦(うら)という港町がとても好きです。古い町並みがそのまま残っていて、その昔、韓国からの使節団が泊まった建物もまだそこにあります。 
ところが埋め立てて橋をつくるという話があるそうです。それを聞いて、せっかくの町の美しさが台無しになると思いました。そういう橋があると、大きな工場、施設もできる。それを喜ぶ人たちもいるでしょうが、二度とあの町の美しさは取り戻せない。 
 
瀬戸内:被災した東北の町を、建て直して、どういう町にしていくのか。昔のいい風景はぜひ残しておいてほしいですね。 
キーン:その上で、人間が楽しく生活できる町、これまでの町の良さをいかしつつ、今まで以上に安心で住みやすい町づくりのチャンスになればよいと、心から祈っています。 
 
<安原の感想> 経済成長への執着を捨てて、日本再生を! 
 「日本三景の一つ、松島は最悪です」という発言は、他人事とは思えない。私にとって松島は半世紀も昔の新婚旅行地である。当時は団体旅行者を案内する光景はなかった。のんびりとぶらぶらしながら自分たち二人で記念写真を撮ったように記臆している。 
 鞆の浦という港町で埋め立てて橋を架けることになれば、「二度とあの町の美しさは取り戻せない」という指摘には同感である。私自身、福山市出身で、若い頃、鞆の浦のきれいな砂浜で夏に泳いだ思い出もある。 
 
 お二人の対談は、経済成長へのあからさまな批判的発言はうかがえないが、明らかに反「経済成長」の視点に立っている。経済成長に執着する時代はとっくに終わっているにもかかわらず、今なお経済成長への回帰意識を捨てられない政官財界の心なき群像にこそ、本書『日本を、信じる』を読んでほしい。経済成長への執着を捨てて、脱原発の姿勢で「3.11」後の日本再生を図るときである。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です 
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