2012年05月04日14時11分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201205041411295

みる・よむ・きく

ジョーゼフ・コンラッド作「闇の奥」(岩波文庫)

  ジョーゼフ・コンラッド作「闇の奥」は優れた小説であるという話こそ耳にしていたけれども、フランシス・コッポラ監督の映画「地獄の黙示録」の原作であることの方が僕の中では意識されていた。1979年に公開された映画「地獄の黙示録」はベトナム戦争を舞台にしている。 
 
  「地獄の黙示録」は徴兵された若い米兵たちがベトナムに戦いに行く話だが、話の焦点になっているのはクルツという士官が米軍から離れ、勝手に現地で独立国のようなものを築いているため、そのクルツを抹殺して来いと若者が指令を受ける話である。クルツを演じたのがマーロン・ブランドで、暗殺指令を米軍から受けた若者がマーティン・シーンだった。 
 
  今回、初めて原作小説を読んでみると、映画「地獄の黙示録」が原作小説の話の流れをかなり生かしていると感じさせられた。しかし、原作小説は19世紀末のアフリカの奥地が舞台になっており、現地でカリスマを持つ男は象牙を集めて売る商社の現地事務所に勤める男、クルツということになっている。クルツは映画同様、原住民に恐れられ、独立国のような権力基盤を築き上げていることがわかる。そのことが商社にとっては厄介事であり、だからこそクルツを連れて帰れ、と若者が指令を受けてクルツの事務所がある場所まで川を船で遡上していくのである。 
 
  白人が有色人種の住む「奥地」に分け入っていく話であることで小説と映画は共通している。若者が未体験ゾーンに足を踏み入れていく冒険物語の骨格を持っているのだ。クルツという男はなぜ白人のコミュニティに帰ろうとせず現地に留まっているのか?クルツを処理する指令を受けてやってくる若者がクルツのことを様々に想像することも同じである。そして、物語は緊張を高めながらクライマックスに向かう。 
 
  「闇の奥」のクライマックスではクルツの住む場所の一歩手前に船が近づいた時、霧の中から強烈で悲痛な叫び声を主人公の青年が耳にする。 
 
  「突然なにか異様な喚声、そうだ、まるで限りない荒涼さを思わせるような喚声が、不透明な大気の中にゆっくりと湧き起った。そしてまた止んだ。「なにか不平をでも訴えるような叫び、それが狂おしい狂噪の波になって、僕等の耳に一っぱいに鳴り響いた。思いもかけない唐突さに、僕は思わず身の毛のよだつのを感じた。」(「闇の奥」中野好夫訳) 
 
  船の乗組員たち、特に白人たちに緊張が高まり、彼ら乗組員たちは銃を手に身構える。叫びをあげたのはクルツを取り巻いていると思われる現地の黒人たちである。しかし、主人公は他の乗組員と違って、その叫びに悲しみを感じた。 
 
  「襲撃ということが僕に考えられなかった理由は、あの騒ぎ−僕等が耳にしたあの叫び声だった。それは敵対行動を予感させるような、そんな狂暴なものではなかった。たしかに唐突に起こった狂暴な叫喚ではあった。だが、僕にはなにかたまらない悲しみの声としか思えなかった。なぜか理由はわからないが、船の姿を垣間見たことが、彼ら蛮族の胸に抑え切れない悲しみの心をそそったらしいのだ。」 
 
  こうした感性を持つ主人公の内面はまた映画「地獄の黙示録」にも反映されている。実際、クルツを殺しに川を遡上していくと原住民に囲まれ、緊張が高まるシーンがある。 
 
  翻訳者の中野好夫氏によると、作家コンラッドは「闇の奥」を書くためのもとになった体験を自らしている。 
 
  「1890年例のリビングストン、スタンリー等の探検でアフリカがにわかに世界的話題の中心になると、33歳まだ活気ウツボツたる青年船長コンラッドは、みずから運動して、パリにあった「コンゴ上流開拓会社」というののコンゴー河汽船の船長になった。開発を名として、象牙採集で土人たちを搾取する会社であったことは、作品の通り。彼が赴任したのは同年の5月だということだが、たまたま奥地代理人のクライン(Klein)というのが重病になったので、その引取りのために、彼は遠征隊とともに上流スタンリー・フォールズまで遡航した。」 
 
  中野氏によると、コンラッドは手紙に「コンゴーに行くまでの僕は、単に一匹の動物にしかすぎなかった」と書いているそうである。この「闇の奥」での体験が契機となり、コンラッドは船乗りから足を洗い、真剣に文学に取り組むようになったというのだ。 
 
  「全体主義の起源」(The Origins of Totalitarianism)を書いたハンナ・アレントによれば19世紀末にアフリカに向かった欧州人たちが20世紀のナチズムの原因を作った。アレントはモッブという言葉を使い、欧州社会から落ちこぼれた貧困層と欧州では投資先を得られない余剰資本が出会い、アフリカに向かったと書いている。モッブとは今で言えばフーリガンのような、暴力的傾向を持った貧困層とか、群衆というニュアンスがある。この時、モッブたちがアフリカで有色人種と初めて出会い、有色人種を劣悪に扱うことを学習し、後に欧州に戻ったモッブたちが反ユダヤ主義につながる欧州のレイシズム(人種差別主義)を培ったという。 
 
  「マルクス主義者にとってはモッブと資本の結びつきはあまりにも珍しい新現象であり、さらに階級闘争の理論と明らかに対立する現象であったがゆえに、帝国主義者が人類を支配人種と奴隷人種とに、高級種と劣等種とに、白人と有色人種とに分断し、モッブを基盤とした人種差別的な社会を構築しようと試みている現実の危険性がまったく見過ごされる結果となった」(「全体主義の起源」) 
 
  コンラッドはこうした分析をもちろん小説で行っているわけではない。ただ、彼はその悲痛な叫び声を現地で耳にした。それが作家コンラッドを生んだというのである。 
 
■ジョーゼフ・コンラッド(Joseph Conrad, 1857-1924) 
 
ポーランド人の作家だが、英語で執筆活動を行った。20歳を過ぎてから英語を学び始めた点で珍しい作家である。作家になる前は船乗りをしており、海洋文学作家として紹介されていた時期もある。 
http://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_Conrad 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。