2012年05月25日16時52分掲載  無料記事
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野坂昭如の「田植え」を読んで 農業を棄てた自分の「今」を想う 安原和雄

  田植えの季節がめぐってきた。野坂昭如の田植え観、さらに農業・製造業論、反原発論はなかなかユニークである。日本は農業を軽視し、棄てたからこそ、製造業も衰退へ向かっているという主張には納得できる。 
 私自身、農家の生まれでありながら、田舎での農業を棄てて、東京暮らしを続けている一人である。この選択が間違っていたとは思わない。しかし農業を棄てた、その埋め合わせを、「今」の自分として成し遂げつつあるのかと自問すれば、「さて」と心底揺らぐほかない。 
 
▽ 「農を棄て、製造業も衰退」へ 
 
 毎日新聞に連載中の野坂昭如の「七転び八起き」に「田植え」と題した記事(2012年5月12日付)がある。記事の主見出しは「農を棄て、製造業も衰退」である。私自身、農家の生まれで、小中学生の頃、当然のこととして田植えに励んでいた。それだけにこの記事を、我が人生のこれまでの来(こ)し方と重ね合わせて興味深く読んだ。記事の大要を以下、紹介する。 
 
*食いものを粗末にしない、この当たり前 
 米づくりは田植えに始まり、稲穂垂れるまで続く。だが個人で出来ることではない。農全般、特に米づくりは集落の力が必要なのだ。水田の造成、管理、収穫の技術は代々伝えられる。田植えにしろ、収穫にしろ、土に拠(よ)って生きる者同士がそれぞれ知恵を出し合い、助け合って生きてきた。共同作業も多い。自然とのつきあい方、食いものについて粗末にしない。このあたり前が農と共にあった。 
 
*都市中心の歪(いびつ)な姿を生んだ農の崩壊 
 昭和42年、お上(かみ)は日本に米が余ったと発表。日本人の米離れが言われ、減反政策が始まった。つまり米は作るな、米はいらないということ。この減反政策と生産調整が進むにつれ、農の崩壊が加速していく。戦争に負けて、食糧不足だ、農民は国民のため米を増産せよといわれ、作れば今度は作るなという。農民の気持ちを無視した政策がもてはやされた。農の崩壊は地域の過疎化を招き、都市中心の歪な姿を生んだ。 
 
*製造業の衰退は農業の衰退から 
 それでも高度成長の頃は、農を放棄しながら経済大国日本を築いた。今、その経済はどうか。日本の要である製造業にも翳(かげ)りが見えている。ぼくは農業の衰退も無関係ではないと思っている。日本の製造業を支えてきたのは職人気質でもある。農から遠ざかり、手塩にかける技、創意工夫する力の育つ土壌が失われ、知恵の伝承が断たれる。製造業の衰退の危機はこんなところにも原因があるのではないか。 
 
*放射能による作付け制限に消費者こそ危機感を 
 東北は日本の米づくりの基盤である。放射性物質による汚染の懸念から作付けが制限されている地域がある。水田は一度でも作付けしないと荒れて使い物にならなくなる。葦(あし)や葛(くず)、猛々(たけだけ)しい雑草のおい繁(しげ)る休耕田、耕作放棄地の姿ほど怖ろしく不気味なものはなかった。本来なら瑞々(みずみず)しい水田の季節に、放射能による作付け制限を、消費者こそ危機感をもって考える必要がある。 
 
▽ <安原の感想> 消費者としての危機感に着目 
 
 田植えの季節である。60年以上も昔のこと、雨の中、蓑(みの)を着て、田植えに取り組む幼い自分の姿が浮かんでくる。小学生の頃から、家で飼っていた牛を使って田んぼを耕すことを父の教えで習い始めた。農家生まれの自分としては、農業を継ぐのは当然のことと思っていた。他の選択は夢にも考えたことはなかった。 
 しかし人生は分からない。小学4年生の頃、関節リュウマチという病魔に取りつかれたのだ。医者も「普通は老人病であり、子どもには珍しい」と首を傾げていたが、中学2年まで毎冬、この病に襲われた。医者の次の一言が私の人生行路を大きく変えた。「息子さんには農業は無理だな」と。 
 
 地元の高校へ進学、まず病弱な身体を鍛え直さなければならない。父の薦めもあり、戸外にあった井戸の水を使って毎朝、冷水摩擦を始めた。当時は冬になると、雪が多かったが、降りしきる雪の中でも上半身裸になって、冷水摩擦は欠かさなかった。 
 お陰で高校3年間、病気で休むことはなかった。しかしもはや農業への関心は失っていた。東京の大学へ進む道を選び、このとき私は農家生まれでありながら農業を棄てたのだ。 
 
 今でも年に一度は郷里へ帰省するが、その都度実感する。野坂の上述の指摘、「雑草のおい繁る休耕田、耕作放棄地の姿ほど怖ろしく不気味なものはない」を。この不気味さは、自分の目で観た体験がなければ理解できないだろう。 
 
 何よりも見逃せないのは、次の洞察である。 
 一つは「製造業の衰退は農業の衰退から」という認識である。高度成長の過程を経て、これまで「農業の衰退から製造業の興隆・発展へ」というイメージが広がり、常識になっていた。安い農産品は米国など海外から輸入すればよい、という安易な国際分業論である。この結果、食糧の自給率は4割という先進国では例をみないほどの危機的な低水準に落ち込んでいる。 
 生命(いのち)の源である農業を軽視するところに製造業(工業)も永続しない。しかも金融(マネー)重視の新自由主義(=市場原理主義)的路線が製造業の衰退に拍車をかけてもいる。 
 
 もう一つは「(原発)放射能による(水田の)作付け制限を、消費者こそ危機感をもって考える必要がある」という指摘である。ここに「消費者」が登場してくることに着目したい。経済用語である消費者は、購買力を持つ日本国民一人ひとりを指している。これに対し農業、製造業は産業別の分業の違いであり、それぞれに国民全員がかかわっているわけではない。 
 原発惨事が日本国民全体の生死にかかわっていることは今では「常識」として認識されつつある。しかし「消費者」としての日本国民全体の危機であるという野坂流の視点を打ち出したのは、平凡に見えて、実は優れた認識とはいえないか。消費者だからこそ消費と共に危険な放射性物質を体内に摂取せざるを得ないという運命的危機から逃れられないという含意を汲み取ることが出来る。これは「消費者としての日本国民よ、決起せよ」という野阪節の叫びでもあるだろう。 
 
*「安原和雄の仏教経済塾」より転載 
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