2012年06月03日12時21分掲載  無料記事
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検証・メディア

西サハラの衛星放送局RASD-TV 〜テレビの草創期がここにある〜  村上良太

  昨年暮れの12月、モロッコによる西サハラの占領問題を長年追及しているジャーナリスト、平田伊都子氏に同行して西サハラの難民キャンプに入った。僕の役割は4年に一度開催される大統領選挙・議員選挙のビデオ撮影である。平田氏によれば、この選挙はアルジェリア国内に置かれた西サハラの難民キャンプで行われるのが通常なのだが、昨年暮れの場合は違っていた。アルジェリアからサハラ砂漠をランドクルーザー百台以上を連ねたコンボイで縦断し、彼らのホームグラウンド、西サハラ(非占領地)で行ったのだった。この時、同業者とも言える西サハラの衛星放送局RASD-TVが特に興味深かった。 
 
  RASD-TVが設立されたのはわずかに2年前だった。社屋はチンドゥーフという町にある。チンドゥーフはアルジェリアの辺境にある町で、首都アルジェから飛行機の国内線がある。このチンドゥーフに西サハラの難民キャンプがあるのだ。RASD-TVはモロッコから西サハラを解放し、祖国に戻るための戦いをしている。そこが日本の放送局と違っているところだ。映像の力で、情報の力で独立のために戦っているのである。社屋には簡素な生放送用のスタジオが1つ、副調整室が1つ、編集室が1つ、それに社長室とスタッフルームがあるだけだ。それはまさに必要最低限の設備である。社屋の外に出ると、山羊を囲った柵などが砂漠の中に点在している。 
 
  平田氏の報道でもご存知の方は多いだろうが、西サハラは「アフリカの最後の植民地」と言われている。1975年、かつての宗主国スペインがフランコ総統の死をきっかけに西サハラから撤退したとき、その隙間を埋めるかのように隣国のモロッコとモーリタニアが翌年、入ってきて、分割占領してしまったからだ。その裏には撤退するスペインとの間での秘密協定があったとされる。その後、モーリタニアが撤退し、西サハラを占領しているのはモロッコである。 
 
  以来、\衫涼呂忙弔辰突洌気気譴得犬る人々、∪哨汽魯蕕糧鸚衫涼楼茲砲い訖諭后蔽詫襪飽呂泙譴拭嶌修諒鼻廚何キロにもわたって築かれており、モロッコ占領地の外側はほとんど砂漠でまともに生きられる場所ではない)、アルジェリアの難民キャンプに暮らす人々、さらにはげそなどへ出てしまった人々に分断されている。RASD-TVはこの分断されてしまった人々を1つにつなぐ力を持っている。さらに占領地で起きている弾圧の実態を自ら世界に発信しているのである。 
 
  RASD-TVの社長(ディレクター)に話を聞く機会があった。社長によると、RASD-TVが設立される前、彼は西サハラのジャーナリストとしてペンや写真など様々な媒体で活動してきた。彼が衛星放送局の社長に抜擢されたのは7年前、ポリサリオ戦線(西サハラの亡命政権を作り、闘争を続けている)から打診されたからだった。二つ返事をした彼は、ただちにアルジェリアの放送局へ研修に送られた。彼はこう言った。 
 
  「テレビは占領地と、解放区と難民キャンプを結び、世界とつながるための手段です。7年前、ポリサリオからテレビをやる気はないかと打診されてすぐにはいと返事をしました。テレビの仕事は闘争なんです。局員たちは厳しい試験を経て入局してきます。」 
 
  テレビの仕事は闘争(ストラグル)です、という言葉は強かった。かつての宗主国スペインの放送局で経験を積んだ人間や難民キャンプが存在するアルジェリアの放送局で研修を受けた者らが職員の技術指導などをしているが、職員の大半は初めて放送業界に入った若者たちである。 
 
  驚いたのは職員に若い女性が多かったことだ。半数近いのではないか。スカーフをまとった女性が大きなカメラを肩にかついで、戦車の並ぶ軍事パレードの場にやってくる。放送局に戻るとただちに編集して、夜の放送にまとめる。みんな若々しく、テレビの仕事に誇りを持っているようだ。設立わずか2年ながら、技術的には遜色がない(ちょっとはあるかな)。スタッフ会議で先輩から新たなことをどんどん学んでいく。 
  彼らは推定20数万人の難民の中からわずか数十人の選抜という競争で選ばれたエリートでもある。職員の中にはアラビア語、英語、スペイン語、フランス語など少なくとも3〜4か国語を話す人がたくさんいる。これは映像や記事を世界に発信する時、大きな力になっている。 
 
  私たちはチンドゥーフにある衛星テレビ局RASD-TVの社屋を訪ねた後、トヨタのランドクルーザーに乗って西サハラ非占領地に入った。西サハラの国会と大統領選挙を撮影するためだ。そこではRASD−TVの先行組が衛星放送の準備をしていた。この先着チームの方がベテランであり、チンドゥーフに残っていたスタッフの多くはまだ新人だというのだった。 
 
  昼間は「国会」を中継し、夜になると驚いたことに国会にはエレキギターを持ったバンドが現れ、政治の場はにわかに歌番組の舞台に転じる。また、開催期間中には西サハラの取材に集まって来た世界各地のジャーナリストを近くの丘に案内する企画もあった。岩の壁には旧石器時代の壁画があるのだ。今でこそ乾いたこの地サハラに、かつては象や鹿、牛などが集まっていたことがわかる。金閣寺も、ヴェルサイユ宮殿も持たない遊牧民の彼らにとって、残された壁画は数少ない文化遺産なのだ。ロシアや日本、メキシコ、欧州各地から集まったジャーナリストたちが壁画を見る映像を写しながら、RASD−TVの若いキャスターが何度も言い間違えながら、立ちレポートを撮っていた。4年に一回の国政選挙の場は政治番組、歌番組、紀行モノなど様々な番組が一度に撮影できる貴重な祭りなのかもしれない。 
 
  西サハラの解放区での撮影にはスペイン人の若い放送業界の有志が技術支援に来ていた。その多くはバルセロナのテレビマンだった。バルセロナのあるカタルーニャ地方もまた、スペインからの独立というテーマを持っているのである。また、西サハラの難民キャンプを置いているアルジェリアからの取材クルーも大挙してやってきた。アルジェリアやスペインが生まれて間もない放送局、RASD−TVの支援をしているのである。国境を越えて、放送人同士が協力するこうした姿を見ていると、テレビの世界もまだまだやれることはいろいろあると感じさせられた。 
 
  日本ではテレビ局が設立されてから50年以上が経過している。その間に様々な番組が放送されてきたが、昨今、巷ではテレビはその役割を終えたという人もいる。内容が衰退したとか、媒体が増えた結果、メディアの王座から転げ落ちたとも言われる。そんな日本のテレビ業界から、西サハラの難民キャンプに設立されたRASD-TVを見ると、まぶしく見えた。まさに、これが草創期の姿なのだろう。 
 
■RASD-TV 
http://www.rasd-tv.com/ 


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