2012年06月30日15時00分掲載  無料記事
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ロシアン・カクテル

(37)エリセーエフスキイ食料品店とジャパノロジーの縁 タチヤーナ・スニトコ

  国々は人の運命で結ばれています。 
 ロシアの二つの都であるモスクワとサンクトペテルブルグの中央通りには華やかで荘厳なエリセーエフスキイ食料品店という商店があります。ここは金色の飾り、浮彫装飾、240個の葡萄の房の形のシャンデリア等々の装飾に飾られています。この商店は19世紀末にロシアの大富豪であり貴族の称号を許された商人であるグリゴーリ・エリセーエフが創業した有名なエリセーエフスキイ食料品店です。 
 
 グリゴーリ・エリセーエフ の5人の息子の一人は世界における東洋学の創始と発展にユニークな役割を果たしました。 
 
 父と息子エリセーエフはそれぞれ異なる理由でロシアを離れました。父のエリセーエフは新しい恋に落ちて、最初の奥さんと離婚して、莫大な財産と会社を家族に残して、新しい妻とパリに移りました。 
 
 息子がロシアを離れた理由はロマンチックなものではありませんでした。ボリシェヴィキ時代の1919年〜1920年にチェカ(秘密警察組織; 露: ЧКチェカー)により「父の代わりに」逮捕されて、10日間刑務所に拘留された後、解放されたけれども、その後チェカは又再逮捕すると威しをかけました。それでセルゲーイ・エリセーエフは1920年に密輸業者のフィンランド人のボートで海を渡り、ペトログラード(現サンクトペテルブルグ)からフィンランドに脱出して、パリに移りました。 
 
 その後,アメリカに渡り(1932年)、セルゲーイ・エリセーエフは23年間ハーバード大学で教授として東洋学研究をしながら、本格的なジャパノロジーの始祖となりました。 
 
 エリセーエフは東洋文化をドイツのベルリン大学と日本の東京帝国大学国文科で学びました。セルゲーイ・エリセーエフは東京帝国大学での初めての外国人学生(1908-1914)となりました。(エリセーエフは日本語で「英利世夫」と自称していました。) 
 
 セルゲーイ・エリセーエフはアメリカの東洋学研究の“ファザー(父)”と言われ、西洋での最初の日本文化研究家と見なされています。彼の門下からは多くの優秀な東洋学者が巣立ちました。後に駐日大使として日米関係に重要な役割を果たしたエドウィン・ライシャワー氏は、その中でも最もエリセーエフから嘱望されていました。 
 
 モスクワかサンクトペテルブルグに行った際は、是非エリセーエフスキイ食料品店を訪れることを推奨します。 
 
 不思議なことに、この店では国々と人々の縁を語ります・・・ 
更に付け加えますと、エリセーエフスキイ食料品店で販売されているケーキはとびっきり美味しいのですよ! 


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