2012年07月13日08時53分掲載  無料記事
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核・原子力

【たんぽぽ舎発】原子力ムラの犯罪を振り返る≪中≫原子力の現場で違法行為かずかず  山崎久隆

 原発の黎明期には多くの事故が発生し、そのたびに長期停止を余儀なくされてきた。最初に動いた敦賀原発(日本原電)は80年に放射性廃液を垂れ流す事故を起こし、美浜1号(関電)は燃料が破損して炉内に散乱する事故を起こし、福島第一(東電)は1〜3号共に応力腐食割れなどの腐食と劣化により長期間にわたる交換・補修・改造工事を余儀なくされていた。 
 
 今の原発の技術水準は、その当時から見てさえも悪化している。運転継続を最優先し、安全性確保は外部団体や機関(原子力技術基盤整備機構や電力中央研究所)やメーカーに丸投げ、その結果電力会社には安全性確保の技術が蓄積せず、外部機関は実機の運転実績がないために机上の空論が積み重なるという結果になった。 
 
 その結果、現場ではいわゆる「偽装」が横行する。定期検査において合格基準に達しなくても保安検査官を騙し定期検査合格証を取得すれば原発を運転できるので、そのためのテクニックが「知見」となって積み上がる。福島第一原発3号機では、格納容器の漏えい率検査(一定時間に基準値以下の漏えい率を達成することにより、格納容器の密封度を確認する検査)をごまかすために、圧搾空気を 
別系統から押し込んで、検査官を騙した。91年から92年にかけてのことだ。 
 
 検査官はゲージを見ているだけなので、複雑な原発内部でそんな偽装工作をされては、見抜くことなど出来なかった。漏えい率が基準を満たさなければ、当然原子炉の運転は出来ない。違法な原発がこうして動いていた。 
 
 1999年9月30日、原子力開発史上最悪の「JCO臨界被曝事故」が起きる。ほとんど素人同然の核燃料加工会社に対して当時の動力炉・核燃料開発事業団が臨界事故を起こす危険性を知りながら溶液状の高濃縮ウランを取り扱わせて引き起こした。 
 従業員2名が大量の中性子線を浴びて死亡、住民667名を含む被ばく者を出した。 
 
 だが、これでも国は反省などしなかった。度重なる不祥事を全く見抜けなかった原子力推進体制を見直すどころか、2001年に「原子力安全・保安院」を経産省に作り、推進機関に規制機関と、まさに焼け太りで組織拡大を行った。 
 
 美浜原発3号機で2004年に起きた二次系配管の破断に伴う蒸気突出事故は、さらに悲惨な結果を招いた。11名が死傷し、原発事故としては最大の犠牲を出したのは、運転以来全く肉厚の検査をしていなかった二次系の給水配管の破断だった。 
 二次系なので原則として放射能は含まない。そうなると点検は徹底的にサボる。やらないのだから安全性の確保どころでは無い。 
 
 このような装置類はいくらでもある。電力会社は、原発の運転はできるがメンテナンスや対処能力は全くないことを露呈した。東電でも2002年から続々と不祥事が発覚し、2003年には全原発17基が止まることになる。 
 
 安全確保のために設置された保安院が、実際には原発推進の隠れ蓑であることは、誰の目にも明らかだった。そのトップは原子力に素人だったことも分かっている。官僚組織の一通過ポストに過ぎなかった。多くの人にとっては「騙された」という気分かもしれないが、それはとうに分かっていたことだった。 
 
(つづく) 


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