2012年07月20日15時48分掲載  無料記事
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スポーツ

ロンドン五輪開催地付近を散策する

 五輪開催まで、後、数日となった。五輪スタジアム近辺のツアーが連日、開催されている。午後のウオーキングコースを選び、歩いてみた。(ロンドン=小林恭子) 
 
 集合場所はBrombly-by-Bow(ブロムブリー・バイ・ボウ)という地下鉄の駅である。ロンドンの中央部(チャリング・クロス駅から東西南北何キロ、というとらえ方をよくする)からやや北東部に位置する。 
 
 金融街シティの東隣となるタワーハムレッツ特別区にあり、ブロムリー特別区にあるブロムリー駅とは異なる。19世紀、タワーハムレッツには商業埠頭が建設され、英国の貿易の拠点となったという。しかし、その後、海運業の衰退で、多数の失業者を出すことになった。 
 
 ブロムブリー・バイ・ボウの「Bow」(ボウ)とは弓のことだが、中世に、ここに弓の形をした橋がかかっていたことに由来するそうだ。2001年の国勢調査によれば、住民の40%がバングラデシュ系だ。 
 
 駅の出口を出ると、かなり殺風景な周囲である。お店のようなものはなく、いくつものすすけた色のビルが見える。大通りを車がすごいスピードで走ってゆく。時間をつぶすような場所もない。 
 
 早く着いてしまったので、歩道橋を使って通りを渡ると、非常に大きなスーパー、テスコがあった。広い店内を見てから、また駅前に戻ってきた。 
 
 公認ガイドを示すブルー・バッジをペンダントにして身に着けた、初老の男性が微笑みかける。元ロンドン市長のケン・リビングストン氏(丸い顔、短い髪)に生き写しである。「ツアーに参加するの?」そうだと答えると、「ここは何もないから、この先のテスコのさらに先にある場所で待っていてください」という。すでに数人集まっていたので、みんなで歩道橋を渡り、テスコまで歩く。 
 
 テスコの先には小さな橋があって、これを渡りきると、小さな公園のような場所になった。ここまで来ると、大通りの車の行き来が気にならなくなった。涼しい風が吹いてくる。木の下で、静かに流れる川を見ながら休んでいると、久しぶりの快晴が実に気持ちいい。心和むひと時である。 
 
 20数人ほどが集まって、いよいよツアーが始まった。 
 
 「ここら辺で、ハブとなるのは五輪競技の開催駅、ストラトフォードです。皆さんが見ている川はリバー・リー(リー川)ですよ」とガイドさん。 
 
 ロンドンが五輪を招致した目的には3つあった。地域(ロンドン東部)の再開発、スポーツ競技の開催、そしてレガシー(遺産:地元に残すもの)である。 
 
 現在、ブロムブリー・バイ・ボウは「テスコ・タウン」と呼ばれているものの、中世には、一帯が野原だった。その後、リー川近辺にはとうもろこしを粉にする工場(「ミル」)ができた。次第にジンの製造所となり、1940年代には倉庫にもなった。 
 
 「ブロムブリー・バイ・ボウやストラトフォードあたりは、労働者の町だったんですよー今は、『労働者』という言葉をあまり使ってはいけないけどね」とガイドさん。英国では、上流、中流、労働者階級という階級分けで会話が進むことがよくあるが、大雑把には、「労働者階級」は単純作業従事者を指す。 
 
 かつて製粉工場があったあたりには、今はテレビ番組の制作用「スリー・ミルズ・スタジオ」がある。民放の人気番組「ビッグ・ブラザー」など、たくさんの番組が制作されているという。 
 
 ストラトフォードに向けて歩く途中で、薄茶色の砂利を敷き詰めたミニ公園を通った。「ファット・ウオーク」と名づけられていた(ガイドさんも、なぜこの名前がついたのか分からないそうだ)。その一角に、白い巨大な2つの手が、互いを握りしめているオブジェがあった。 
 
 「これは実は五輪にはまったく関係ないのですが」と、オブジェの隣に立つガイドさんが話し出す。 
 
 近辺には下水処理施設が設置されてきたが、1901年、下水パイプが詰まったことがあった。担当者4人が現場に駆けつけ、中の様子を調べようと、一人がはしごを降りていった。内部の有毒ガスなどによってやられてしまったのか、この人は帰ってこなかった。2人目が続いた。これも帰らず。3人目も帰らずー。とうとう、管理者がやってきて、「下に降りてはいけない」と命令した。白い2つの手が互いを握っているオブジェは、下に降りた同僚の手を上の仲間がしっかりと捕まえている様子をイメージしたものだった。 
 
 川べりを歩いていたら、遠くに赤いタワーが見えた。オリンピック公園の中にある、観測用タワー「アルセロール・ミッタル・オービット」である。インド生まれの建築家アニッシュ・カプーア氏が設計したものだ。英国で最高にリッチな人物といわれている、インドの資産家でミッタル・スチールの最高経営責任者ラクシュミー・ミッタル氏が、建設資金のほとんどを出した。 
 
 ストラトフォード地域の再開発と五輪開催のレガシーが永遠に続くようにという願いをこめたタワーは、高さ115メートル。ニューヨークの自由の女神よりも高いという。しかし、複雑にねじれたデザインは、必ずしもロンドンっ子から大歓迎を受けたわけではないと記憶している。どうにもぱっとしない感じに見えるが、いかがであろうか。 
 
 その手前には、聖火トーチのような形をした、家具販売店イケアのタワーが建つ。こっちのほうは分かりやすい感じがしたがー。タワーの後ろにある茶色の古いビルは、ただいま改装中。ここはイケアのお店になるそうだ。 
 
 「五輪の招致が決まる前は、誰もこのあたりには住みたがらなかったんですよ」とガイドさん。「古いビルや誰も使わない工場用地ばかり」。それが、今や、「誰がもが住みたい街」に変わってきたという。モダンな外観の高層アパートの建設が進んでいた。 
 
 途中で、五輪スタジアムの裏あたりを遠くから見る場所まで行った。生のスタジアムを目の辺りすると、やはり、心臓がどきんとしてしまう。ここで熱い戦いが繰り広げられるのかと思うと、少し感無量になった。 
 
 この場所は、ガイドさんによれば、薬品製造などを行っていた場所だったので、汚染度が高く、再利用のためには汚染された土壌をかなり深く掘らざるを得なかったという。 
 
 ストラトフォード駅の近くまで来た。「どこの国でもそうかもしれませんが、1970年代、英国でも、当時は格好良いと思っていた、今から見れば醜悪なビルがたくさん建ちました。これを隠そうとして、ボリス・ジョンソン市長は、ブルーの魚をモチーフにした建造物を建てましたが、後ろの醜悪なビルが逆に目立ってしまいました」。 
 
 ストラトフォード駅はごった返していた。階段に座って休んでいる人、チラシを配っている人、バスに乗ろうとしている人などでいっぱいだ。階段を上りきって、私たちは、欧州最大のショッピング街といわれる「ウェストフィールド」に入った。ショッピングの好きな人なら楽しい場所である。しかし、それにしても、でかすぎるーそんな感想を私は持った。 
 
 ウェストフィールドのビルを突き抜けると、ストラトフォードインターナショナル駅があった。ここでツアーは終了となった。 
 
 穏やかに流れるリー川と涼しい風、新旧のビル、ごった返すストラトフォードとショッピング街―。メリハリのある散策となった。(「英国メディア・ウオッチ」より) 


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