2012年08月08日13時41分掲載  無料記事
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社会

【運動の現場で考えたこと】(5)国民運動化の罠  園良太

 「国民運動化」は、反原発運動を中心とした、日本の社会運動全体の問題です。ファシズム政治に対し、最近ようやく「原発、増税、TPPはセットの問題」という語られ方が増えてきました。官邸前への結集は政権総体への怒りが大きく影響していました。しかしその運動はナショナリズムに染まり、日本の外部が見えない「国民運動」化の傾向が強まっています。日本は右傾化とナショナリズムが果てしなく強まっていた上に、「国内」で空前の大惨事が起きてしまったからです。だがこれも前の3つの大状況に匹敵する運動的に大きな問題であり、大状況に簡単に回収されていく危険性があるため、批判します。 
 
 これは反原発運動の内部とそれ以外の運動の両方で起きている問題です。まず反原発運動の「国民運動」化とは、次のような事態を指します。最初に去年の「6.11原発やめろデモ!!!!!」で右翼団体に発言を要請する事件が起きました。それは取りやめになりましたが、それを問題視しない傾向や「右も左もない」といった発言が特にツイッター上で増え続けました。そして右翼団体は独自に「右から考える脱原発デモ」を開始し、参加者が増え全国に広がりました。またデモで日の丸を揚げる参加者も当たり前になっていき、大阪の「ナツダツゲンパツ」デモではサウンドカーから君が代を流す事件も起きました。そして首相官邸前抗議では、労働組合や社会運動の旗などの存在誇示が全て自粛を求められる中で、日の丸だけが許容されステージ近くに掲げられてしまうほどになりました。 
 
 一方現場で「国民」「国土」「日本」を強調する発言も多いです。放射能への恐怖心が「障がい者」差別の発言になり、女性へのパターナリスティックな発言が出ることもありました。日の丸・君が代とともに、当人や新しい参加者はなぜ問題視されるのかわからない人も多いでしょう。だが「国民」や日の丸君が代は、それらが戦前日本の侵略に全面的に使われたことへの反省から、これまでの運動で避けられてきた言葉でした。また「障がい者」や女性への差別も、それを問題視する「新しい社会運動」が70年代以降に様々に広がり続けてきました。でも、今でも日本社会には侵略の肯定や差別が平気でまかり通っています。 
 
 そして3.11以降はそれらの運動に接したことのない新しい参加者が数多く出てきました。だから起きる問題です。私も02年に最初にアフガン反戦デモに参加したころは何もわかりませんでした。様々な出会いや行動の中で問題意識を深めていったのです。 
今、反原発運動が「国民運動化」することの問題は、 
 
1:日本が侵略した国の人々や、様々な社会的マイノリティを軽視・排除することになるから(そうした人々と、加害を反省しながら差別なく連帯することを望む人も、来られなくなる)。 
 
2:侵略戦争への反省や反戦運動といった他の課題を切断・軽視・無視してしまうから。 
 
3:「反原発」自体の広がりも止めてしまうから。 
 
 原発は核兵器と同根で、日本政府が無くさないのは核武装の欲望があるからで、例えば韓国でも反原発が「反核運動」と呼ばれているのに、核批判まで行かない。右派は日本の核武装の欲望を常に抱えており、それは脱原発とは根本的に相容れない。また全ての原発は地方に押し付けられ、都会がその電力を消費してきた。また今も被曝労働者に最も危険な被曝作業が押し付けられており、福島では8割が福島出身者で、全国の原発でも最底辺の日雇い労働者が駆り出され続けてきた。つまり「反原発」は大量消費や階級格差という国家・社会構造とライフスタイルそのものを変えるべき問題でもあるのに、そこまで発展していかない。そして福島で閉じこめられる人々、たらい回しにされる自主避難者、使い捨てにされる被曝労働者、そして日本が原発を海外輸出する国で抵抗する民衆やウラン採掘に抵抗する人々とつながれなくなるということです。 
 
 反原発デモや官邸前に多くの人が立ち上がったのはとても良いことで、僕も多くの出会いがありました。放射能や権力に対する「民衆知」と呼ぶべき、親の人たちの多彩な学習会や人々の抵抗が生まれているのもすごいです。その意義と、より良くするための事は後半で展開します。けれども、反原発運動が今後も「国民運動」に留まるとしたら、それは人を排除し、歴史を捻じ曲げ、原発廃絶としても真に有効な運動にはならなくなるのです。 
参考:「反原発運動(経産省前テント)が極右団体と関係することの何が問題なのか」 
http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20111121/1321877776 
 
 さて、これにつられて他の課題も「国民運動」化しています。「原発、増税、TPPはセットの問題」という関心が増えてきましたが、沖縄へのオスプレイ押し付けや高江のヘリパッド工事への関心はまだまだ低いです。また「本土」から沖縄の問題をセットで語る場合も、「米国が日本を思うままにしている」「逆らえない日本は情けない」といったものが多いです。実際には日本政府も自らの意思で沖縄に基地を押し付けているし、止められてこなかった「本土」の私たちにも一定の加害者性があるのに、です。 
 
 つまり自らを「被害者」と規定できる問題に関心が集中し、そこで止まってしまうのです。そして原発や増税だけでなく、4月の人工衛星騒動のような凄まじい朝鮮攻撃、「釣魚台/尖閣諸島」の領有権をめぐる中国攻撃、朝鮮学校の高校無償化からの排除は強まるばかりです。でもそれらは「国民運動」の枠外の問題で、私たちが「加害者」の立場になるため関心も運動も少ないまま。日本は今も世界有数の「豊かな国」で、被害者にさせられることに抗議する「原発、増税、TPP反対」が、加害者であることも拒否する反戦運動、反差別運動、戦後補償問題にはつながっていかないのです。 
 
 もちろん増税反対もTPP反対も非常に必要なことで、僕も体がもう一つあれば全力でやりたいです。自分たちが被害を受ける問題から動き出すことはごく普通のことで、増税やTPPのような凄まじい悪政ならなおさらです。ただ、日本は今も世界有数の「豊かな国」「攻める側の国」でもあります。本当は少し考えればアジアへの過去の責任をうやむやにし、中国や「南側」から資源を収奪し続け、イラクやアフガニスタンやソマリアで殺しに加担していることがわかります。だが動き始めた人も、運動も、被害者運動の方が盛り上がりやすいからと取捨選択している面は必ずあります。そして今まで言葉使いや問題意識に注意していた筈の運動内でも、「国民」「国土」を使い始めたり、右翼や日の丸を肯定したり、反戦・反差別の運動や言論をやらなくなっています(忙しすぎることも理由です)。これを数年前から金光翔さんは「佐藤優現象」と呼んで批判していました。論文は 
http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-1.html 
ブログは 
http://watashinim.exblog.jp/ 
 
 これが政治的には小沢一郎新党「国民の生活が第一」への期待になっています。運動側が明確に自民党と対立していた時代から、民主党政権になり対立点が不明確になり、それもあって今の野田政権の惨状を招きました。それは「国民」の枠外の問題への関心が低くなっていったことも理由でしゅう。小沢は90年代から自衛隊のPKO派兵を行い、小選挙区制導入で社会党を解体させ、新自由主義推進の旗振り役をしてきました。総括も何もしていません。そのことを私たちがきちんと振り返っていれば、「日本の上〜中間層」の支持さえ一時的に得られれば、それ以外を切り捨てても戦争しても良いのだという思想的基盤がわかるはずです。保守政治家に期待してしまうほど私たちが対抗軸を失い、運動基盤と知的基盤が崩壊しているのです。 
 
 日本は戦前、右翼排外主義や「国土の危機」という被害者意識が高まる中で運動側が体制側へ「転向」していきました。そして最悪の侵略と破滅に抵抗するものが誰もいなくなってしまいました。このままでは、「脱原発」だけは一時的に盛り上がっても、憲法改悪して海外で戦争し放題、在日朝鮮人や外国人を差別し放題、死刑や重罰化は増え放題、もちろん増税やTPPも止められず、福島の全ての被害者と被曝労働者は置き去りに、となりかねません。それでは何も変えられず、再び「総転向」となるだけです。運動側も「国民運動」化を乗り越えなければいけないのです。 
 
 現在の大状況を整理することで、反原発運動の問題を変えるべき理由も見えてきたと思います。それでもまだ「今は緊急事態、反原発の一本でまとまればいいじゃないか」「運動初参加者の気持ちをわかっていない」と思う人もいると思います。そこで「そうじゃないよ」ということを語っていきます。まず次は「私たちの立場の問題」から。次に今回の官邸前問題と論争を細かく整理し、僕なりの「人が運動するってどういうこと?」からです。 
 
(先に、友人柏崎さんの論文http://livingtogether.blog91.fc2.com/blog-entry-98.html 
北守さんの『剥き出しの生と非常事態』http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20110627を読んでおいてください。ぼくはこれをより内在的に、同志的批判として、アフガニスタン反戦以降の自分の経験を交えて書きます。 
 
(つづく) 


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