2012年08月17日12時22分掲載
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核・原子力
【たんぽぽ舎発】田中俊一規制委員長候補は高速増殖炉推進もんじゅを推進。原子力推進の中でも最先端の人物 山崎久隆
一体誰がどう見たら田中俊一元原子力委員会委員長代理を「原子力ムラの影響を受けていない人物」などと言えるのだろうか。 数多くの原子力関係者の内、例えば「中心」、「周辺」、「圏外」と分けたら、間違いなく「中心」になる人物だ。
日本の原子力政策の中心は再処理−核燃料サイクル路線であり、その中でも高速増殖炉「もんじゅ」を稼働させ、プルトニウムサイクルを確立することは、原子力ムラにとって中心課題だ。その中心課題を推進してきたのが原子力委員会である。
彼が原子力委員会に居たのは07年1月から09年12月だが、この時期に彼は原子力委員会委員長代理の立場でヨーロッパに「出張」している。今から4年ほど前の08年10月、ブリュッセルの欧州原子力委員会で意見交換し、ベルギー原子力研究センターに行き、経済協力開発機構原子力機関(OECD/NEA)設立50周年式典に参加をして演説し、フランス原子力庁とも意見交換をしている。
この中で重要なのは、フランス原子力庁での意見交換だ。プラデル開発局長との会談で、田中委員長代理は高速炉開発計画に言及、フランスでは高速炉が全部止まり、研究開発が止まることから、フランスから「もんじゅ」の運転再開を期待するという趣旨の発言があったようだ。これに対して田中委員長代理は、もんじゅ計画は極めて重要であり、期待をしている主旨の発言をしたのみならず、新型高速炉開発についてもフランスとの協力を約束している。炉型がもんじゅとは全く違う可能性があるとし、その上でフランスとの共同研究も示唆している。
当時の原子力委員会内部では、高速炉計画や再処理計画を含む核燃料サイクルについては進むか止まるかの議論があったが、田中委員長代理は明らかに推進側だった。
田中俊一委員長代理の肩書きには、他に「原子力学会会長」「原子力研究開発機構副理事長」「高度情報科学技術研究機構理事長」などと、原子力推進機関の中心人物であるだけでは無く、高速増殖炉開発も推進していたのであり、原子力推進の中でも最先端だったと言える。
これまでの立場から考えて、規制庁として「地震や津波で崩壊する可能性がある」として、最も重大な関心を持って取り組むべき存在の「もんじゅ」について、田中俊一委員長代理は懸念を示す姿勢を取るとは考えられない。
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