2012年09月05日18時04分掲載  無料記事
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検証・メディア

ソーシャルメディアの利用拡大 −英国の五輪報道 現地リポート

 夏季五輪の開催地としては3回目になるロンドンで、7月27日から繰り広げられたスポーツの祭典が8月12日、終了した。英国内の五輪への反応とメディア報道の様子をリポートしてみたい。(ロンドン=小林恭子) 
 
 以下は「新聞研究」9月号掲載の筆者原稿に補足したものである。 
 
―消えたしらけ感 
 
 2005年の招致決定から開催直前まで、英国民の中で五輪への盛り上がりに欠ける時期が長く続いた。 
 
 予算超過で税金負担が増えることへの懸念、競技場が建設されるロンドン東部の再開発というもう1つの目的実現への疑問、開催中は国内が五輪一色になってしまうことへの嫌気などがあったといわれている。 
 
 しらけ感が怒りに変わったのは、開始前に発覚した一連の不祥事であった。会場近辺の警備を担当した警備会社G4S(ジー・フォー・エス)が間際になって約束していた人員数を調達できなくなり、急きょ、数千人の兵士を警備支援に手配せざるを得なくなった。開催10日前には、サッカーのチケット50万枚が売れ残り、販売中止・回収の憂き目にあった。 
 
 大きな変化が起きたのは、7月27日の開会式のテレビ放映であった。映画監督ダニー・ボイル(「スラムドッグ$ミリオネア」など)が演出した、3時間強にわたる式典には「驚きの島」というタイトルがついた。イングランド地方の田園を模したセットで始まり、産業革命から、国民健康保険制度の開始、ポップ音楽の隆盛など、英国の歴史を切り取って見せた。圧巻は見事な聖火台の出現だった。花びらの形をした複数のしょく台に聖火で火をともすと、これが見る見るうちに垂直上に立ち上がり、1つの聖火台に変身した。夜空に広がる大量の花火が後に続いた。 
 
 国内で2700万人が視聴したこの開会式の様子を翌日の新聞各紙は絶賛した。「黄金色の驚き ーさあ、競技を始めよう」(サン)、「英国が最高の状態を見せた −ロンドン2012の幸福で素晴らしいスタートだ」(デイリー・エキスプレス)、「驚きの夜」(ガーディアン)など。 
 
 当初、会場内で空き席が目立つ点などが問題視されたものの、英国の選手が次々とメダルを獲得すると、悲観論は一気に消えた。BBCテレビの著名司会者で、皮肉屋として知られるジェレミー・パックスマンが「もう誰も英国を(スポーツが)だめな国とは思わない」と題するコラムを執筆するほどだった(サンデー・タイムズ、8月12日付)。 
 
―圧倒的な力を見せたBBC 
 
 五輪報道で圧倒的な強さを見せつけたのは公共放送BBCであった。前回の北京五輪では493人のスタッフが報道を担当したが、今回は765人に増加。「本格的なデジタル時代の五輪」とロンドン五輪を位置づけ、「一瞬も見逃さない」をキャッチフレーズに全競技の生放送を試みた。 
 
 具体的には、メインのチャンネルとなるBBC1と通常は若者向けチャンネルBBC3を五輪専用チャンネルに設定し、追加で、新たに24の五輪専用チャンネルを設けた。合計26のチャンネルで、約2500時間に相当する競技の様子を生放映した。 
 
 有料テレビサービスの契約有無によってはすべてのチャンネルをテレビ受像機で視聴できない家庭もあったものの、BBCスポーツのウェブサイト上ではすべてが視聴可であった。かねてより番組の再視聴サービス(BBCアイプレイヤー)はよく利用されてきたが、五輪放映では生中継中の動画の巻き戻しも可能で、まさに「見逃さない」形になった。 
 
 BBCの生放送はスマートフォンやタブレット型機器などさまざまなプラットフォームでも同様に視聴可能で、通常のBBCのサービス同様、無料で利用できた。BBCによる五輪放送は、今後の大きなスポーツイベントの放送における一つの標準を作ったといえよう。 
 
 一方、新聞界は、当日の競技の様子はネットで、翌日の紙面では競技を振り返り、その日の観戦を補助する情報を伝えた。 
 
 ロンドンの朝刊無料新聞「メトロ」は通常平日発行だが、五輪開催中は毎日発行に変更。五輪公式スポンサーとなったアディダスによる特製紙面が、新聞を包み込む形(通常は広告が新聞の中に挟みこまれているが、これが逆になっている)、すなわち「カバーラップ」を使って、五輪ムードを出した。 
 
 ほとんどの新聞が五輪競技のニュースのみを集めた別冊を連日発行し、その日にどこに行けばどんな競技が観戦できるかや五輪チャンネルの放送予定を特集面で紹介した。 
 
 各紙は五輪専用の取材チームを立ち上げ、高級紙では最も発行部数が多いデイリー・テレグラフの場合、外部のコラムニストの起用も含めて200人を配置したという。英国の全国紙の編集スタッフは大手でも数百人であるため、200人がいかに大きな数字かが分かる。 
 
 紙面制作で各紙が腕を競い合った例の1つが1面の写真と見出しだ。英紙は見出しに語呂合わせなどの言葉遊びをよく行う。無理な駄洒落になる場合もあるが、思わずにやりとさせるものが多い。メダルを獲得した選手の姿のみを1面に大きく載せ、これに一言か二言の短い見出しをつけるのが定番となった。 
 
 ウェブサイト上では五輪特集のスペースをトップに配置し、「ライブ・ブログ」という形で競技の様子を配信した。「ライブ・ブログ」というのは放送で言えば生放送(=ライブ)にあたり、今起きているイベントを現場からあるいはテレビ画面などで追っている記者が短文で記録してゆく形を取る。必要に応じて同僚記者のあるいは一般市民の関連ツイートや、他のニュース媒体の関連情報も入れてゆくという、「キュレーション」の手法でもある。 
 
 ライブ・ブログの目玉は現場にいる記者からの生の情報になるが、記者の取材用にスマートフォンやiPadを持たせ、情報を入手次第ライブ・ブログ用に送信・表示できるコンテンツ・マネジメント・システムの採用も広がっている。 
 
 ネットのインタラクティブ性を生かした工夫としては、地方紙を発行するニューズ・クエスト社は五輪競技場の地図と旅行を組み合わせたマップを作成した。それぞれの競技場の場所をクリックすると施設の説明が出るほかに、現在の交通情報やロンドン市内のレンタル自転車の利用状況などが分かる。ガーディアンは31人の英国選手の体を分析したガイドを作った。カーサーを選手の体のイラストに合わせると情報が表示され、クリックすると、動画が視聴できる仕組みだ。 
 
ーツイッターの活用 
 
 前回北京五輪(08年)と比較して、大きく発展したのがソーシャル・メディアの世界だ。国際オリンピック委員会も選手や関係者にソーシャル・メディアの利用を奨励した。 
 
 英メディアが最も頻繁に利用するのが、友達交流サイトFacebook(ページを設け、ここから情報を発信したり、支持者を増やす)や短文投稿サイトTwitter(情報の送受信を行う)だ。特に後者はその即時性、情報発信のしやすさ、細切れに情報を出すことでまとまりのある原稿を作れることから、ジャーナリズムの1手法として重宝されている。 
 
 今回の五輪では、左派系高級紙インディペンデントの米国駐在記者が、ツイッター社からアカウントの停止措置を受ける事件があった。 
 
 問題となったのは同紙の米ロサンゼルス支局員ガイ・アダムス記者のツイートだ。五輪の米国での放送権は民放NBCが所有しているが、7月末の五輪開会式の模様をNBCは米国西海岸地域で生放送しなかった。録画放送が日本で言うところのゴールデンタイムに流れたのは、ロンドンでの生放送から6時間後であった。 
 
 これをNBCの批判者たちは、「NBCは高額の放送権料を支払っている。ゴールデンタイムに放映すれば最大の広告収入が得られるので、故意に放送を送らせた」と解釈した。 
 
 アダムス記者は放送遅延に義憤を感じ、NBCを「最低、強欲」、「完璧にろくでなし」などとツイートした。そして、自分のフォロワーに対し、NBCの五輪放送責任者の電子メールアドレス(局の公式アドレス)に抗議のメールを送ろうと呼びかけた。 
 
 ツイッター社には、他者の個人および秘密の情報当人に許可なく流すことを禁じる規約があるという。一連のツイートに気づいたツイッター社側はNBCに連絡を取り、NBCがツイッター社にアダムス記者のアカウント使用停止を依頼。ツイッター社はこれを受け入れた。 
 
 ツイッター界は一斉にこの措置に反発した。NBCの責任者のメールアドレスはあくまでも局の公式アドレスであって、個人的なアドレスではないのだ。「言論封殺だ」という声が出た。また、米ジャーナリスト、ダン・ギルモアは、ツイッターとNBCが五輪ビジネスで提携関係を結んでいることが裏にあるのではないか、と書いた(ガーディアンのブログサイト、7月30日付)。 
 
 まもなくしてツイッター社は事の重大性に気づき、謝罪。アダムス記者のアカウントはまた使えるようになった。 
 
 一連の経緯について、元ガーディアンのデジタル・メディア責任者で今は米大学で教えるエミリー・ベルは、ネット上の世論を無視して大手メディアが活動できなくなったことを示している、と書いた(ガーディアン、8月5日付)。 
 
 デジタル技術によって、世界中に情報が伝わるようになった。ネット、あるいはベルが言うところの「第2の画面」(パソコン、携帯端末、スマートテレビなど、双方向性がある視聴プラットフォームの画面)は「決して受動的な体験ではなく、情報を共有し、第1の画面(テレビ受像機の画面)が提供できない不足分を満たす存在となった」。ロンドン五輪は、テレビ局が決めた番組予定にしたがってコンテンツを視聴する最後の五輪になるかもしれない、とベルは結んでいる。 
 
 最後に、日本人選手にかかわる英報道について触れておきたい。全競技が放送されたため、フォローできたのは幸いだったが、競技終了直後の生インタビューがないため、歯がゆい思いをした。例えば、メダル獲得など素晴らしい成績を残した場合でも、BBCは選手が英国人ではない限り、生インタビューを行わない。たまに米国の選手が加わるのが関の山であった。金銀を外国人選手が取り、銅を英国人選手が取った場合、インタビューは銅獲得者のみという、ちぐはぐさがあった。 
 
 人やサービスの国際化が進む中、英国でも各国の選手の動向に興味を持つ人は相当な数に上る。新聞も含め、いかに他国選手の情報を臨機応変に出すかには再考が必要だろう。 
 
 そして、もし2020年に東京に五輪が招致された場合、BBCのように全競技を無料で生放送できるかどうか?新聞界では、記者が縦横無尽にツイッターで情報発信をすることが普通になっているかどうか?日本のメディア界にとっても、考える論点を多く残したロンドン五輪報道であったと思う。 


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