2012年09月23日00時23分掲載  無料記事
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チェーホフ作「かもめ」(沼野充義訳)

  集英社文庫から沼野充義訳「かもめ」(アントン・チェーホフ作)が出た。長年、「かもめ」と言えば神西清(1903-1957)氏の名訳があったおかげで、ほかの訳本を手にする機会はほとんどなかった。それくらい神西氏の訳は味わい豊かだった。 
 
  しかし、今回、沼野氏の訳本が出たことで現代日本人の言語感覚にぐっと近づくことができたのではないだろうか。いささか淡泊になった気配もあるが、それは現代の日本の言語風景が淡泊になったからでもある。だからこの新訳をうれしく思う。 
 
  チェーホフの「かもめ」はモスクワの有名女優アルカージナの息子トレープレフの失われた恋の物語である。トレープレフの彼女で女優の卵のニーナが、アルカージナの愛人で中年作家のトリゴーリンに憧れ、駆け落ちし、主人公のトレープレフが捨てられる挫折の物語である。あるいは屋敷の管理人の娘マーシャが屋敷の主の親族の青年トレープレフにひそかな恋をし、やがてその恋を諦め愛していない若者と結ばれる物語でもある。若者ばかりではない。中年たちの恋もひそかに進行する。このように劇中では様々な物語が同時進行する。しかし、登場人物たちはそれぞれ自分の主観を生きているため、交わされる会話は皆どこかずれている。それはとてもリアルだ。近代劇の劇作法と異なるチェーホフの「かもめ」は19世紀末の演劇界に衝撃を与えた。 
 
  これはつまりアンサンブルの劇なのである。面白さはデテールにある。理屈ではないのだ。僕はこの劇に若くして出会ったものの、自ら上演するまでにとても長い歳月をかけた演出家を知っている。それだけ、面白い劇でもある。中年すぎ、初老になっても、この劇に取り組むだけのジューシィな味わいが、というよりも哀しみがこの劇にはつまっている。それは失われて二度と帰ってこない性質のものである。 
 
  この集英社文庫の挿絵が味わいがある。クレヨンのかもめが幕間に立っている。描いているのは北村人というイラストレーターである。 
 
■沼野充義訳「かもめ」(集英社文庫) 
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%8B%E3%82%82%E3%82%81-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%9B%E3%83%95/dp/4087606511 
■北村人氏のウェブサイトに味わいのあるイラストが紹介されている。 
http://members.jcom.home.ne.jp/nemum/index.html 


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