2012年09月25日13時02分掲載  無料記事
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核・原子力

【たんぽぽ舎発】最高裁の研究会が提起した、原発訴訟改革論の波紋  森田 義男

 最高裁の会合で、原発裁判の審理方法に改革論が起きているという。原発訴訟をめぐる研究会で、今後は安全性をしっかり審理すべきというものだ。共同通信による情報公開請求に基づく最高裁の内部資料でこれが明らかにされた。 
 
 裁判所は従来、専門家の意見を踏まえた行政の判断を尊重するという体裁で、国策ベッタリの原発推進判決を出し続けていた。「強い者を守る」という裁判所の真骨頂である。原発訴訟を経験した元裁判官は、これを称して「(裁判の前に)判決の流れは決まっていた」と述べているという。 
 
 こうした中でのこの改革論の浮上。これは福島の原発事故を踏まえ、このままでは司法の信頼が揺るぎかねないとの危機感をあらわにしたものだ。その背景には、原発への多くの世論調査結果やうち続く官邸前デモ等に見られるような、安全性を無視した原発再稼働等に対する国民の怒りがあろう。 
 
 この改革論により、仮に電力会社の側に安全性への相応の立証責任が求められるような流れにでもなれば、原発行政はかなりの打撃を受ける。「その結果として、国等を守りきれない事態になったとしてもやむを得ない。それよりも司法への信頼(つまり自身の安全)を優先せざるを得ない」。最高裁の研究会はこう判断したのである(現実にどこまで「改革」できるかは、大いに疑問ではあるが)。 
 
 さて、裁判所が「国等を守る」ことよりも「自身の安全(司法への信頼)」を優先するという(ある意味当然の)判断は、大きな示唆を与えている。「有罪率99.9%」のデタラメ裁判や馴れ合いの行政訴訟も、「司法への信頼」が大前提となっているからである。例えば証拠開示の問題。「検察は不都合な証拠は提出しないでよい」などという現行の取扱いは、むろんお話にならない。どのような屁理屈を並べようが、常識や社会正義の面からこれが通用するはずがない。このようなインチキを裁判所が容認・推進していることを広く一般国民が知れば、「司法への信頼」は一気に地に墜ちよう。これで同じく「改革論」が巻き起こるはずなのだ。 
 
 こうしてその他の多くのデタラメも、広く国民に知らしめることにより、「改革論」を発生させればよい。これらにより刑事訴訟や行政訴訟を大きく改善させる。そしてそれは世の構造を一変させる力さえ秘めている。 
 
 もっとも以上述べたことは、既に各方面から指摘済みの当たり前のことといえるかもしれない。しかし今回の最高裁の国等をも敵に回さんばかりの改革論。「我が身かわいさ」に基づくこの裁判所の変わり身の速さには、目を見張らされる。確かに「広く国民に知らしめる」は、実際問題として容易ではないだろう。しかし今回は、その威力をまざまざと見せつけられた思いがするのである。 
(出典:国賠ネットワーク通信137号・9月15日号) 


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