2013年01月03日10時09分掲載  無料記事
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検証・メディア

「混迷の時代」をどう乗り切るか 2013年元旦社説を論評する 安原和雄

  朝日新聞の年頭社説が「混迷の時代の年頭に」と題しているように、たしかに日本の現況は混迷を深めている。この混迷をどう克服するのか、あるいは乗り切ることが出来るのかが今年の大きな課題というほかない。社説の論調も混迷の時代を象徴するかのように多様である。自信に支えられた社説を見出すのは難しい。 
 そういう多様な社説からあえて一つを選び出すとすれば、東京新聞社説の「人間中心主義を貫く」を挙げたい。ただ欲をいえば、むしろ人間に限らず自然環境(動植物)を含む「いのち中心主義」という視点を重視したい。今年はこの「いのち」がこれまでにも増して何かと話題として浮かび上がってくるのではないか。 
 
 まず大手5紙の2013年元旦社説の見出しは以下の通り。 
*朝日新聞=混迷の時代の年頭に 「日本を考える」を考える 
*毎日新聞=2013年を展望する 骨太の互恵精神育てよ 
*讀賣新聞=政治の安定で国力を取り戻せ 成長戦略練り直しは原発から 
*日本経済新聞=国力を高める 〔槁言瀋蠅如嵬世襪ぬ斉」を切り開こう 
*東京新聞=年のはじめに考える 人間中心主義を貫く 
 
 以下、各紙社説の要点を紹介し、それぞれに安原のコメントをつける。 
 
▽ 朝日新聞社説 
 新年、日本が向き合う課題は何か、日本はどんな道を選ぶべきか ―。というのは正月のテレビの討論番組や新聞の社説でよく取り上げるテーマだ。でも私たちが抱える、うんざりするような問題の数々は、「日本は」と国を主語にして考えて答えが見つかるようなものなのか。 
年末の選挙戦には「日本」があふれていた。「日本を取り戻す」(自民党)、「日本再建」(公明党)、「したたかな日本」(日本維新の会)・・・・・。でも未来の日本についてはっきりしたイメージは浮かび上がらなかった。 
 
<安原のコメント> 不思議な社説という印象 
 繰り返し読んでみたが、今ひとつ真意が読み取れないというもどかしさが残る不思議な社説である。「混迷の時代の年頭に」が社説の見出しになっている。たしかに「混迷の時代」であることは否定できない。 
しかし社説そのものも混迷してはいないか。<「日本を考える」を考える>という見出し自体、混迷を誘っている。社説は個人好みの文学作品ではないはずだから、明快に論じてほしい。もっとも「日本」という言葉が政治の場では安易に使われる傾向にあることは否めない。 
 
▽ 毎日新聞社説 
 互恵の精神は、国と国との関係にも応用できる。日本外交の当面の最大の課題は、中国とどう向き合うか、にある。尖閣諸島をめぐる対立は、中国側の領海、領空侵犯で武力紛争の可能性まで取りざたされるに至っている。戦後一回も戦争しなかったわが国の平和力を今一度点検し、どうすれば最悪の事態を回避できるか、国民的議論が必要だ。 
 戦後の平和を支えてきたのは、二度と侵略戦争はしないという誓いと、現実的な抑止力として機能する日米安保体制であろう。係争はあくまでも話し合いで解決する。もちろん、適正な抑止力を維持するための軍事上の備えは怠らない。そのためには日米安保体制の意義、機能を再確認しておくことが大切だ。 
 
<安原のコメント> 驚くべき日米安保推進論 
 驚くほどの日米安保体制賛美論である。「現実的な抑止力としての日米安保体制」、「軍事上の備えを怠らない」、「日米安保体制の意義、機能を再確認しておくことが大切」などの指摘は、手放しの「日米安保」賛美論というほかない。 
 毎日新聞社説はかつては安保批判論を主張していたように記憶しているが、いつからなにがきっかけで、これほどの安保推進論に転換したのか。米国を「主犯」とする地球規模での侵攻作戦を日本が実質的に支えてきた政治的、軍事的基盤がほかならぬ安保体制であることは「常識」と思うが、どうか。 
 
▽ 讀賣新聞社説 
 先の衆院選で、「原発ゼロ」を無責任だとして否定した自民党が大勝したことで、安倍政権には、原子力を含む電源のベストな組み合わせを早急に検討することが求められよう。太陽光や風力など再生可能エネルギーは、水力を除けば、全発電量の1%強にすぎない。すぐに原発に代わる主要電源として利用できると期待してはならない。 
 世界は引き続き原発を活用し、増設する。特に中国は、十数基を運転させ、50基以上の原発建設を計画している。首相は安全な原発の新設へ意欲を示したが、有為な人材を確保・育成するうえでも、次世代型原発の新設という選択肢を排除すべきではない。成長の観点からは、原発のインフラ輸出も促進したい。 
 
<安原のコメント> 自然エネルギーに活路を 
 これほど徹底した原発推進論も珍しいのではないか。「いい度胸」と褒めてみたい誘惑に駆られるが、そうはいかない。有無を言わせぬ推進論に固執すれば、こういう主張もあり得るだろう。しかし今さら指摘するまでもないが、「新聞の使命は権力批判」である。この視点にこだわる立場としては到底受け入れることはできない。 
 もう一つ、疑問がある。それは再生可能エネルギーの将来性をどう考えるかである。現状では確かに規模は小さい。しかし太陽光、風力など再生可能な自然エネルギーに日本は恵まれている。いのちにかかわる危険な原発よりも、自然エネルギーに活路を見出したい。 
 
▽ 日本経済新聞社説 
 日本の国の力がどんどん落ちている。国内総生産(GDP)はすでに中国に抜かれた。強みを発揮してきた産業も崩れた。巨額の赤字を抱える財政は身動きが取れない。政治は衆院選で自民党が大勝したものの、夏の参院選まで衆参ねじれの状況は変わらない。手をこまぬいていては、この国に明日はない。 
 経済再生のための目標をどこに置くのか。国民総所得(GNI)という指標を新たな物さしにしてみてはどうか。「投資立国」の勧めである。GDPに海外投資の利益を加えたのがGNIだ。ただGDP自体が増えない限り、GNIの大幅な拡大も望めない。 
 
<安原のコメント>「明るい明日」は期待できるか 
 日経社説の見出しは<目標設定で「明るい明日」切り開こう>である。その社説は吉田茂元首相の「日本国民よ、自信を持て」ということばで結んでいる。しかし何にどのように自信を持てばいいのか。そこが分からなければ「明るい明日」も期待できない。 
 社説は「投資立国」を勧めている。言い換えればカネ稼ぎに精を出せ、と言いたいのか。カネがなければ、人生もままならない。といってカネさえあれば幸せになるという保証があるわけではない。カネはあくまで手段にすぎない。国の財政で言えば、予算という名なのカネを国民の幸せのために使わなければならない。 
 
▽ 東京新聞社説 
 新しい年を人間中心主義の始まりに―が願い。経済は人間のためのもの。若者や働く者に希望を与えなければならない。まず雇用、そして賃金。結婚し、子どもを持ち家庭を築く、そんな当たり前の願いが叶(かな)わぬ国や社会に未来があるはずはない。それゆえ人間中心主義が訴え続けられなければならない。 
 西欧の近代は自然を制御、征服する思想。今回の大震災はその西欧の限界を示した。近代思想や経済至上主義ではもう立ち行かない。自然と共生する文明のあり方を模索すべきではないか。近代文明を考え直す。そこに人間中心主義が連なっている。 
 
<安原のコメント> 人間中心主義からいのち中心主義へ 
 東京新聞社説の結びは次の趣旨となっている。「満州事変から熱狂の十五年戦争をへて日本は破局に至った。三百万の多すぎる犠牲者をともなって。石橋湛山の非武装、非侵略の精神は日本国憲法九条の戦争放棄に引き継がれた。簡単には変えられない」と。 
 東京新聞社説が「人間中心主義」を唱道する視点は他紙の社説に比べれば、ユニークである。ただ、人間中心主義には自ずから限界がある。というのは人間中心主義は、例えば人間の欲望のままに地球環境の破壊をもたらしているからだ。だから私は「いのち中心主義」を強調するときだと考えている。ここでは人間が主役ではなく、いのちが主役である。 
 人間に限らず、自然(動植物)にもいのちが生きているからである。そのお陰で人間は生かされている。今年の年間テーマとして重視されるのは恐らく「いのち」ではないだろうか。 
 
*「安原和雄の仏教経済塾」の転載 
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/ 


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