2013年01月04日13時32分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201301041332235

政治

現実と政治・社会の未来 再論(3) 安倍経済戦略の危険性  三上 治

 「経済の再生優先」、誰もが異論のなさそうなところだ。憲法改正して国防軍規定を明記する、集団自衛権行使を容認するなどに比べたら。しかし、その中身を見てみるとすぐに疑念が出てくる。要するにお札を増刷してばらまき、景気を活性化させる、その具体策が公共事業と言う名の土建作業というわけである。これは経済的な不況の度に演じる財政出動や金融政策という伝統的(?)な国家の介入策であるが、国家的借金(国債の累積残高)だけしか残していかない。日本ではバブル経済の破綻とその後に失われた20年という結果がしてか残ってはいるが、根本的な脱出路なきまま、帰らぬ夢をみるような「高度成長」の幻影を求めて一層の泥沼への道を進めるだけである。 
 
 残るのは国債残高と言う国家的借金の膨化だけであり、これの負担を強いられる国民には結果的な増税である。返る見こみのない国債を買わされるか、価値低下が大損をすれだけである。目新しい言葉で飾ってはいても、もう既に何度か破局経験してきた経済手法である。自民党の面々にはこれぐらいしか経済再生の構想やビジョンがないと言えばいえるが、この結果のもたらすものを想像すれば手をこまねいて見ているだけには行くまい。無責任やマスメディアや御用知識人の見え透いた論拠づけも含めて批判して置きたい。 
 
 安倍内閣の面々には経産省出身者が目につくがこれは原発政策の推進政策への転換が意図されているのだろうが、それだけ経済政策の展開に意をくばっているということでもあろう。この中で何よりも気になるのは彼らの大きな経済的ビジョンというのが見えてはいないことだ。それは大きな意味でのデザインがないことであるが、それは突き詰めていえば経済の高度成長という幻想(経験的な世界)に囚われていて、歴史的段階としてそれを超える段階にあることを構想もイメージもできていないことである。 
 
 単純にいえばかつて一度は経済の高度成長を経た(先進地域)では成熟社会と呼ばれる経済段階への転換が不可避になっている。イギリスやアメリカは事態に直面した先端国であった。その歴史的段階に対応すべき展開したのは軍需経済と金融経済による転換《第二次産業経済中心の高度成長経済から脱出》だった。それはその限界と矛盾に直面しているのであり、尖端、あるいは先進的な世界経済のモデルにはなりようのないものだ。 
 
 日本はかつての高度成長経済をアジア諸国の経済動向に見ながら、他方でイギリスやアメリカのポスト高度成長に失敗した経済的衰退をも見ている。高度成長段階のアジア経済も成熟段階後のイギリス・アメリカ経済、あるいはヨーロッパ諸国が経済を見ながら、次の段階が見いだせずに苦しんでいる状態がある。日本は歴史の先も後も見える場所の位置の利点がむしろ苦悶に転じるところに変わっている。歴史的には産業革命以降の高度成長経済の転換期の苦悶にあると言えるが、場所的にはここにある。高度成長ではなく、持続可能な経済展開をすることは未知の領域に属し、このデザインが困難のものであっても、そこへ踏み込むしかないのであり、その契機はその一端である。 
 
 例えば、大震災からの復興、原発政策の転換等はその一つである。地産地消型経済、地域経済の再生などはその一端である。大きなデザインはこうした契機でも具体化される。その肝心の構想もビジョンもないのが安倍の提示しているものだ。 
 
 かつての民主党内閣の経済再生ということに取り組んではいた。しかし、彼らの構想やビジョンが中途半端であったのは経済の高度成長の幻想から自由ではなくそれに足をひっぱられていたことである。前原と枝野の論争としてメディアに伝えられ話題になったことがある。僕はそれなりに注目していたがあやふやなものに終わった。これは主要には前原が経済の高度成長に囚われていたことに起因するように思えた。 
 
 安倍内閣の経済再生構想はかつての小泉―安倍路線下のアメリカ経済を模倣し、失われた10年からの脱却を試みたことの再度の展開である。小泉政権下で好景気は続いたとされたが、国民的には格差も広がり停滞や衰退を実感していたのが実情ではないか。経済の高度成長の時代の好景気とは違っていたのである。 
 
 アメリカはブッシュの時代からオバマの時代になっているが、経済の動向は基本的には変わらないのである。かつて小泉はブッシュの経済政策を新自由主義の移入としても模倣しようとしているが、安倍はオバマ政権の金融緩和政策を模倣しているのである。金融緩和というドルの増刷によるバラマキ、ドル安《ドルの価値低下》の持続という経済政策に同調し、金融緩和政策を取ろうとしている。 
 
 これはドル安=円高という構造を緩和し、円安=ドル高へ揺り戻すことにはなるだろう。これはアメリカの基軸通貨ドルの維持に同調することであり、円安で潤う輸出産業界には歓迎される。しかし、円安は輸入品の物価高を招くだけでなく、円の信用低下がもたらす側面を考えれば極めて危険な傾向もあるのだ。ドルやユーロの信用不安は今後も続くことでありそれらの基軸通貨の不安が円に逃避され、円高の傾向を招くことを回避するのは危険である。日本は膨大の国債残高(国家借金)を抱えておりその信用低下が招く危機はドルやユーロよりも一層危うい要素をもつのだからである。安倍の経済戦略をアメリカやユーロ圏の動向と合わせて見ればその危険性も見えてくる。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。