2013年03月27日10時25分掲載  無料記事
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「タンタンの冒険」シリーズ.愁咼┘畔圈コンゴ編  村上良太

  ジャカルタのスカルノハッタ国際空港の書店にはインドネシア語専門の書店と英語専門の書店の2つが近くに向い合っていた。インドネシア語がわからないため、英語の書店の方に入ってみると、6〜7割はアメリカの書店でみかけるもので恋愛小説や推理小説、実用書など。残りはインドネシアを中心とした東南アジア関係である。現代インドネシア経済の発展史、シンガポールの政治家リー・クアンユーの伝記、アルフレッド・ウォレスと彼の東南アジアでの昆虫採集旅行、バリの文化などなど。この店では米ドルは使えず、インドネシアの通貨ルピア(おおよそだが、1ルピアは1円の100分の1)で買わなくてはならない。 
 
  ガルーダ航空の帰国便の出発まで7時間あまりあったので、何か気楽に読めるものを・・・と思っていたら、「タンタンの冒険」シリーズを発見した。コレクター向けの編集で、1冊に2つから4つの物語が収録されている。中でも、最も興味深かったのはタンタンシリーズの原点である「ソビエト編(In the land of the Soviets)」だった。これはタンタンがシリーズ化される前の読み切りの1本で、シリーズで唯一の白黒である。しかも、少年のタンタンや犬のスノーウィのキャラクターがまだ完成されていない。逆に言えば初期の原風景が残っているところが興味深い。 
 
  ベルギー人の漫画家エルジェが「ソビエト編」を描いたのはウィキペディアなどに基づくと1929年で、翌年単行本となっている。「ソビエト編」のストーリーはベルギーの新聞記者、タンタンがブリュッセルから列車でソ連に向けて東に向かうシーンから始まっている。その過程で登場するロシア人たちは基本的にみなタンタンにソ連の真実を見せないためにタンタンを捕まえて殺そうとする悪人たちである。良いソ連人というものがほとんど一人も登場しないところが徹底的である。たとえば工場ではモクモクと煙突から煙が出て、フル稼働しているように見えるがタンタンが工場に潜入してみると、藁を燃やしてフル稼働に見せかけていたというようなエピソードがたくさん描かれている。 
 
  ソ連では1928年から、スターリンの主導で第一次五カ年計画を策定し工業化を進めていた。一方、欧米の資本主義陣営はと言えば1929年に大恐慌が起こり、震源となったアメリカを中心に壊滅的な危機となっていた頃である。恐慌が周期的に起こることは資本主義経済のアキレス腱であった。タンタンの「ソヴィエト編」が描かれたのはまさに資本主義陣営の危機の時代だった。 
 
  当時はソ連が労働者の楽園だというような宣伝も少なくなかっただろうから、そのアンチだったのだろう。今から見ればスターリニズムの実像が少年漫画で描かれている点で相当過激な反共的漫画だったと思われる。フランスの作家アンドレ・ジイドが彼が理想と考えたソ連を訪れ、旅行記「ソヴィエト紀行」を書きあげたのは1936年のことだ。ジイドは「ソヴィエト紀行」の中で、ソ連の市民が順応主義を強いられていことへの幻滅をつづり、フランス内外の左翼を震撼させた。しかし、エルジェの「ソビエト編」が登場したのはその6年前なのである。後にエルジェはタンタンがシリーズ化されることになったタンタン2作目の「コンゴ編」を振り返り、当時の自分のブルジョア的価値観と、アフリカに対する植民地主義的発想や動物に対する扱い方などを釈明している。それではエルジェはこの1作目についてはその後、どう考えていたのだろうか。 
 
  「ソビエト編」でそれよりも興味深いことはタンタンの演出である。最初の作品ではシリーズ化された後の作品に比べて、一層映画的なコンテになっている。特にタンタンがスポーツカーで田園を疾走しているコンテは手塚治虫の出世作、「新宝島」のスポーツカーの有名なコンテ割を思い出させた。遠くに見えた車が次のカットではビューンと紙から飛び出してきそうなくらい近づいているのだ。「ソビエト編」でエルジェは映画的な演出をしているのである。後のタンタンシリーズではクローズアップはほとんどなく全体的にもっとワイドな画面になる。手塚治虫が少年時代にタンタンを読むことができたのかどうかは知りえないが、タンタンの技法をより映画的表現に、というよりは縦横無尽な劇画的表現に進化させていったのが手塚治虫だろう。一方、エルジェはタンタンの美術的な完成度を上げていき、カラフルで洗練されたスタイリッシュな漫画として、今日のBD(バンドデシネ)の原点を創造したと思われる。 


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