2013年04月21日17時21分掲載  無料記事
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コラム

新書が薄い    村上良太

  かつて新書と言えば岩波新書だった。岩波新書は中身が詰まっていた。誠実で個性的な研究者による何十年かの研究の成果がびっしり詰まっていたからだ。その新書市場に90年代以後、多数の出版社が参戦して、百花繚乱の時代となった。今や新書は電車で2時間で読める雑誌の特集だと誰かが書いていたが、なるほどと思った。新書は2時間で読み捨てる媒体になったのだ。 
 
  以前は新書をよく読み、テレビ番組の企画づくりの参考にもしていた。しかし、最近では企画を作るから新書を読もう、という感じがまったくしなくなってしまった。新書を読みたいという気がなくなったし、新書コーナーに足をとめることも稀になった。そこに貴重な情報があるという感じがいちがいに乏しい。新書コーナーの棚がオーラを全然発していない。 
 
  その原因はどこにあるのだろう。多分、面白い本は今も作られているのだろう。実際すべての新書を否定するつもりはない。誠実で知的な新書ももちろんある。しかし、中にはタイトルから横柄な印象を受けることがしばしばあるのではないか。たとえばこんな感じのタイトルが近年増えているように思う。 
 
  「パンツは自分で履きなさい」 
 
  先生が生徒を叱る口調である。しかも幼稚園児か小学生を相手にした言葉遣いだ。読者を馬鹿にしている気がする。こんなものに金を出す読者がいるのか。本のタイトルの説教・恫喝口調ぶりと本の知的含有量は反比例すると僕は思っている。 
 
  また電車で2時間で読める、という言葉通り、書店でちょっと手にして面白い話だと思って買ってもいいかな、と思ったらもうページがあとがきしか残っていない。そんな経験が何度かある。あまりにも本が薄くなってしまって、2時間どころか書店で5〜6分も手にしていたら大方目が通せて中身がほぼわかってしまう。 
 
 逆にこんな話を雑誌の編集者に聞いたことがある。近年珍しく部数を大幅に伸ばしたメジャー週刊誌の編集者の話だ。編集者が言うには部数増の理由はコンビニで読み逃げされないように特集の厚みをぐっと増やしたことだという。コンビニの滞在時間に特集が読み切れないよう売りの特集の内容をボリュームアップし、ページ数を増やしたのだ。中身が十分にあれば読者は買って家で読むということだろう。 
 
  僕は本が好きで、書店に行くのもいい本に巡りあいたいからだ。いい本があれば買いたいと思っている。そんな財布を持った客なのだ。いい本を買うために何軒も書店をはしごする。僕みたいな人は少なくないんじゃないか。だから新書の内容もタイトルももっと考えてほしいものだと思う。 


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