2013年04月26日13時28分掲載  無料記事
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国際

【北沢洋子の世界の底流】アフリカ諸国に軍事介入する南ア(下) フランスの覇権と石油開発権とウラン鉱山  

 中央アフリカRCAは、赤道直下だが、ほとんど砂漠の内陸国である。ウバンギ川に面し、コンゴ民主共和国との国境沿いにある首都バンギを取り囲むように熱帯雨林があるが、それも国土の8%でしかない。人口440万人、ほとんどが、1日当たり1ドル以下の収入で、貧しい。 
 
3.RCAの反政府軍とは 
 
 RCAは、1960年、フランスから独立した。このとき、「黒アフリカ社会進歩運動 (MESAN)」のリーダーで、フランスの傀儡ダッコが初代大統領になった。典型的な新植民地主義である。 
 
 1965年、ボカサ中佐がクーデターで政権に就き、独裁政治を敷いた。77年、2,000万ドルを使って戴冠式を行い、自ら「皇帝」と名乗った。しかし、世界中が認めず、ほとんどジョークの種になった。 
 79年、フランスがクーデターを起こし、初代大統領だったダッコを政権の座に復帰させた。しかし、その後、クーデターが相次ぎ、2003年、ボジゼ“将軍“が大統領に就任した。 
 翌04年7月、北東部に勢力を持つ「統一民主勢力連合(UFDR)」が、反乱を起こした。これは「Bush War(やぶの中の戦争)」と呼ばれた。07年4月、「中央アフリカ経済共同体(ECCCA)」が仲介して、ガボンの首都リーブルビルで、ボジゼ大統領とUFDRとの間に和平協定が成立した。そして、09年1月、UFDRが「統一政府」を提案したが、ボジゼがこれを拒否した。 
 
 咋年12月10日、内戦が再発した。今度は「Seleka」と名乗る反政府軍が、07年の和平協定を「無効」と宣言した。「Seleka」とは「連合」を意味し、04年に反乱を起こしたUDFRを始め、「正義と平和愛国者条約「(CPJP)」、CPJPの過激派の分派「救国愛国者条約(CPJP)」などが加わっている。 
 
 南ア軍が大量の死傷者を出した同じ日の3月23日、Selekaは2時間の戦闘で、首都バンギを占領した。翌3月24日、ボジセ大統領は、国外に逃亡した。大統領府の警備隊は、銃撃が始まる前に、2台の戦車を置き去りにして、逃亡していた。SelekaのHakouma総司令官は、ボジゼを逮捕出来なかったことを悔やんでいた。 
 
4.フランスの覇権 
 
 Seleka の代表であるUDFRのMichel Djotodia(ジョトディア)は、選挙なしに向こう3年間、大統領に就任すると宣言した。彼は、政府と議会を解散し、憲法を廃止した。Seleka軍が大統領府やUNICEF事務所を掠奪した。それでもフランスは、「出る幕ではない」と知らん顔をした。フランス軍がRCAで発砲したのは、空港で民間人の自動車3台に発砲しただけであった。この発砲で、2人のインド人が殺された。 
 
 フランスは旧フランス領マリの内戦に、4、00人の地上軍を送り、空爆した。これは、「テロに対して民主主義を守るため」という口実で、反政府勢力を封じ込めた。リビアでもフランスは、同じ名目で、NATO軍に参加した。 
 
 しかし、フランスは、マリにAmadou Toumani Toure前大統領のリベラルな民主主義を回復しようとしなかった。代わりに、フランスは、トゥアレグの反政府軍を武装解除し、その結果、20万人の難民が隣国ブルキナファソに押し寄せることになった。 
 
 国連人権理事会によると、マリ政府軍がトァアレグ族とアラブに対して民族浄化政策を実行し、また、国連が「食糧飢饉で餓死者が出ている」と発表した直後、フランス軍が介入したのであった。 
 
 フランスのアレバ社は、2007年、RCAのBakouma地区のウラン鉱山の権益を買った。これは、かなり怪しい取引であった。昨年、隣国のチャドのイスラム主義者の「回復人民戦線(FPR)」ゲリラが鉱山を攻撃し、セレカ支持を表明した。これに対しても、フランスはRCAに派兵しようとしなかった。Selekaに加盟しているCPJPは2010年、チャドとの国境近くのBiraoを占領した。元フランス外人部隊員でRCAの情報局長Guy-Jean La Foll Yamandeは暗殺される前に「フランスはCPJPの攻撃を事前に知っていたが、ボジゼ大統領に知らせなかった」と言った。フランスは口語に反政府勢力を操っていたのである。 
 
 RCAは、石油開発権を中国に売った。またウラン鉱の開発権を南アフリカに売った。これがフランスを怒らせた原因であった。しかし、ボジゼに言わせると、事前にフランスのTotalに断られ、フランスにウラン鉱山の資料を拒否された結果、中国や南アに売ったのだと言う。 
 
 Selekaは、反ボジゼでは結束していたが、権力を取った後のことは何も決まっていない。このことも、フランスが介入に及び腰なことの理由だろう。また、南ア軍のバンギでの惨めな敗北に気を使ったのかもしれない。 
 
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国際問題評論家 
Yoko Kitazawa 
http://www.jca.apc.org/~kitazawa/ 


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