2013年04月28日05時26分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201304280526010

政治

現状分析から見えてくるもの(四)戦後保守の矛盾と左派のジレンマ  上 治

 戦後体制脱却論を世界的な面からみると以上なのであるが、これを国内的な面からみる。ここには国際関係との相互関係とある程度の独自性がある。右翼や保守派の国内的な戦後体制脱却論は多分に矛盾に満ちたものである。ここでの大きな点は戦後体制がアメリカ占領軍の占領政策を媒介に出来たものであるということが大きな要因としてある。アメリカ占領軍の占領政策の残滓を振り払うということと戦後体制脱却ということの関連である。右翼や保守派はこの点については矛盾的な展開をしてきたといえる。 
 
 この根本的な矛盾はどこからきているのであろうか。それは端的に言って戦後のアメリカの占領政策とその後の継続と言う問題である。アメリカ占領軍は日本の戦前の体制の改革を戦後改革としてやった。これは戦争を推進した日本の権力および社会の改革であり、俗に「民主化」と言われたものだ。 
 
 だが、この民主化を天皇は受け入れ、天皇は占領政策を肯定した。ここに戦後体制の矛盾の源泉は存在した。アメリカは戦後の日本統治のために天皇(天皇の官僚)を利用し、これは日本の独立後も継続してきたのである。官僚を通して戦後の日本を支配してきたアメリカは、名目は対等な日米関係としながら、日本を従属させる権力関係を温存してきたのである。他方で右翼や保守政治家は天皇を基盤に日本の自立を志向する部分を保存してきた。「民主化」を天皇(天皇の官僚)は受け入れることで従属を継続することと、天皇をシンボルとしてアメリカからの自立をいう矛盾を戦後の右翼や保守派は持ってきたのである。天皇をシンボルとして戦前への回帰をいう右翼は天皇制下の戦前への回帰をいうが、天皇自身がそれを半ば否定しているという矛盾に戦後はあった。 
 
 戦前への回帰を構想する右翼や保守派には根本にある天皇、あるいは天皇の官僚のアメリカとの関係の矛盾が存在しているのである。例えば、保守派の東京裁判の否定、戦後憲法の否定がその内容である。東京裁判史観からの脱却とか、自主憲法制定とかはその主張であった。これを右翼や保守派は政治理念の根底に置いてきたが、それはイデオロギー的な主張であり、戦後体制を前提に権力を保持してきた保守政治に矛盾するものだった。保守本流と呼ばれたハト派(リベラル派)が存在してきた。彼らは理念的な戦前回帰論を建前としては否定しなかったけれども、本音は戦後改革を受け入れその体制の護持をしてきたのである。保守派の内部の新米派と反米派、ナシヨナリスト派とリベラル派というように分類されてはきたが、実際のところ複雑で錯綜していたものだった。天皇あるいはそれに連なる官僚はある意味ではここでいうハト派であり、他方ではナショナリストに理念として利用される存在でもあった。 
 
 戦後体制の問題はアメリカ占領軍によって戦後改革ができあがったということだが、それを敗戦=占領=ナショナリズムの喪失という面で見てナショナリズムの回復=戦前回帰という方向を打ち出すのが一部の右翼であり、保守派である。だが、戦前の日本の国家権力の強権的で抑圧的な構造がこれで否定された面を天皇含め保守派は評価し受け入れてもきたわけである。明治以降のナシナリズムの否定の面をむしろ肯定するところを持った保守派も存在したのだ。 
石原慎太郎のような戦後憲法の破棄をいうのは極端な部分だが、それへの批判は強いのもその現れである。 
 
 明治以降の天皇を中心に据えた国体観で日本の国家精神への回帰という主張にたいして、このナシヨナリズムは普遍性を持たないとして保守派からも否定されてもきた。例えば、福田恒存は天皇統治が普遍性を持たないと批判していた。ただ、保守のリベラル派《憲法9条の専守防衛論的擁護派》は少なくなり、復古派が強くなる傾向に現在はある。戦後体制脱却論は保守派の中のリベラル派の退潮によって強くなるが、保守派の内部矛盾も強くなる。 
 
 ここで左派の問題を見てみよう。左派は戦後体制を受け入れながら、基本的には戦後体制の内部でのソ連派(社会主義派)に依存した。米ソ対立《冷戦構造》の中でソ連側につき、戦後体制のアメリカ側の修正《戦後改革の修正》に抵抗し、民主化を進めるという方向をとってきた。戦後改革を社会主義革命につなげる展開を志向してきた。だが、ソ連批判の広がりとその後の冷戦構造の崩壊は社会主義離れを生みだした。戦後体制をより民主化へという部分はその内部で二重に分かれた。アメリカによる戦後改革が国民と国家権力との関係で不十分であり、そこに軸をおいて敗戦革命が不在であることを補うことも含めてやろうとした部分が一つである。他方では戦後改革で形成された民主化の擁護を強調して行く部分である。大きな枠組みでいえば戦後民主主義の直接民主主義への深化をめざす部分とその擁護に固執する部分が対立したのである。 
 
 ここでの問題は左派が戦後体制の矛盾について、その国内構造について明瞭な認識と変革の構想を持ってはこなかったにあったといえる。世界的な戦後体制を米ソ関係の枠組みで考えるのか、その全体で見るのかの対立があったが、それ以上に空想的な国家ビジョン(暴力革命論やプロレタリア独裁論)を振りまわすだけで、憲法や戦後の国民の意識や課題に触れられなかったのである。 
 
 大衆的な運動の展開で戦後体制脱却を意識させるものを生みだした(例えば全共闘運動)が、それを国内の戦後体制脱却に結び付ける理念も構想もたなかったといえる。アメリカの戦後占領政策が戦前の日本の国家権力の進めた政治に対する批判として持った歴史的意味を左派はきちんと踏まえながら、それを止揚(否定)して行く構想を考えられなかったといえる。例えば、アメリカの占領政策としての東京裁判を僕らも批判すべきだ。だが、それは、戦前への回帰的な批判ではなく、現在のアメリカの戦争批判を含めてやるべきだ。占領政策で生まれた憲法《戦後憲法》を大日本帝国憲法に戻すのではなく、その国民主権的な契機を現実化し、日本の国民の真の憲法にすることだ。大日本帝国憲法に比して日本国憲法《戦後憲法》を段階的に評価しながら、国民と憲法の関係において日本の憲法の持つ欠陥や限界を超えるべき努力をすべきだ。 
 
 これらは戦後民主主義を真の民主主義に止揚していくことにほかならない。国民主権の実体化した憲法にすることであり、憲法に精神と魂をもたらすことである。アメリカの占領政策の残滓としてあるアメリカと組んだ官僚の権力支配を変えることでもある。僕らもある意味で戦後体制脱却論の立場に立っている。これは戦前への回帰ではないし、そういう反動ではない。戦後民主主義の批判でもその肯定的要素を含みながら否定であり、直接的でより実質的な民主主義の実現を目指すのであり、戦前的な強権体制への回帰ではない。 
 
 ただ、こういうことは言える。戦後体制脱却論の場合に政治的には過渡的なこととより本質的なことを区別しながら構想すべきだということだ。戦後体制脱却、それを否定の否定として考える場合に未来的視座だけでは見えてこないということがある。戦後民主主義の直接民主主義による止揚というとき、例えば自己決定的な側面の深化として具体化されるが、この構想には歴史的なものの再生ということが同時的に必要である。例えば沖縄のことを考えればこれは明瞭である。あるいは東北のことを考えてもいい。そこにある共同的契機を再性することで民主主義に身体を与えて行かなければならない。ナショナリズムではなく、ネイションの形成ということをこうした歴史的なところで基盤づけることが必要なのだ。 
 
 戦後体制脱却の構想というとき、過渡的な理念や方向が必要であり、それは上記の直接民主主義の実現や憲法の擁護などをさしている。アメリカからの自立(従属からの脱却)と言ってもアメリカの戦後的一元支配の衰退の中で相互の自立や、尖閣諸島をめぐる日本と中国の紛争のようなものにしても民族主義的、国家主義的な解決ではなく、武力によらない解決を求めることだ。アジアでの共同関係を求めるにしても戦前の大東亜共和圏の復帰ではなく、東アジア共同体は新たな関係の構築をめざす。また、憲法問題も帝国憲法の復活ではなく、国民主権の憲法の実現を志向する。戦後民主主義の直接民主主義的な深化である。これらは過渡的な理念や方向であり、もっと深い歴史的な視座が必要でありそれも求める。例えば、天皇制に基づくナショナリズムに対して、沖縄や東北の民衆の共同性をネイションとして取り出すことでそれを相対化し、超えて行くものを提示するのである。このためには未来だけでなく過去にも目は向けられるのである。回帰的な議論を反動としてだけでなく、そこが人々のこころが動くところを見て、それに応えるものを創出せねばならない。 
(完) 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。